第230話 発覚
その朝、王城での定例の会合に出席するために馬車に乗り込んだオーギュスタン・ラコルデールの顔には笑みが浮かんでいた。
会合の目的は、フルメリンタからの領土奪還についての作戦と進捗状況の報告。
オーギュスタンは、この定例の会合が大嫌いだった。
フルメリンタからの領土奪還など、いくら口にしても実現不能な机上の空論にしか思えなかったからだ。
しかも、その出来不出来によって王配の序列が決まるのだ。
「ラコルデールとジロンティーニ、どちらの血筋の子を産むかは、どれだけフルメリンタに牙を剥き、突き立てられるかで決める」
何の後ろ盾も持たない傀儡の王となったブリジットが、己の貞操を武器として要求を突き付けてきた事もオーギュスタンを苛立たせた。
ブリジットの兄アルベリクが存命だった頃も、オーギュスタンは第一王子派の旗頭として様々な便宜を図ってきた。
アルベリクが暗殺された後も、ブリジットの後ろ盾として支え続けてきたのだから、女王の座に就いたなら恩を返すべきだというのがオーギュスタンの思いだ。
傍から見れば、全てはユーレフェルト王国におけるラコルデール公爵家の地位を安定させ、高めることが狙いだとしてもだ。
だから、ブリジットに顎で使われるような会合に足を運ぶのは、毎回屈辱だとオーギュスタンは感じていた。
それなのに、笑みさえ浮かべて馬車に揺られているのには理由がある。
フルメリンタとの密約に目途が立ったからだ。
諜報員として雇い入れたシリノはフルメリンタとの接触に成功して、ラコルデール公爵家が寝返る条件などを大筋で整えた。
取り交わされた条件は、領地の北方一割を差し出しフルメリンタ軍の駐留を認める代わりに、残り九割の領地の安堵とフルメリンタに置ける公爵の地位を認めるというものだ。
領地の一割を削られるのは痛いが、敗戦国の領主となれば全てを失う可能性の方が高い。
それどころか、己の命が救われる保証も無いのだ。
九割の領地と公爵の地位が認められるのは、それだけユーレフェルトにおけるラコルデール公爵家の存在が大きいとフルメリンタが認めているからだ。
「私は船を降りて、地に足を着けた。沈みゆく船に固執する者どもの戯言など、鳥のさえずりのようなものだ」
これから始まる会合では、毎回ブリジットが目を吊り上げて国を取り戻せと喚き散らす様に閉口してきたが、今日は冷めた目で眺められるとオーギュスタンほくそ笑んだ。
馬車が王城に到着した所で、オーギュスタンは笑みを消して厳めしい表情を作った。
意図していないと笑みが零れてしまいそうだと考えたのだが、王城の様子を見て考えを改めた。
城で働く者の多くはブリジットの言葉に感化されて、フルメリンタ打倒を当然だと考えるようになっている。
だからと言って具体的な策など何も無い、空虚で楽観的な様子がオーギュスタンを苛立たせた。
会合の控えの間には、ジロンティーニ公爵家の当主ベネディットが待っていた。
「やぁ、オーギュスタン、お疲れ様」
片手を挙げたベネディットの様子に、オーギュスタンは眉を顰めた。
いつもであれば、ベネディットも顰め面をしているのに、今朝は笑みまで浮かべているからだ。
「やけに機嫌が良いな、ベネディット。なにか良い材料でも見つかったか?」
「事態を好転させるような大きな物は無いが、少しずつではあるがフルメリンタの情報が入り始めた。それと、フルメリンタ内部に入り込む手筈も整いつつある」
「ほぅ、これは先を越されたようだな……」
ベネディットの表情を窺いながら、オーギュスタンの胸中に一つの疑念が湧いた。
『もしや、ジロンティーニ公爵家もフルメリンタに寝返る算段なのか……?』
突如として湧き上がった疑念は、みるみるうちに大きくなっていったが、オーギュスタンは考えを一旦打ち切った。
例えジロンティーニ公爵も寝返るとしても、自分がやるべき事に変わりはないのだ。
ユーレフェルト王家に発覚しないようにフルメリンタの軍勢を招き入れ、新たな国境となる王家直轄地との境を固めさせる。
寝返りの支度が整った時点で王都を抜け出し、新たな国境を越えてしまうまでは決して悟られる訳にいかない。
『同じ寝返るとしても、ジロンティーニの周囲には他の貴族の領地が残っている。まぁ、大変だろうが頑張ってくれたまえ』
オーギュスタンは勝手な想像を巡らせて、勝手にベネディットにエールを送った。
「オーギュスタン、君も随分と機嫌が良さそうだが、そんなに良い材料が見つかったのかい?」
「えっ……いや、うちはまだだ」
「そうかい? その割には笑顔まで浮かべていたぞ。いつもなら眉間に千尋の谷が出来ているのに」
「あぁ、笑っているように見えたなら、己の無力さを嘲笑っていたのだろうよ」
女王の支度が整ったと女官が呼びに来て、二人は議場へと移動した。
全く無駄な時間だとオーギュスタンは思いつつも、あと数回の辛抱だと己を戒めた。
書記官などが支度を整えた議場に入り、二人が席に着いたのを見計らって女王ブリジットが王配の二人を伴って姿を見せた。
普段であれば王配の二人は女王の隣に控えているが、この会合では実父であるオーギュスタン、ベネディットの隣に座る。
会合が王配としての序列を左右するものだからだ。
「これより例会を始める。双方、進捗状況を述べよ。まずはオーギュスタン、そなたからだ」
「はい、私の手の者をオルネラス共和国に派遣して駐留しているフルメリンタの軍勢を探らせていますが、思うような成果が上がっておりませぬ。奴らは、自分達が見せたいものは大っぴらに開示する一方で、探られたくない品物については神経を尖らせています。何とか、あの銃とかいう兵器を持ち出せないかタイミングを探っていますが、下手に手を出して失敗すると奴らが攻め込んでくる口実を与えかねません。今しばらくの猶予を願います」
「何じゃ、先日の報告と同じではないか。我を喜ばせるような知らせは無いのか? それとも後々大きな喜びをもたらすために隠しておるのか?」
「ご期待に沿えず申し訳ございません」
女王の座に座ってから、性格も話し方も尊大になったブリジットに苛つきつつも、オーギュスタンは神妙に頭を下げてみせた。
「ふん、つまらぬ奴め……ベネディット、そなたはどうだ?」
いつもであればネチネチと嫌味を繰り返すブリジットが、思いの外あっさりと矛先を変えたので、オーギュスタンは少し意外に感じた。
ブリジットに指名されたベネディットは、チラリとオーギュスタンに視線を向けると、ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべてみせた。
『こいつ、意外に大きなネタを掴んで来たらしいな……』
オーギュスタンは、ベネディットが雇い入れたという諜報員の調査能力に興味を持った。
フルメリンタと接触して密約を調えたシリノの能力も評価しているが、今回の状況で諜報員の重要性をオーギュスタンは痛感している。
腕の立つ諜報員ならば自分の所に引き抜けないか、オーギュスタンはベネディットが掴んだネタよりも、ネタを掴んで来た諜報員に思いを巡らせていた。
「陛下、私の手の者が探ってきた情報によると、フルメリンタはオルネラスのように他の貴族にも調略の手を伸ばしているようです」
「なにぃ、それは真か!」
ベネディットの報告内容と、それを聞いたブリジットの芝居がかった反応を聞いた瞬間、オーギュスタンは氷水を浴びせられたような気がした。
全身に嫌な汗が噴き出して来る。
「陛下、国を裏切った者には如何なる処分を下すおつもりですか?」
「決まっておろう、死をもって贖うしかあるまい」
今やブリジットもベネディットも、互いの顔ではなくオーギュスタンに視線を向けている。
ただならぬ空気を察したオーギュスタンの息子で王配の一人アリオスキが問い掛けた。
「父上、まさか……」
「し、知らぬ、私は何も知らぬぞ!」
震え、裏返った声でオーギュスタンは白を切ろうとしたが、ベネディットが懐から取り出した書状を目にすると、息を飲んで絶句した。
領地の北方一割を差し出す代わりに、ラコルデール公爵家の存続を求める密書は、フルメリンタに届けるように、一昨晩シリノに託したものだ。
全文がオーギュスタンの自著によるもので、署名、ラコルデール公爵家の紋章で封蝋が施されてある。
密書がベネディットの手にある時点で、もはや言い逃れは出来ないとオーギュスタンは悟ったが、それと同時に自分が交渉していた相手に疑問を持った。
シリノを通して交渉を重ねた相手は、本当にフルメリンタであったのか、それとも……。
「は、計ったな、ベネディット!」
オーギュスタンが椅子を蹴立てて立ち上がった直後、議場に完全武装した騎士が雪崩れ込んで来た。
オーギュスタンは、抵抗する暇も与えられずに、アリオスキと共に拘束された。
「痴れ者が! 一族郎党、根絶やしにしてくれる! 引っ立てろ!」
騎士に拘束され、猿轡まで鎌されたオーギュスタンは、怨嗟の言葉すら残せずに連れていかれた。
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