第240話 工作員から見た進軍

 元エーベルヴァイン公爵家の諜報員だったシリノとハシンは、進軍を続けるフルメリンタ軍を横から眺めながら北へと向かっていた。

 フルメリンタの軍勢が進軍する速度は、一見するとゆっくりに見える。


 馬を飛ばして進む訳でもなく、夜には全軍が十分な休息を与えられている。

 だが、ユーレフェルトが陣地を築いて待ち伏せしている場所や、立て籠もっている場所をいずれも一日と掛からずに撃破しているので、侵攻速度としては恐ろしく早い。


 シリノとハシンは、オーギュスタン・ラコルデールを破滅させた後、フルメリンタとの交渉の糸口を探ると言ってジロンティーニ公爵家を出て来た。

 勿論、フルメリンタとの交渉なんて真っ赤な嘘で、二人は既にフルメリンタの工作員としてはたらく二重スパイだ。


「しっかし、余裕綽々で無人の野を行くみたいだな」


 シリノの感想に頷きながら、ハシンは手元のカップに注いだ酒を口にした。

 フルメリンタの工作員として働いてはいるが、二人とも熱心に働く気は無かった。


 既にオーギュスタン・ラコルデールは破滅し、ベネディット・ジロンティーニも後を追うのは確実の状態だからだ。

 シリノとハシンにとって、フルメリンタのために働く目的は、自分達の雇い主であったエーベルヴァイン公爵家を取り潰しに追い込んだ連中への復讐だ。


 その成就が確実になった今は、その結果を眺めるだけで十分なのだ。

 深まりゆく秋の山へと分け入り、フルメリンタの進軍とユーレフェルト敗走を眺めながら酒を飲むのが今の二人の楽しみだ。


「やはり、フルメリンタに戦を仕掛けるなんて間違っていたんだな」

「それは違うぞ、シリノ。あのタイミングでの奇襲は間違いではなかった。ただ、ワイバーンの渡りに遭遇したのが計算外だっただけだ」


 二人が話題にしているのは、新川や三森達が参加させられた、かつての国境であった中州への奇襲攻撃だ。

 アンドレアス・エーベルヴァイン率いるユーレフェルト軍は、中州のフルメリンタ側へ奇襲攻撃を行って占領に成功している。


 もしワイバーンの渡りが起こっていなかったら、フルメリンタは中州の奪還に相当苦労していただろう。


「何事も決断できなかった前国王と相談していたら、あんな奇襲攻撃は出来ていなかっただろう」

「それは、確かにその通りだな。何を決めるにも三大公爵家に遠慮して、決断までに酷く時間が掛かっていた。あれでは戦機など掴めるはずが無い」


 ユーレフェルトでは、国王に無断でフルメリンタに戦を仕掛けたアンドレアス・エーベルヴァインは大罪人とされている。

 だが、ワイバーンが現れず中州を死守していたら、今頃は英雄扱いされていただろう。


 当然、アンドレアスが旗頭を務めていた第二王子派が、王位継承争いでも有利になっていただろう。


「そうだな、ワイバーンが来なかったら、今頃はフルメリンタが滅亡する様子を眺めながら酒を飲んでいたかもな」

「いや、それはないだろう」


 再びハシンに反対されて、シリノはむっとしてみせた。


「どうしてだ、あの銃とかいう武器は、エーベルヴァイン家が呼び寄せた別の世界の連中から伝わったのだろう?」

「確かにそう聞いているが、奴らがエーベルヴァイン家に情報をもたらしたかどうかは分からないぞ。中州に奇襲を掛けた時などは、言われるがままに動く人形みたいだったからな」


 ハシンの言う通り、あの当時の新川達は命令されなければ自主的には動いていなかった。


「だが、どういう経緯でフルメリンタに協力するようになったんだ?」

「たぶん、奴隷落ちするのが嫌で、もっている情報を売ったんじゃないか?」

「なるほど……でも、それならばエーベルヴァイン家に情報をもたらしてもおかしくなかったんじゃないか?」

「奴隷落ちするほどの危機感が無かったからだろう。訓練は厳しいが、食う物は食わせてもらっていたようだしな」


 ユーレフェルトに居たころの新川達は、厳しい訓練は課せられていたが、空腹にあえぐような事はなく、味はともかく量は与えられていた。

 不満は抱くが逆らえば殺される、言うことを聞いていれば飯は食わせてもらえる……といった状況で自主性が失われていた。


「つまり、フルメリンタの連中は上手くやったってことだな?」

「それと我々は、あいつらが進んだ知識を持っているなんて思ってもいなかったからな」


 フルメリンタが銃に関する情報を手に入れたのも、ある意味偶然からだ。

 ユーレフェルトから領土の代わりに差し出された霧風優斗の話に耳を傾けずにいたら、火薬や銃の情報を聞くことは無かっただろう。


 霧風が知らない情報を奴隷となってる連中なら知っているかもしれないと考えなかったら、フルメリンタは火薬も銃も手に入れていなかっただろう。

 ただ、そうした偶然の積み重ねまでは、ハシンもシリノも知らない。


「なんとか、一丁でも手に入らないかな」

「銃が手に入っても弾が無ければ宝の持ち腐れだぞ」

「だな……みんな別の場所で作っているんだろう?」

「本体の警備も厳しいし、製造過程も分業だから探るのが難しい……本当に良く考えていやがる」


 ハシンもシリノも、これまでに何度も銃の入手を試みたが、警備の厳しさに断念している。

 もし銃を一丁手に入れられれば、今なら一生遊んで暮らせるほど高額な値が付くだろう。


 ただし、弾が無ければ銃は何の意味もなさなくなる。

 その辺りも熟知した上で、銃と銃弾の入手を試みているが、思うような成果は出ていない。


 銃や火薬の優位性が失われれば、現在の様なフルメリンタによる破竹の進軍は叶わないだろう。

 だからこそ、敵対国に情報が流れないように細心の注意を払っているのだ。


「やはり銃は諦めて、地道に商売するか?」

「そうだな。まぁ、今はユーレフェルトが滅びる様をゆっくり見物させてもらおう。金はまだあるしな」


 ハシンとシリノは、ユーレフェルトが滅んだら、工作員から足を洗って、なにか商売を始める気でいる。

 そのために、既にフルメリンタからも距離を取りつつある。


 散々国のために尽くしてきたエーベルヴァイン家が切り捨てられたのをみて、国や組織のために働くのは馬鹿馬鹿しいと思うようになったのだ。


「どうやら、終わったらしいぞ」

「なんだ、酔っぱらう暇も無いな」


 ハシンとシリノは、フルメリンタの砲撃が始まるのと同時に飲み始めたが、酔いを楽しむ前に砲撃の音は止んでしまった。

 砦や街を攻略するごとに、フルメリンタノが砲撃を行う時間は短くなっている。


 ユーレフェルト側の防備も薄くなっているが、フルメリンタが砲弾を惜しんでいるのも事実だ。

 侵攻の速度が速すぎて、補給が追い付かなくなってきている。


 まだ砲弾が底を突いてはいないが、戦闘中に砲弾がなくなるような事態は避けたい。

 そのために砲撃時間、弾数の縮小を行っているが、それでもユーレフェルトの国軍を蹴散らすには十分らしく、皮肉なことに攻略までの時間短縮となっている。


「まぁ、いいさ。だいぶ酒が手に入りにくくなってきてるからな」

「フルメリンタの連中が、民衆のご機嫌取りをしている間に、俺らは先に行くとしよう」


 ハシンとシリノは、避難民を装ってフルメリンタ軍に先行して次の街へと入り、酒や食糧などを手にいれたら姿を晦ませて戦見物をしているが、北に行くほど物資が枯渇しつつある。


「王都はどうなるのかな?」

「さあな。だが、フルメリンタの攻撃なら王城も守り切れないんじゃないか」

「今のフルメリンタはワイバーン以上ってことだな」

「まぁ、当然だろう」

「さて、行くか」

「だな……」


 二人はフルメリンタの旗をたなびかせた一団が街へと入るのを見届けると、カップの酒を飲み干して移動を始めた。

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