第246話 女王の夢
ユーレフェルトの女王ブリジットは夢をみていた。
王城にワイバーンが飛来し、地下に潜って暮らしていた頃の夢だ。
「お母様がいて、お兄様がいて、ユートさんがいて……あぁ、これは夢ね」
自分が夢を見ているのだと自覚している、いわゆる明晰夢というやつだ。
「そうだわ、あの時はアウレリアも一緒だったわね」
王城といえでも、地下深い避難場所のスペースは限られていて、警備の面からも女性王族は同じ部屋で暮らしていた。
第一王妃クラリッサと、ブリジットの母である第二王妃シャルレーヌは表面上は平静を装っていたが、内心は自分の息子に王位を継がせたいと願い対立していた。
「まさか私が王位を継ぐなんてね……」
当時のブリジットは王位継承権第四位で、兄である第一王子アルベリクが王位を継承するものだと信じて疑わなかった。
それというのも、アウレリアが異世界から召喚した少年ユートが、兄の顔を黒く染めていた『蒼闇の呪い』と呼ばれる痣を取り除いていたからだ。
「お兄様が生きていれば……」
ブリジットは過去を振り返り、その分岐点はワイバーンの襲来にあったと思った。
ワイバーンさえ来なければ、アルベリクが復興の現場に行くことも無かったし、暗殺されることも無かった。
ワイバーンの討伐で、アルベリクの武術指南役にして護衛を兼ねていたマウローニが死亡しなければ、暗殺者など切り捨てていただろう。
ワイバーンが来なければ、国境の中州を占拠したエーベルヴァイン公爵率いる軍勢が敗北し、フルメリンタに攻め込まれることも無かっただろう。
フルメリンタに領土を侵略されなければ、領土と引き換えにユートを失うことも無かっただろう。
ワイバーンが飛来したことで、それまでユーレフェルト優位だった状況はフルメリンタ優勢に傾き、その傾きは大きくなる一方だった。
「ユートさんを手放すなんて、どうかしてたわ」
『蒼闇の呪い』と呼ばれる痣を消せる唯一の人物であり、ワイバーンの硬い鱗すら切り裂く稀有な魔法の使い手でもあるユートを領土回復のためとはいえ、あっさりと手放した。
実の父である前国王の判断に、当時のブリジットも首を傾げたものだ。
ユートがフルメリンタで名誉侯爵として厚遇を受けていることは、ユーレフェルトにも伝わってきていた。
そして、異世界の知識を使って、新しい製品の開発に手を貸しているという話も伝わってきていた。
前国王は、異世界から呼び出したユート一人と引き換えで、占領された領地が取り戻せるならば安いと考えたのだろう。
確かに一時的に領地は戻って来たが、その後の状況をみれば、失敗だったのは明らかだ。
「貴重な知識の持ち主をあっさり敵方に渡しているようでは、戦に勝てないのも当然だわ」
そこまで考えを巡らせて、今の自分はフルメリンタノ新兵器に対処できず、ワイバーン襲来の時と同じく地下に追いやられているのを思い出した。
王城のある台地に籠って、フルメリンタの軍勢が疲弊するのを待つ……などと、誰が言い出したのだろう。
「あぁ、アルバートか……」
ブリジットは、自分の夫となったアルバート・ジロンティーニに愛情を感じていなかった。
いつも父であるベネディットの意見に従うばかりで、自分の考えというものが感じられなかったからだ。
初めてアルバートが自分の考えを口にしたのは、パウレール侯爵領にいるコルド川東岸地域からの避難民に武器を与え、ラコルデール領で暴れさせるというものだった。
いくらフルメリンタに寝返ったとはいえ、民衆同士に殺し合いをさせるような策は好ましくはなかったが、一定の効果が望めるのも事実だった。
自分の策が採用されてから、アルバートは積極的に自分の考えを話すようになった。
王城に籠って、フルメリンタの軍勢が疲弊した頃合いを見計らい、ジロンティーニ家の軍勢とで挟み撃ちにするという策もアルバートが考えたものだった。
今になって考えてみれば、春先の戦の終盤に、フルメリンタはコルド川の東岸から西岸に向けて攻撃を行っている。
その時の攻撃距離を考えれば、エスクローデに入り込んでしまえば、フルメリンタの新兵器は王城まで楽に届く。
そして、春先から秋までにフルメリンタが準備を整えていたのは明らかで、攻撃の量もアルバートの予測を遥かに上回っている。
最初の攻撃の直後、ブリジットは地下の施設へと避難したが、その地下まで揺さぶるほどの攻撃が続いた。
暫しの静寂の後、再び攻撃が始まり、また唐突に止むことを繰り返した。
攻撃の回数が増えるほどに、ブリジットたちの下へともたらされる被害状況は深刻なものとなっていった。
王城へと繋がる通路は何本も設置されているが、半数以上が使えなくなった。
麓の国軍施設へと抜ける通路も、激しい攻撃によって崩れて通れない。
王城の敷地に待機していた兵にどれほどの被害が出ているのかブリジットには伝えられていないが、アルバートの表情を見ていれば被害の深刻さは理解できた。
たった一日の攻撃で、アルバートが思い描いていた作戦は水泡と化した。
フルメリンタの攻撃が止み、静寂が長く続くことでブリジットは日が暮れたことを知った。
アルバートとベネディットの親子を呼び付けて、被害の状況と今後の見通しを問うてみた。
「上はどうなっている?」
「今、被害の状況を取りまとめているところです」
「ジロンディーニ家の軍勢の到着を早めることは可能か?」
「出来ると思いますが、フルメリンタの兵が疲弊していないので、挟み撃ちにしても殲滅させられるかどうかは分かりません」
「麓の国軍の施設との往来は?」
「現在、通路の復旧作業が行われています」
「何時から通れるようになる?」
「早急に復旧させられるように急がせています」
具体的な時間をベネディットに訊ねても、作業中としか返答は戻って来ない。
被害の状況を本当に把握しきれていないのか、それとも私に隠しているのか、いずれにしてもベネディットの想定を大きく超えているのは間違いないだろう。
昼間は攻撃の音や対応に走り回る者達の足音が遠くから聞こえていたが、攻撃が止み、足音が小さくなると、聞こえてきたのは痛みに苦しむ呻き声だった。
それは通路を通って聞こえてくるのか、地下の空気が淀まないようにする通風穴から聞こえてくるのか分からないが、低く苦しげに、どこからともなく聞こえてくる。
それは、敵であるフルメリンタへの憎しみというよりも、無能な王である私への恨みにも聞こえてしまう。
そんな呻き声から逃れるように眠りについたから、昔の夢を見たのだろう。
「お母様、お兄様、ブリジットもすぐにお側に参ります……」
夢か現か判別の付かない微睡の中で、ブリジットは静かに涙を流した。
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