第229話 宰相に見込まれた男

「えげつねぇ……マジ、えげつねぇよ」


 また新川が酒瓶さげて夕飯を食いに来た。

 お前は何処の中年オヤジだと言いたいところだが、今日は宰相ユド・ランジャールに呼び出しを食らったそうだ。


 そこで聞かされたのが、ユーレフェルトに対して現在進行している作戦についての話だったらしい。


「えげつねぇって、何がえげつねぇんだよ」

「ラコルデール公爵にユーレフェルトを裏切らせるつもりらしい」

「うわっ、それってユーレフェルトの片翼をもぐってことか!」


 俺の所には、貴族の子息達が『蒼闇の呪い』の痣を除去するために通ってくる。

 施術を受けている本人や、お付きの人間からユーレフェルトの状況なども聞いているのだが、確か三大公爵家の一角、エーベルヴァイン公爵が取り潰されて、二大公爵家になったはずだ。


「その通り、今のユーレフェルトを支えているのは、ラコルデール公爵家とジロンティーニ公爵家だが、その一方を寝返らせるそうだ」


 新川の話によると、ラコルデール公爵が雇い入れた諜報員は、元エーベルヴァイン公爵家で裏の仕事を担当していた者らしい。

 エーベルヴァイン公爵家は、前国王、ラコルデール公爵、ジロンティーニ公爵によって取り潰しになったようなものだから、その諜報員には忠誠心の欠片も無いらしい。


 フルメリンタから話を持ち掛けた訳ではなく、その諜報員から話を持ち込んで来て、今は二重スパイとして活動しているそうだ。

 そして、その諜報員を使って、ラコルデール公爵を寝返らせる工作を進めたらしい。


「もう、ユーレフェルト終了じゃん」

「だろうな……と言うか、他にも調略の手は伸ばしているみたいだぞ」

「マジか、でも泥沼の戦争になるよりはマシなんだろうな」

「まぁな、だが宰相のえげつなさは、こんなものじゃねぇぞ」

「まだ何かあるのかよ」

「ラコルデール公爵家の裏切りをジロンティーニ公爵に糾弾させるつもりらしい」

「はぁ? どういう事?」

「ラコルデール公爵に寝返る条件などを書いた念書を作らされて、それをジロンティーニ公爵に横流しするらしい」

「うわぁ……えげつねぇぇぇ!」

「だろう?」


 つまり、ラコルデール公爵はユーレフェルトを裏切り、フルメリンタに寝返った途端に切り捨てられる訳だ。

 新川の話によれば、ジロンティーニ公爵家が雇い入れた諜報員もまた元エーベルヴァイン公爵家の諜報員らしく、そちらもフルメリンタの二重スパイになっているらしい。


「でもよ、寝返って味方になった奴を即座に切り捨てたら、他の寝返りを促している連中に悪影響が出るんじゃねぇの? やっぱ信用出来ねぇってならないか?」

「なるだろうな、フルメリンタが切り捨てたと分かれば……」

「そうか、だからジロンティーニ公爵に糾弾させるのか!」

「そういう事、フルメリンタはラコルデール公爵の受け入れを進めていたが、その前にジロンティーニ公爵に気付かれて糾弾されたって形にする訳だ」

「えげつねぇぇぇ! 鬼だな、悪魔のごとき所業だな」


 ラコルデール公爵の念書を運ぶのはフルメリンタの二重スパイで、念書はもう一人の二重スパイの手を通じてジロンティーニ公爵に渡るそうだ。

 フルメリンタがラコルデール公爵の裏切りを促した事は明らかになるが、その直後に切り捨てた事は気付かれないという訳だ。


「でもさ、一応は二大公爵家の当主じゃんか。生かしておいた方が使い道があるんじゃね?」

「俺もそう言ったんだけどさ……無能は要らないってさ」

「うわぁ、バッサリ切り捨てられたのか」


 新川が聞いた話によると、ギリギリまで追い込まれ、しかも下っ端から助言を受けてようやく腰を上げるようでは駄目らしい。

 寝返ったといえば、最初に独立を宣言したオルネラス侯爵が頭に浮かぶ。


 オルネラス侯爵にはフルメリンタが声を掛けていたが、一旦独立という形にした事や周辺の領主までも引き込んだ事が評価されているようだ。

 自ら考えて動き、人望もあるならば、寝返らせた後も使い道があると判断されたのだろう。


「でもよ、ラコルデール公爵が完全に裏切る前に糾弾させたら、領地は手に入らないんじゃないの?」

「まぁな。ただ、自分の領地の領主が糾弾されて、このパターンじゃ処刑ものだろう? 絶対にラコルデール公爵領では騒動が起きるだろう? てか、宰相ユドが起こさせるらしい」

「その混乱に乗じてラコルデール公爵領に入り込むのか?」

「みたいだな」

「うわぁ……何手先まで読んでんだよ、あの人は」


 現在、独立を宣言していたオルネラス共和国は、フルメリンタに併合されている。

 ユーレフェルトは併合を認めないという立場を貫いているようだが、国境線となっているラコルデール公爵領の南側には、既にフルメリンタの銃撃部隊が派遣されているそうだ。


「ラコルデール公爵王都で糾弾されて処刑される、ラコルデール公爵家は取り潰し、混乱が起きる、フルメリンタは住民から救援を要請されたという理由で入り込むらしい」

「でも戦争を始めるのは、農作物の収穫が終わった秋になってからじゃなかったのか?」

「あぁ、俺もそうだと思っていたけど、臨機応変ってやつじゃねぇの? それに、戦場になるのはフルメリンタの領土じゃないし、あっさり終わらせるつもりなんだろう」

「なるほど、ユーレフェルトの連中も戦争は秋からだと思い込んでいるだろうから、その油断を突くって訳か」

「どの程度の戦いになるのか分からないけど、俺の予想では死人が出るのはユーレフェルトだけだと思うぞ」


 実際に、先の戦争の最前線に居た新川によれば、フルメリンタ側にも犠牲は出ていたらしいのだが、その殆どはユーレフェルトから寝返らせた連中だったそうだ。


「てことは、今度もラコルデール家の連中を矢面に立たせて戦わせて、フルメリンタの連中は後ろから銃で援護する……みたいな形に徹するのか?」

「だと思うぞ、戦争が終結するまでは、寝返った連中はまだユーレフェルトだと宰相ユドは考えてるんじゃないか」

「徹底してるな」

「冷酷無比に思えるけど、自国の損害を最小限に留めて、最大限の戦果を手に入れるには、このぐらいやらないと駄目なんじゃねぇの?」


 裏から操ってラコルデール公爵家を破滅させれば、統治者を失った広大な領地がフルメリンタの物となる。

 王家の直轄地にするも良し、新たに戦功を上げた者を貴族として取り立て領地として与えるも良し。


 ラコルデール公爵を生かしておいては、そうした土地の利用は出来ない。

 つまり、宰相ユド・ランジャールは既に戦争が終わった後の事まで考えているのだろう。


「宰相がえげつないのは良く分かったけど、何でそんな話を新川を呼び出して聞かせたんだ?」

「それだよ……どうやら目を付けられているらしい」

「あー……御愁傷様」

「簡単に言うなよ。俺は血生臭い世界とは縁を切りたいんだよ。出来れば田舎で可愛い嫁さんとスローライフしてえんだよ」

「無理だな」

「切り捨てるな!」

「そもそも、嫁が見つかる未来が見えないからな」

「見つかるから、絶対に見つけるから!」

「まぁ、三森は富井さんと一緒に日本の食文化を伝えるという役目を担っていくみたいだし、銃と火薬については新川主導で開発を進めてきたのも事実だろう? しょうがねぇんじゃねぇの?」

「いやいや、別に俺は戦争とか目茶苦茶詳しい訳じゃないし、日本の戦国時代だって漫画で齧った程度の知識しか持ってねぇんだぜ。権謀術策渦巻くような世界では、俺なんか役に立たねぇよ」


 まぁ、いくらこちらの世界に来てから倫理観とか人生観が変わったとは言え、平和な日本で生まれ育った者にしてみれば戦争から遠ざかりたいのは当然だろう。

 その一方で、フルメリンタよりも遥かに科学技術が進んでいる日本の知識を宰相ユドが何としても取り入れたいと思うのも当然だろう。


「でも、最前線に行けって言われてる訳じゃないんだろう?」

「まぁ、それは無いみたいだけど、中枢の端っこには置かれそうな感じはするな」

「だったら、知識チートで戦争による人的な損害を最小限に抑えるのを目標にして、新川に出来ることをやるしかないと思うぞ。てか、あの宰相からは逃げられないだろう」

「だよなぁ……」


 俺から見ても、火薬と銃の製造を主導した新川は有能だと感じる。

 だからこそ、宰相ユドは近くに置いて新川という素材に磨きをかけようとしているのだろう。


「まぁまぁ、仕事の愚痴は聞いてやるから諦めろ」

「いいや、仕事の愚痴は勝手に吐きに来るから、嫁を何とかしてくれ」

「いいのか、俺にそんな事を言って?」

「どういう意味だよ」

「俺のところに出入りしている若い女性となると、貴族の御令嬢ばっかりだぞ。貴族社会にドップリ浸かることになるけど……」

「待った、やっぱり止めておく。霧風は俺の愚痴だけ聞いてればいいや。女は富井に紹介してもらう」

「あぁ、その方が妥当だとは思うが……」

「なんだよ、その含みのある言い方は!」

「まぁまぁ、飲め飲め、酔いつぶれたら庭に寝かせておいてやるから」

「おいっ! せめてソファーに寝かせろよな!」

「気が向いたらな」


 結局、この晩も新川と一緒にへべれけになるまで酔っぱらって、翌朝アラセリと和美にこってりとお説教を食らうことになった。

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