第243話 人生はままならない
「なんか、加速度的に戦争が終わる方向で動いてるんだよ」
また酒瓶を下げて夕食時に現れた新川の言葉によると、ユーレフェルトは新しい年を迎えられそうもないらしい。
「もう勝ったも同然か」
「あぁ、そう話してた同僚が、どこか地方に飛ばされたらしい」
「はぁ? なんで?」
「勝負が決する前に気を抜いてしまうような人物は不要なんだろう」
新川の同僚となると、宰相ユド・ランジャールの下で働いている者達だ。
そのまま一生浮上する余地が無いのか、それともどこかで挽回のチャンスが与えられるのかは知らないが、軽口ひとつで左遷されるとは気が休まらない職場だ。
「いや、表面上はそんなにピリピリしてないんだぜ。面白いかどうかは別にして、宰相本人も冗談らしい話を口にするしな」
「いやいや、冗談らしい……って、聞いただけで微妙じゃん」
「まぁな、笑って良いのか、笑ったらアウトなのか……タイキック程度で済むならゲラゲラ笑うんだけどな」
なんだか聞いているだけでも居心地悪そうな職場で、新川が愚痴りに来るのも理解できてしまう。
「それにしても、ユーレフェルトはボロボロみたいだな」
「あぁ、宰相の執務室にデカい地図が貼ってあってよ。そこに飾りのついた鋲が打ってあるんだよ」
「あれか、どこまで進軍しましたみたいな?」
「そうそう、それが一晩でグワーっと動いてたりするんだよ。まぁ、地球と違って通信設備が劣ってるから、情報にタイムラグがあるんだろうけど、それにしたってフルメリンタ軍の進み方が尋常じゃねぇよ」
新川の話によると、フルメリンタは南北からの両面作戦を展開しているらしい。
南というのは、和美たちが身を寄せていた旧オルネラス侯爵領を中心とした勢力で、本命視されていたルートだ。
それに対して北からの攻勢は、南側を隠れ蓑にして静かに、調略を中心とした攻め方で侵攻を行っていたらしい。
「んで、その北側からの軍勢は、ユーレフェルトの王都を目指さずに真っ直ぐ南下を続けているらしい」
「えっ? なんで王都に向かわないんだ?」
「橋を確保するためだな」
フルメリンタは、コルド川の東岸地域を占領するのにあたって、セゴビア大橋を除いた橋を全て落としてしまったらしい。
これはユーレフェルト側からの援軍を渡らせないための措置だったのだが、いざフルメリンタ側から攻め込む場合には、橋が少ないのがネックになっているらしい。
「東西を結ぶ街道の橋だから落す訳にはいかないんだよ」
「せっかく架かっている橋を落してしまうと、戦後の経済復興の足枷になるのか」
「そういう事だ。だから一番上流で対岸へと渡って、そのまま川沿いの領地を占領していって、セゴビア大橋の西岸も抑えてしまうつもりのようだ」
フルメリンタの進軍が続いているのは、既にユーレフェルト貴族の多くが王家に対して愛想を尽かしているかららしい。
そうした貴族を調略したり、排除したりしながら、フルメリンタ軍は橋の袂の領地のすぐ北の領地の占領も終えたらしい。
「前回の戦争でも思ったんだが、こんなに簡単に国って亡ぶものなんだな」
「一番最初の戦争が終わって、ユーレフェルトが領地を取り戻すために俺をフルメリンタに送ってからだと、もう二年近くになるんだよな」
「あぁ、俺らが戦争奴隷になってから、そんなに経つのか……てか、俺ら日本に居たら、もう大学生とか社会人だろう?」
「てか、立派かどうかは別にして、もう社会人やってんじゃん」
「まぁな、一応だが国の中枢に近い所で仕事しているなんて、日本に居た頃には考えられなかったな」
「確かに、その通りだな」
もし召喚されずに日本で暮らしていたら、たぶん二流の大学に通って、就職活動に四苦八苦して、大手企業どころかブラックな企業で働いていたかもしれない。
たぶん、女性との縁にも恵まれず、毎年ぼっちでクリスマスを過ごしていたことだろう。
そんな、あったかもしれない未来予想を口にすると、新川は何度も頷いてみせた。
「あぁ、分かる、分かる、たぶん合コンとか誘われても数合わせの財布役だっただろうな」
「それを考えたら、二人も嫁をもらって、来年には二人目の子供も生まれるし、俺は召喚されて良かったよ」
そう言いながら、アラセリや和美と視線を絡めていると、新川が口許を歪めてみせた。
「うぇぇ……酒に砂糖でもぶち込まれたみたいだぜ。てか、どこかに気立ての良い美人はいないのかよ」
「菊井さんか蓮沼さんに頭を下げるしかないんじゃないの?」
「いやぁ……無いわ、あの二人だけは無いわ」
「なんで?」
「日本人顔じゃ駄目なんだと」
「あぁ、フルメリンタの人も彫りが深いもんな」
こちらの世界の人達は、地球でいうならヨーロッパ系と中東系の中間みたいな顔つきの人が多い。
俺たちとは違って鼻筋がすっと通っているし、骨格からして根本的に違っている。
「貴族のボンボンとかは嫌だから、近衛騎士のイケメンがいないか物色してるんだとよ」
「まぁ、近衛騎士ならそんなに変な奴らはいないとは思うけど、日本とは違うからな」
「その辺りは大丈夫だと思うぞ、なにせ近衛騎士団は宰相の管轄だからな」
「なるほど、それなら一番危険度は低いな」
菊井さんと蓮沼さん、それに和美の三人は、召喚されたクラスメイトの中では一番安全な場所で暮らしてきた。
それだけに危機意識が低いというか、世間知らずな所があると思っているので、近衛騎士をターゲットにしているのは正解なのかもしれない。
「で、新川はどうなんだよ。いっそ宰相に紹介してもらったらどうだ?」
「まぁ、嫁は欲しいけど、一度ユーレフェルトの王都に戻ってからかな」
「なんだよ前線には行かないんじゃないのか?」
「いや、行くとしても戦争が完全に終わってからだぜ」
「そうか……それなら俺も一度行ってみたいな」
漠然とではあるが、召喚されてから色々な事が起こったユーレフェルトの王城には、一度帰ってみたいという思いがある。
「ただ、元の状態で城が残っているかどうかは分からないぞ」
「王城で戦闘になるのか?」
「多分な。向こうの宰相ベネディト・ジロンティー二はあっさり降伏しそうだが、女王は徹底抗戦するんじゃないかって思われてるな」
「徹底抗戦か……俺が会った当時は、そんな風には見えなかったけどな」
俺がユーレフェルトの王城に居た頃は、ブリジットは悪戯好きのお嬢様って感じだったから、徹底抗戦を主張する女王とはイメージが重ならない。
「そりゃ二年もすれば人も変わるだろう。兄貴の第一王子も暗殺されたんだろう?」
「あぁ、そうだった」
ユーレフェルトにとって、暗殺された第一王子アルベリクは甘ちゃんだったけれど希望の星だったと思う。
今の俺があるのも、期待はずれだった転移魔法を掃除に応用し、それが絵画の掃除、布の染み抜き、そして人間の皮膚からの色素取り除きへと繋がったのは、アルベリクの顔が蒼闇の呪いによる痣に覆われていたからだ。
「はぁ、アルベリクが生きてたら、こんな状況にはならなかったかもしれないのにな……」
「いやいや今の俺たちは、こんな状況を喜ぶべきなんじゃねぇの?」
「まぁ、そうなんだけど……正直複雑だな。宰相ユドは、ブリジットをどうするつもりなんだ?」
「さぁな、一度聞いてみたけど、状況次第だって言ってたから、まだ確定してはいないんじゃねぇの?」
「あっさり降伏して恭順の姿勢を示せば希望はあるけど、徹底抗戦だと……厳しいか」
「だろうな」
新川と酌み交わした酒が回ってきたのか、脳裏にユーレフェルトの王城で過ごした日々が浮かぶ。
アルベリクの染み抜きをして、武術指南役のマウローニ老から手ほどきを受ける日々は、裏に回るとドロドロだったが表面上は穏やかなものだった。
「あの頃に戻れれば……いや、戻ったところで俺は見切られた人間だしな」
「俺は、あの頃に戻ったら投降を勧められるまで徹底抗戦するぞ」
こちらの世界の事情を知らずに降伏を申し出てしまった新川とすれば、二度と奴隷落ちは味わいたくないのだろう。
「でもよ、徹底抗戦してたら、やられてたかもしれないんだよな?」
「あぁ、その可能性もあるか。ぶっちゃけ戦いに関しては素人だったからな」
「よくドラマとか漫画でタイムリープするのがあるけど、実際にやるとなると上手くいく保証は無いな」
「まったくだ、世の中厳しすぎるぜ」
「つまり、やり直しても新川はボッチってことだな」
「こいつ……言ってはならねぇセリフを吐きやがったな。こうなったら今夜は徹底的に飲んでやる」
「いやいや、もう十分飲んだろうから帰れよ」
「やだよ。今から帰ると、アンギシタイムの真っ最中だぜ」
「いや、新川がいると、うちが仲良くできないからさ……」
「ちっ……このハーレム野郎が、もげろ!」
結局、この後も新川は居座り続けて、我が家は健全な夜を過ごすことになった。
明日は来るんじゃないぞ。
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