第250話 自得の旅(中編)

 ビンダーラ男爵領の鉱山で五人のクラスメイトを供養した後に俺達が向かった先は、かつてフルメリンタの西の玄関口と呼ばれていたビンタラールだ。

 俺がフルメリンタに来た時に、最初に歓迎を受けた街でもある。


 ビンタラールを治めている領主の館では一家総出の出迎えを受けて、ユーレフェルトの貴族との違いを実感したものだ。

 領主ナジーム・ルシャンマンの三人の孫にせがまれて、ワイバーン討伐の様子を語って聞かせた。


 あの歓待で、自分はフルメリンタに求められているのだと再認識し、ユーレフェルトから捨てられたという劣等感を払拭できたような気がする。

 俺にとっては思い出深いビンタラールだが、戦争奴隷となった富井さんたちが娼婦として働かされていたのもビンタラールだ。


 つまり領主のナジーム・ルシャンマンは、富井さんたちを凌辱地獄に叩き落した後で、同郷の俺をワイバーン殺しの英雄として出迎えていたのだ。

 日本人の感覚では少し理解しがたいが、その辺りの割り切りはハッキリしているようだ。


 富井さんたちは戦争に参加してフルメリンタの人間を殺した者だから敵視し、俺は戦争には参加せずフルメリンタの人間を殺したワイバーンを討伐した者だから歓迎されたらしい。

 同郷で同じユーレフェルトに属していても、富井さんたちが凌辱されることも、俺を熱烈に歓迎することにも全く疑問を抱いていないようだ。


 だが、俺達はそんなに簡単には割り切れない。

 富井さんは勿論だが、三森や戦争奴隷落ちした後で死んだ親友がいる菊井さんなどは、ビンタラールの領主に良い感情を抱いていない。


 なので、ナジーム・ルシャンマンとは俺、アラセリ、和美だけで面談する事にした。


「ご無沙汰いたしております、ナジームさん」

「これはこれはキリカゼ卿、ようこそいらっしゃいました」


 ナジームは、最初に立ち寄った時と同様に歓迎してくれた。


「奥様はご懐妊ですか、おめでとうございます」

「ありがとうございます、こちらはもう一人の妻の和美です。和美との間には、もう男の子が生まれていまして……」

「それはそれは、家族が増えて家が栄えるのは良い事です」

「はい、望外の幸せを得て感謝しております。本日は、お礼を申し上げたくて伺わせていただきました」

「お礼ですか? さて、キリカゼ卿にお礼を言われるような事をした覚えは……」


 ナジームは首を捻って、本気で考えているようだ。


「私の同郷の者を戦争奴隷から解放していただいたと伺いました」

「あぁ、そうでした、そんな事もありましたね」


 フルメリンタには三種類の奴隷制度が存在する。

 多額の金を借りて返せなくなった者が、自分の体を売る借金奴隷。


 重罪を犯した者が、罪を償うまで働かされる犯罪奴隷。

 そして、戦争犯罪を犯して捕らえられた者が、自由を奪われる戦争奴隷。


 戦争奴隷の場合、解放されるには国と国から奴隷を預けられた者、両者の合意が必要になる。

 富井さんの場合、俺が解放を望んでいると知ったナジームが、国に解放の同意を働きかけたことで自由の身となった。


 国から富井さんたちを預かり、娼館に堕とし凌辱を認めたのもナジームならば、解放を働きかけたのもナジームなのだ。

 ナジームの働きかけ無しに富井さんは解放されなかったので、礼を言いに来たという訳だ。


「本当に、ありがとうございました」

「いやいや、どうか頭を上げて下さいませ。戦争奴隷を解放しても、別段私は損をする訳でもありませし、あの者も十分に罰は受けたましたから解放しても問題なかったのです」


 戦争奴隷の場合、借金奴隷と違って国から預けられた者が負債を肩代わりする訳ではない。

 働いて稼いだ金は、娼館や鉱山の管理者などが、食事や衣服などの必要経費を引き、残りは戦争で怪我を負った人や亡くなった人の遺族に支払われる。


 つまり、ナジームは国に働きかけをしただけで、何の損もしていない。

 それでも、遷都が行われたら、俺たちはこの近くで暮らすことになる。


 大きな街を治めている者から礼儀知らずなどと思われるのは、将来的にマイナスだろう。

 ビンタラールに立ち寄ると決めた時には、そこまで考えていた訳ではない。


 俺が立ち寄った目的は別にある。


「あの、戦争奴隷から解放される前に命を落としてしまった者達の遺体はどうなったのでしょうか?」

「娼館にいた奴隷の遺体ですか……?」


 ナジームは困惑したような表情で腕を組むと、目を閉じて考え込んだ。


「娼館で働く娼婦の多くは奴隷です。亡くなった後も引き取り手の居ない者は、火葬して供養した後に、骨は砕かれて川に流されます」

「えっ、共同墓地に供養する……とか、ではないのですか?」

「遺体を一ヶ所に埋葬すると魔物が湧く要因になりますから」


 恨みを抱いて死んだ遺体は、スケルトンやグールなどの魔物になる可能性が高まるそうだ。

 それを防ぐために、遺体は完全に焼却して浄化、浄化後の骨は集まらないように砕いて川に流すらしい。


「えっ、遺骨って砕かないといけないんですか? ここに来る前に、別の友人を弔ってきたんですけど……」


 鉱山で五人のクラスメイトを弔った状況を話すと、ナジームは大丈夫だと言ってくれた。


「それだけ丁重に友人の手で弔ってもらえたら、恨みを捨てて天に昇れるでしょう」

「だと良いのですが……私にもう少し力があれば、死なせずに済んだかもしれないと思ってしまって……」

「キリカゼ卿、たとえ大国の王様であっても全てを思うままに出来る訳ではありません。残された者は、亡くなった者を悼みながら精一杯生きるしかないのですよ」

「そうですね……」

「たぶん、キリカゼ卿は御友人を娼館に送った私に憤りを感じていらっしゃるのでしょう」

「いえ、それは仕方の無いことだと……」

「あの当時、戦争奴隷が送られて来たことは、街に居る殆どの者が知っていました。宣戦布告もせずに中州の住民を皆殺しにしたフルメリンタへの憎悪は凄まじいものがあり、もし彼女らを普通の職場に送り込んでいたら、私刑を受けて殺されていたでしょう。同胞を殺しておきながら、お前らが普通に働くなど許されると思っているのか……と」


 確かに、敵対する国の戦争奴隷が普通に働いていたら、ふざけるなと思うだろう。


「ですが、娼館ならば、人としての尊厳が傷付けられる場所ならば、殺されずに済むかもしれないのです」


 実際には、四人のうちの三人が命を落としてしまったのだが、富井さんは心を殺して生き抜いた。

 それが良いこととは言えないが、少なくともナジームは戦争奴隷となった女子を辱めようと思って娼館に送ったのではなく、少しでも生き残る可能性に賭けて決断したようだ。


「そんな理由があったなんて、全然考えがおよびませんでした」

「いいえ、私が恨まれるのは当然でしょう。どんな理由があろうとも、娼館に送るという選択肢しか私には用意できなかったのですから」

「いいえ、こちらで生き残った友人に必ず伝えます」

「駄目です。それは止めて下さい」

「どうしてですか?」

「彼女には、私への怒りや憎しみを糧として生き抜いてもらいたい。ですから、どうか先程の話は伝えないで下さい」

「ナジームさん……分かりました。では友人の代わりに……改めて、ありがとうございました」


 姿勢を改めて、もう一度ナジームに頭を下げた。


「キリカゼ卿、どうか彼女が幸せになれるように手を貸してあげて下さい」

「はい、ですがその役目は、私の友人がキッチリ果たしてくれるはずです」

「おぉ、そうですか……それは良かったです。御友人に、よろしくお伝えください」

「はい、必ず」


 ナジームの館で歓待を受けた翌日、娼婦の亡骸を弔う川原へと足を運んだ。

 川原の土手には、水仙に似た黄色い花が咲き誇り、甘い香りを漂わせていた。


 この川原も、遷都に伴う工事が行われるらしいので、慰霊碑の建立は先延ばしする。

 全員で川原に下りて、川に向かって黙祷を捧げた。


 ぐっと奥歯を噛みしめて涙をこらえていた富井さんとは対照的に、親友の名を呼びながら菊井さんはボロ泣きしていた。

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