第8話


 彼はあっけなく最期を迎えた。黒い物体の下からは血と赤く染まった服と、赤褐色の臓物がはみ出している。

「はぁ…はぁ…上手くいったわね」

「無理をするでない」

「嫌よ。足だけは、引っ張りたくなかったもの…」

「…そうか。天羽。そっちに落ちた物は絶対に見るんじゃないぞ」

「声が一つ消えたから、何が起きたかは分かってるよ…」

 二人が地面に下りると、物質化した影は光を受け跡形もなく消え去った。と同時に伽藍が床に倒れこむ。

「大丈夫か?」

「大丈夫…とは、言い難いわね」

「呼吸が荒いのう。そこで休憩しておれ。知念は儂がどうにかする」

「ええ…頼んだわ」

「凄いね、二人とも…。あの…ごめんなさい。僕、何も手伝えなくて」

「…あ、彬に心の声を聞いて助言してもらえば良かったのう」

「あ、でも…僕、あの二人が考えてること全然分かんなかったよ」

「どういう事じゃ?」

「あの二人、戦闘の事を何も考えずにああやって動いてたんだ。…ずっとね、僕の頭で同じ言葉が繰り返されるんだよ。『愛してる』『大好き』って」

「…二人は、互いを想う気持ちだけで動いておったのか」

「多分…」

「つくづく、気味の悪い二人ね」

 不意に、彬の顔が青ざめ始めた。

「頭…痛いぃ…!声が、うるさい…!」

 青天狗はすぐに知念の方を向いた。そこには、頭を抱えながらぶつぶつとなにかを呟く知念がいた。いつの間にか糸も全てなくなっている。

「なあ、知念。もうお前さんに出来ることはあらぬぞ」

 青天狗が声をかけるが、まるで反応がない。頭を抱え、俯いていた。

「――今からぁぁ死者蘇生をぉ始めまぁぁす」

 唐突に知念が顔を上げた。何の感情も抑揚もない声と共に。そして、元は灰野だった肉片の傍まで歩き立ち止まった。

「でけでけでけでけでけでけ――」

 彼女は肉片を持ち、それを包むように糸で器用に立体を作り出してゆく。

「でんっ」

「──おぇっ…」

 彬は食道までこみ上げてくる何かをどうにか抑えた。

 彼女は自身の糸で灰野侃二を作り上げた。手足の糸は、操り人形のように知念の指先に繋がっている。

「ありがとう、朱奈」

「どういたしまして、侃二」

 二人――正確には一人と一体の人形は感動の再会のように強く抱き合った。声も知念一人で演じている。まるでお飯事ままごとだ。

「つくづく狂った連中じゃのう」

「侵入者を追放して、私たちの失楽園を取り戻すのよ」

「僕に任せて。失楽園を取り戻して見せるさ」

 灰野の人形は地面を蹴り、凄まじい速度で青天狗の方へ猛進してきた。

「速い…!」

 風を起こす隙もなく、青天狗は腕でガードせざるを得なかった。

「…?」

 しかし、何秒経っても予期していた衝撃が来ない。

「やっぱり貴方は私の勇者よ、侃二」

 にも関わらず、知念は恍惚の表情でこちらを見ている。そして、その時初めて気が付いた。

 灰野の人形は青天狗を殴っている最中だった。しかし糸ゆえにまるで威力がない。ただ微かにぽすっ、という軽い音がするだけだ。

 青天狗は理解した。知念は灰野を美化しすぎるあまり、現実を受け入れられていない。糸の傀儡に灰野の姿を重ね、自分の理想が崩れないようにしている。

 青天狗は風を起こして人形を操るための糸を切った。人形は忽ち力なく床に倒れ伏した。

「あらあら、どうしたのかしら?私たちの失楽園を守るんでしょう?…侃二!」

 彼女の悲痛な声が地下に響く。

「もう止めよ。侃二は既に死んでおる。現実を受け入れ給え」

「彼は私の英雄なの。何回も救ってくれたわ。…そう簡単に死ぬわけないじゃない」

「…儂もまた、そうやって何度も見て見ぬふりを繰り返してきた。こんな所で死ぬわけがない、とな。しかし、そう願っても妄信しても何も変わらん。引きずれば引きずるほど、いずれ襲い掛かる反動は大きい」

 知念は再び俯き何かを早口で呟き始める。

そして、唐突に知念の顔に喜びの表情が広がり始めた。

「…そうよ。私、この前侃二と約束したの。『一緒にアヴァロンに行こう』って。きっと先にそこへ行ったんだわ。ふふ、おっちょこちょいね、侃二。1人で先に行っちゃうなんて。ふふ…」

 そう言うと彼女は手のひらを上に掲げて糸を出し、天井にぶらさがった。

「アトラク=ナクアの糸よ。私をアヴァロンへ導いて下さい」

 そして彼女は糸を首に巻き付け──天井で首を吊った。彼女はびくんと震えただけでほとんど手足を動かすこともなく、静かに逝った。

「…お前さんがそれで納得するなら、儂は止めんよ」

 そう呟く青天狗の表情はどこか悲しそうで、どこか羨ましそうでもあった。

「…とりあえず、調圧水槽を私たちの隠れ家にしても良さそうね」

「あ…ああ、そうじゃな」

「どうしたの?顔色が変よ」

「あ、いや…二人の言ってる事は無茶苦茶じゃなと思っての。失楽園、アトラク=ナクアにアヴァロン…そもそも国が違う伝説や神話ばかりじゃ」

「二人なりの世界観があったんでしょうね。まあ、ここは日本だけど」

「それで、どうする?今日の狩りは」

「今日は休ませて頂戴。少し落ち着いたとはいえ、まだ不完全だわ」

「承知した」

 調圧水槽には二人が残していった生活用品があった。十分に暮らしていけそうだ。

 住処は確保した。残り三人がすべき事は、生き抜くことだけ。

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