第231話 下準備の差
王城でオーギュスタン・ラコルデールと、息子のアリオキスが拘束された頃、王都のラコルデール公爵邸は国軍に取り囲まれていた。
オーギュスタンを乗せた馬車が王城へ入ったのと同時に、国軍は出動していたのだ。
国軍を動かすのにあたって、ベネディット・ジロンティーニは人選に気を配っていた。
ユーレフェルト王国の国軍は、元々はエーベルヴァイン公爵家が取り仕切っていた。
二代前の当主アンドレアス・エーベルヴァインが国王に無断でフルメリンタに戦を仕掛け、一時は国境の中州を占拠するもののワイバーンの渡りの影響で敗北した。
それを機に国軍を仕切っていたエーベルヴァインの一派は一時期排除されるも、フルメリンタとの戦いが立ち行かなくなり復権した経緯がある。
その後、エーベルヴァイン公爵家は取り潰しの憂き目に遭うが、国軍内部には以前としてエーベルヴァインの一派が存在している。
それとは別に、エーベルヴァインの一派が」力を失った時に台頭した、ラコルデール派、ジロンティーニ派も存在していて、人選を誤れば事前に情報が漏れる恐れがあった。
ベネディットは、エーベルヴァインの一派と話を付け、ラコルデール公爵邸を囲む任に当たらせた。
交渉の過程で、エーベルヴァイン公爵家の取り潰しは、オーギュスタンが主導して行われたものだという嘘の情報まで用いた。
エーベルヴァイン公爵家が主導していた旧第二王子派にとって、ラコルデール公爵家は対立していた旧第一王子派の旗頭でもある。
自分達の派閥が冷遇される原因を作ったラコルデール公爵家の裏切りを聞いて、国軍のエーベルヴァイン一派は腕を撫して任務に就いた。
ラコルデール派に気取られることなく屋敷を取り囲み、オーギュスタンの家族から使用人まで、全ての者を捕縛した。
目撃した者によれば、屋敷に居たものを捉えると同時に、主だった財産までも接収していく様は、国軍の鎧を着た野盗のようだったそうだ。
国軍に屋敷を囲ませる一方で、ベネディットは各貴族の屋敷へ、オーギュスタンがフルメリンタに内通していた経緯を綴った書簡を届けさせた。
国を滅亡へと導くラコルデール公爵家の裏切りは、多くの貴族から猛烈な怒りを買った。
その一方で、いくつかの貴族の家では、通達が戦慄をもたらしていた。
フルメリンタの宰相ユド・ランジャールは、オーギュスタンを罠に嵌める一方で、いくつかのユーレフェルト貴族には調略の手を伸ばしていた。
コルド川上流に領地を持つヘルソン男爵や、その西隣に領地をもつレディング子爵などだ。
すでにフルメリンタとの密約も調い、開戦の暁にはフルメリンタの兵を引き入れる準備も始めている。
事前に発覚してしまえば、地位と領土の安堵どころか取り潰されてしまう。
女王もジロンティーニ公爵も、北方の小領主に目を向けている余裕など無いと思いつつも、フルメリンタの誘いを受けている者達は肝を冷やしていた。
ベネディットが各貴族に送った書簡には、準備が整い次第ラコルデール公爵領を接収すると書かれていた。
ラコルデール公爵領を対フルメリンタの絶対防衛線として、これ以上の侵略は一切許さない方針には、女王ブリジットの意向が強く働いている。
ベネディットは屋敷を包囲させたエーベルヴァインの一派を中心に接収の準備を急がせたが、その頃すでにラコルデール公爵領には取り潰しの知らせが届いていた。
知らせを届けたのは、オーギュスタンが雇い入れた諜報員シリノだった。
シリノは諜報員として雇われた時に、ラコルデール公爵家の人間だと証明できる身分証の発行を求めた。
緊急で知らせる必要が出来た場合、シリノ個人で動くよりも公爵家の連絡網を活用するためだ。
シリノは王家直轄地との領地境を警備している兵舎へ汗だくの状態で駆け込んできて、責任者ダガールへの面会を要求した。
諜報活動を円滑に行うためには、関係各所との人脈を作る必要がある。
シリノは、ダガールにも手土産を持って挨拶に出向いて、良好な関係を築いていた。
「どうしたシリノ、そんなに慌てて糞でも漏らしそうなのか?」
フルメリンタと境を接するようになった南側と違い、王家直轄地と境を接する北側は危機感の欠片も無い。
「そんな冗談を言ってる場合じゃないですよ。フルメリンタとの内通が王家にバレて、公爵様は拘束され、王都の御屋敷は王軍に取り囲まれました」
「なんだと! そんな話は聞いていないぞ!」
「公爵様は沈みゆくユーレフェルトに見切りを付けて、オルネラス領と同様にフルメリンタに寝返るおつもりで既に密約も済ませていたのですが、それが王家の者に発覚してしまいました」
「馬鹿な……それではラコルデール公爵領はどうなるのだ?」
「おそらく、王家に接収されることになり、我々も罪人として扱われてしまうでしょう」
「罪人だと……何でだ! 我わらは職務を果たしていただけだぞ!」
降って湧いたような災難に、ダガールは顔色を失いながら喚き散らした。
「どうする、どうすればいいんだ!」
「こうなっては、フルメリンタを引き入れてしまうしかないでしょう」
「そんな事をすれば、本当に罪人になってしまうぞ」
「今のユーレフェルトとフルメリンタを比べたら、どちらに着くのが正しいのかは明白です。フルメリンタを引き入れれば、ユーレフェルトからは罪人扱いされたとしても、我々の生活は安堵されます。領地に残されている公爵様のご家族を後継者として、ラコルデール家を存続させることも出来るでしょう」
「だが、間に合うのか?」
「間に合わせるしかありません。その為にも、ここで時間を稼いで下さい」
「時間を稼ぐって、どうすれば良いのだ」
「ラコルデール家からは何も聞かされていないので、王軍の立ち入りは待ってもらいたい、これから主家に確認を取る……とでも言って、とにかく王軍を足止めしてください。その間にフルメリンタの新兵器をもった兵を連れてきます」
「分かった、とにかく足止めしておけば良いのだな?」
「はい、頼みます。王軍も編成には数日を要すると思いますので、その間に守りを固めて下さい」
ダガールとの面談を終えたシリノは、馬を借りて南の国境線を目指したが、まだこの時点では王都のラコルデール公爵邸は包囲されていない。
王城での会合でオーギュスタンを捉える手筈が調った時点で、先んじて王都を抜け出して領地境を警備するダガールに知らせたのだ。
シリノが北の領地境に到着すると同時に、周辺にはラコルデール公爵が取り潰されるという噂が広まり始めた。
これは予め打ち合わせてあった、フルメリンタの工作員によるものだ。
シリノは領地にあるラコルデール公爵の屋敷を訪れて、同様の報告を行った。
その上で、万が一事が露見した場合にはフルメリンタを頼れというオーギュスタンの言葉をでっち上げて、屋敷に残っている家族達を納得させた。
シリノは同様に南の国境線を警備している責任者と面談し、すぐさま国境線を開いて北の領地境へ援軍を送るように進言した。
公爵家の同意があり、自分達も罪人扱いを受けると知れば、責任者が取る行動は決まっている。
対フルメリンタのために揃えていた兵士を北の領地境へと振り分け、南の国境線を開いた。
国境線を自ら開いて敵の軍勢を招き入れるなど、通常では考えられない行為だが、伝わってくるオルネラス共和国の話が後押しとなっている。
ユーレフェルトから独立し、フルメリンタに併合されても、民の暮らしには特段の変化は無かった。
圧倒的な戦力を持つフルメリンタが住民を搾取していたら、ラコルデール家の兵達も国境を開いたりはしなかっただろう。
南の国境線でも、シリノの到着と時を同じくして噂が広まっていく。
曰く、フルメリンタとの和平実現に腐心していた公爵様は、王家の謀略によって理由なき罪に問われた。
曰く、王家の軍勢による略奪行為から民を守るには、フルメリンタに力を借りるしかない。
予め国境線で待機していたフルメリンタの軍勢は、シリノの知らせを受けて進軍を始め、一滴の血も流すことなくラコルデール公爵領へと入った。
フルメリンタの軍勢は、市民の歓迎を受けながら進軍を続け、ユーレフェルト王家直轄地との境に強固な防衛線を敷いた。
この時点でユーレフェルトの国軍は、ラコルデール公爵領の接収部隊の編成をようやく終えた所だった。
事前にラコルデール公爵領に送り込む軍勢を整えていたフルメリンタ軍と、オーギュスタンの裏切りの証となる書面を手に入れてから、慌てて支度を始めたユーレフェルト国軍では、行動速度に違いがあり過ぎた。
こうしてフルメリンタは、苦もなくラコルデール公爵領の全てを手に入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます