第228話 二重スパイの罠

 ユーレフェルトの王都にあるラコルデール公爵家の屋敷で、当主のオーギュスタンと雇い入れた諜報員シリノが密談を交わした翌日、ジロンティーニ公爵家を訪れた男がいた。

 シリノと同様に雇い入れられた諜報員のハシンだ。


 使用人用の出入口から屋敷に入ったハシンは、長時間待たされた後で、ようやく当主のベネディットと面談することができた。


「何かフルメリンタに関して新しい情報を仕入れられたのか?」


 雇い入れたものの、なかなか目新しい情報を持ち帰ってこないハシンに対して、ベネディットは素っ気ない口調で話し掛けたが、その返事を聞いて狼狽させられた。


「ラコルデール公爵が、フルメリンタへの寝返りを画策しているようです」

「何だと! それは本当か!」

「まだ、確たる証拠を掴んだ訳ではありませんが、ラコルデール家が雇い入れたシリノという男は私と同様にエーベルヴァイン家で諜報活動をしていた者で、そいつがフルメリンタと接触しているようです」

「馬鹿な……ラコルデールが裏切れば、ユーレフェルトは終わるぞ」

「ですが、事前に企てを暴けば、ラコルデールを潰せますよ」


 降ってわいたような話に取り乱すベネディットに、ハシンはニヤリと笑い掛けた。


「潰すだと……ラコルデールを潰したところでフルメリンタを利することに代わりは無いだろう」

「とんでもない! フルメリンタはまだラコルデール領に入っておりません。それに、このままフルメリンタと戦になれば、ジロンティーニ、ラコルデールの二つの指揮系統が出来上がって混乱するばかりです」


 ハシンは、今のユーレフェルトは頭が二つある蛇のようだと例えてみせた。


「頭が二つある蛇は、互いの意志が同じであれば何の問題もありませんが、違う方向を向いた途端身動きが取れなくなります。旦那はラコルデールとずっと足並みを揃えて動く自信がございますか?」

「それは……」


 自分の兄である前国王を暗殺すると決めた時、ベネディットはラコルデールと一蓮托生だと覚悟を決めたが、そのラコルデールは裏切りを画策している。

 この先も歩みを同じく出来るのかと問われれば、首を横に振らざるを得ない。


「だが、何の確証も無しにラコルデールを糾弾出来んぞ」

「勿論です。幸い、あっしはシリノの奴とは良く知った仲ですから、話を聞き出すのは造作もありません。ラコルデールがフルメリンタと密約を交わすとなれば、その使者として書簡を託されるのは間違いなくシリノです」

「そうか、その書簡を奪うのだな?」

「ええ、その通りですが、旦那のお許しが出るのであれば、シリノをこちらに引き入れてしまおうかと思っております」

「なるほど、書簡に加えて証言もさせれば、オーギュスタンも言い逃れ出来んという訳だな」

「へい、おっしゃる通りで」


 黙り込んだベネディットは、腕組みをして天井を見上げて考えを巡らせ始めた。

 二人いる王配の一人は、オーギュスタンの息子アリオスキだが、ラコルデール家の裏切りが明白になれば処刑は免れないだろう。


 そうなれば、残る王配はベネディットの息子アルバートのみとなり、ジロンティーニ家がユーレフェルトの実権を握るようなものだ。

 ただし、対フルメリンタという面でみれば、圧倒的に不利な状況に変わりはない。


「ラコルデールは潰す。証拠を握り次第潰すが、問題はその後だ」

「そこは旦那の交渉次第じゃありませんか?」

「交渉だと? 何処と何の交渉をしろと言うのだ。女王は奪われた領土を取り戻せの一点張りで、フルメリンタは着々とユーレフェルトを奪う気でいるのだぞ」

「旦那、片や世間知らずのお嬢様、片や海千山千の国王と宰相、どちらがまともに交渉出来る相手なのか分かり切ってますぜ」

「フルメリンタと交渉するのでは、ラコルデールと同じじゃないか」

「とんでもねぇ、あちらは自分の身が可愛くて国を裏切ろうって腹じゃないですか、こっちは女王を騙してでも国を存続させようとする交渉です。志が全然違いますぜ」

「志か……」


 裏切り者を誅し、志を胸に国の存亡を賭けた難解な交渉に挑む……ハシンの並べる言葉はベネディットにとってこの上なく魅力的に響いた。


「だが、ラコルデールの寝返りを阻止した者とフルメリンタが交渉するだろうか?」

「これまで、ユーレフェルトはフルメリンタにやられっぱなしでしたが、ラコルデールの寝返りを阻止すればフルメリンタは手強い相手だと考えるでしょう。むしろ、やられっぱなしの状況よりも、まともな交渉が出来るんじゃないですか」

「ふむ……なるほど」


 再び天井を見上げたベネディットは、お飾りの女王の陰で実権を振るう自分の姿を脳裏に思い描いた。

 同時に雇い入れたハシンは、思わぬ拾いものだったと認識を改めていた。


「確かに、フルメリンタはこちらを手強い奴もいると認識を改めるかもしれんが、圧倒的に不利な状況に変わりは無い。それでフルメリンタが納得するような条件を、こちらが示せるものか?」

「旦那、フルメリンタとて血みどろの戦をやりたい訳じゃありませんぜ。戦には金が掛かり、人が死に、土地を奪ったとしても統治するには手間が掛かる。それよりも、血を流さずに屈服させられるなら、そちらの方が良いに決まってます。だからオルネラスを唆し、今度はラコルデールを引き入れようとしている訳です」

「つまり、圧倒的に有利に見えても、実際にはフルメリンタも苦心しているのだな?」

「おっしゃる通りです。交渉の余地は十分にあるはずです」


 自信たっぷりに言い切るハシンに、ベネディットも満足そうに頷いた。


「ふむ……交渉が少しでも有利に出来るのは良いが、条件はどうする?」

「現状での国境線の確定でしょう」

「馬鹿な! それでは女王が納得しない」

「だから騙すんですよ、旦那。これはフルメリンタを油断させて、時間を稼ぐための和平条約だって。実際、時間を稼いでフルメリンタが油断すれば、銃や火薬の秘密が漏れて来るかもしれませんしね」

「それだ、その秘密は手に入らないのか?」

「厳しいですね。武器庫の見張りは厳重で、担当者は好待遇で雇われているようです。その上、万が一秘密が漏れた場合には厳罰に処すと言われているらしく、取り付く島がありません」

「それほど厳しいのか……」


 実際、フルメリンタの武器の管理は厳しいが、既に裏で通じているハシンは、警備を破ろうと試みてはいない。

 全ては、フルメリンタ側と打ち合わせた通りに報告しているだけだ。


「まぁ、戦が継続している状況ですから、厳しくなるのは当然でしょう。ただ、戦が終わって空気が緩めば、秘密が漏れる可能性も出て来るんじゃないですか」

「なるほど、ユーレフェルトが生き残るには、それしかなさそうだな」

「今の時点では……ですね」

「他の方法があるとでも言うのか?」


 ハシンは、自信に満ちた笑みを浮かべながら答えた。


「状況は常に変化していきます。こちらが優位に事を進めれば、当然選択肢も増えていきます。その場その場で、最善の選択をするのが旦那の仕事ですぜ」

「そのためには判断する材料が必要だ。ハシン、ラコルデールを潰せた暁には、今の倍の報酬を払う。必ずや決定的な証拠を押さえて来い」

「へい、ご期待に沿えるよう、上手くシリノの奴を引き入れますよ」

「頼んだぞ」


 会談を始めた時とは打って変わって、期待に満ちた視線を送ってくるベネディットに見送られ、ハシンはジロンディーニ家の屋敷を後にした。

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