第241話 悪あがき

 ユーレフェルトの王都エスクローデの南方には、北西から南東に向かってアンゼルム上水という人工の川が流れている。

 川幅は十メートル程度で、川というよりも用水路と呼んだ方がしっくりする。


 この川は、ブリジットから数えて四代前の国王アンゼルム・ユーレフェルトが命じて掘らせたもので、生活用水、農業用水として広く活用されている。

 そのアンゼルム上水に架かるジリオラ橋を巡って、王城内で女王ブリジットとベネディット・ジロンティーニが揉めていた。


 ジリオラ橋は、王都エスクローデから旧オルネラス侯爵領へと向かう街道の橋で、南北を結ぶ物流の大動脈を支える存在でもある。

 そして、ジリオラ橋から王城までは、ゆっくり馬を走らせてもその日のうちに辿り着ける距離だ。


 ベネディットはジリオラ橋を落してフルメリンタ軍の侵攻を止める一助にすべきだと訴えたのだが、ブリジットが反対している。

 ジリオラ橋を落すことは、すなわちアンゼルム上水よりも南側にいる国民を切り捨てることに他ならないからだ。


「国王が国民を切り捨てるような決断をしていたら、国は成り立っていかない!」

「陛下のお考えは理解できますが、フルメリンタの侵攻を止めるにはジリオラ橋を落す以外にありません」

「落せばフルメリンタは止まるのか?」

「分かりません。フルメリンタが止まるかどうかは分かりませんが、橋を落とさなければ確実にフルメリンタの奴らは、ここまでやって来ますぞ」


 川幅は約十メートルでも、護岸を合わせれば二十メートル近い幅になるし、街道から水面までの高さに水深を加えれば、十メートル近い深さになる。

 橋を落としてしまえば、対岸からは簡単に辿り着けない。


「橋の袂に砦を築くのでは駄目なのか?」

「砦を破壊するなど、今のフルメリンタにとっては造作も無いことです」


 仮にジリオラ橋の袂に砦を築いたとしても、フルメリンタの砲撃に晒されれば一日だって持ちこたえられないだろう。

 砦が破られれば、フルメリンタの軍勢は易々と王都まで辿り着くだろう。


「陛下、ご決断を!」

「くっ……やむを得ない。ジリオラ橋を落とせ」

「かしこまりました。おいっ、作業に取り掛かれ!」


 ベネディットが指示を出すと、控えていた部下が廊下へ飛び出していった。

 撤退してくるユーレフェルトの国軍を無事に通過させ、フルメリンタ軍が到着する前に橋を落とさなけれならないからだ。


 戦場で工事を行う工兵部隊は、すでにベネディットの指示でジリオラ橋の袂で指示を待っている。

 指示が届き次第工事に取り掛かり、いつでも橋を落せるように強度を下げていく予定だ。


 ベネディットの指示を伝える兵士が出ていくと、ブリジットの執務室は重たい沈黙に包まれた。


「何か策は無いのか?」

「有ればとっくに進言しております」

「ぬぅ……」


 まだ二十歳前のブリジットだが、この数か月ほどの間に十歳以上は老けたように見える。

 オーギュスタン・ラコルデール親子を処刑した後、ベネディットの息子アルバートと閨を共にするようにはなったが、そこに愛情は感じられない。


 ただ、子孫を残すためだけに、事務的に行われる行為が存在しているだけだ。

 重苦しい沈黙に耐えかねたベネディットが退室するための口実を探していると、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「火急の知らせがございます!」


 扉の外からの声に、ベネディットは部屋の隅に控えている護衛の兵士達に目配せをした後で答えた。


「入れ!」


 扉を開けて入って来た兵士の顔は、走ってきたにしては蒼ざめていた。


「申し上げます! ガロドワ侯爵領がフルメリンタによって陥落させられました!」


 部屋の中にいた者達は、ブリジットやベネディットを含めて、一瞬何のことなのか理解が追い付かなかった。


「いかがいたしましょう?」

「いかがだと……いや、なんで北にフルメリンタが居るのだ!」


 ヘルソン男爵家、レディング子爵家、そしてフルメリンタの連合軍と矛を交えることになった後も、ガロドワ侯爵家当主エメディルスは事態を王都へ知らせていなかった。


 フルメリンタに有利な条件で寝返った後に、ガロドワ侯爵領よりも南の領地に攻め込む時に、フルメリンタが北から侵入していると気付かせないためだ。

 自分が討ち取られるなどと全く考えていなかったが故に、フルメリンタ襲来の情報はガロドワ侯爵から南へは流れなかった。


 ガロドワ侯爵領が陥落し、フルメリンタが更に南下を始めたことで、ようやく情報が届けられたのだ。


「い……今、フルメリンタはどこまで来ているのだ!」

「ガロドワ侯爵領と境を接するヨーレンセン伯爵が交渉を行って、フルメリンタの侵攻を遅らせておりますが、早く援軍を送ってほしいとのことです」

「ベネディット、直ちに援軍を派遣せよ!」


 切羽詰まった声でブリジットが派兵を命じたが、ベネディットから返事が無かった。


「どうした、ベネディット!」

「兵が足りません。ヨーレンセン伯爵領へ援軍を送れば、南への備えに穴が開きます」

「ならば、周辺の領主に援軍を送るように申し付けよ!」

「はっ、直ちに書簡を送ります」


 ベネディットは自分の執務室に戻ると、ヨーレンセン伯爵領の周辺に領地を持つ貴族に援軍を送るように指示する書簡を作り始めたが、援軍が送られる望みは薄いと感じていた。

 南の戦線で苦戦が続いていることは、少なくとも王都では広まってしまっている。


 王都に滞在していた貴族達は、王都の屋敷を捨てるようにして地元へと戻っているが、存亡が掛かった状況だけに、情報だけは手に入るように準備を整えている家が多いらしい。

 王都からの住民の退避は禁じられているが、行商人に限っては王都からの移動が認められている。


 商人達は家族や財産の保護や王都が陥落した場合に領地での開業を援助してもらうために、懇意にしていた貴族の下へと情報を届けている。

 国軍が連戦連敗、ガロドワ侯爵領もあっさり陥落していると知れば、援軍を送ろうと思う者は少ないだろう。


 そもそも、敵が現れたと聞いてから援軍を依頼するなど、対応が遅いにも程がある。

 それでも書簡を作るのを止めないのは、国の実権を握った者としての意地みたいなものだ。


「父上、少しよろしいですか?」

「なんだ?」


 気乗りしない書簡作りの手を止めたベネディットは、執務室に入ってきた息子アルバートに視線を向けた。


「兵が足りないならば、作ればよろしいのではありませんか?」

「何だと、兵を作る?」

「はい、何も生み出さない無駄飯食らいでも、剣や槍を持たせれば使い捨ての兵にはなるのではありませんか?」

「何を言っているんだ?」


 話の中身が理解できずに問い掛けると、アルバートはニヤリと笑みを浮かべてみせた。


「コルド川東岸から逃れて来た難民どもに武器を持たせ、ラコルデールの奴らは裏切り者だ。殺して土地を奪えば、お前らの物として認めてやると言ってやれば、奴らは嬉々として兵士になりますよ」

「お前、それは……」


 ただの野盗ではないかと言い掛けて、ベネディットは思い留まった。

 今は、綺麗事を言っていられる場合ではない。


 そもそも、フルメリンタの開戦理由だって、こじつけもいいところなのだ。

 旧ラコルデール公爵家領は東西に幅広く、王家の直轄地の他にも幾つかの領地と境を接している。


 その一つが、コルド川東岸地域からの難民流入に苦しんでいる。

 しかも、フルメリンタもラコルデールも目線は王都に向けられていて、そちらには無関心なはずだ。


「よかろう、すぐに手配をしよう」

「父上、急がねば間に合いませんぞ」

「分かっている。お前は陛下のご機嫌でも取っていろ」


 ベネディットは、諸侯に援軍を求める書簡を作っていた時とは打って変わって、流れるように命令書を作り上げていった。


「これを国軍は持って行き、直ちに実行するように伝えろ!」

「はっ!」


 国軍への命令書を伝令の兵士に託すと、ベネディットはニタリと笑い、気乗りしない援軍要請の書簡作りに戻った。

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