第227話 諜報員の働き

 フルメリンタが国王と宰相を中心として着実に歩を進めている一方で、ユーレフェルトは迷走を続けている。

 父の跡を継いで王位に就いた女王ブリジットは徹底抗戦、領土奪還の姿勢を崩していないが、現実的な計画は二人の宰相に丸投げの状態だ。


 自らの体をダシに使い、二人の王配どちらの子を産むか競わせる形でフルメリンタ打倒の策を出させようとしているのだが……これはと思うような策が出て来ない。

 そもそも、二人の宰相が付け焼き刃で雇い入れた元エーベルヴァイン公爵の諜報員たちは、既に雇い主を裏切って手を取り合いフルメリンタと通じてしまっている。


 これでは、対抗する相手を出し抜くどころではない。

 フルメリンタ打倒のための有効な手立ても見つからないまま、無為に時間ばかりが過ぎていく。


 国の中枢がこんな状況では、国民の足並みが揃うはずもない。

 女王ブリジットの戴冠式で、フルメリンタへの宣戦布告とも取れる宣言を聞いて王都の観衆は歓喜の声を上げたが、現実を知る者は絶望的な思いに陥っている。


 現在の国境、セゴビア大橋の近くに暮らす者達などは、フルメリンタが本格的に攻勢を仕掛けてきたら一溜りも無いと感じている。

 先の戦の終盤、フルメリンタはコルド川の対岸から攻撃を仕掛けて来た。


 遥か遠方からの大砲による攻撃に対して、ユーレフェルトには対抗する術は無く、前線にて指揮を執る予定だった前国王は逃げ出した。

 戦いが再開された場合、国境線を守るためにはセゴビア大橋を落すしかないと言われている。


 そもそも、セゴビアは街道の要衝として栄えてきた街だ。

 ユーレフェルトとフルメリンタが戦争状態となり、街道の往来が途絶えたことで街の経済は急速に落ち込んでいる。


 更に、コルド川東岸地域から逃れてきた難民たちが街の周囲に勝手に住み着き、治安は悪化の一途を辿っている。

 戦争が終わり、街道の通行が再開されれば、そうした状況も解消されるかもしれないが、橋を落としてしまったら改善に長い時間が必要となる。


 国境を守るためには橋を落とすしかなく、橋を落とせば街は経済的に死を迎える。

 セゴビアの住民は打倒フルメリンタと盛り上がることは無く、コルド川東岸地域をフルメリンタに渡してでも戦を終わらせてくれと思う者が殆どだ。


 ただ、難民として逃れて来た者達の思いは、セゴビアの住民とは異なっている。

 川の向こう側に残してきた、家や土地などがどうなっているのか分からない状態が続いている。


 噂によれば、田畑では今年の作付が行われ、例年通りかそれ以上に青々と苗が育っているという話も流れてくる。

 自分の田畑を一体だれが使っているのか、出来た作物は誰のものになるのか、このまま時間が過ぎて行くほどに自分の権利が失われていく不安に駆られ続けている。


 一日でも早くコルド川東岸を取り戻してくれと思うのと同時に、それがいかに困難な事かも体感し、理解もしている。

 それならば、いっそ新しい土地での出直しを……と考えても、その日の食事を手に入れるのもやっとの状況では動くに動けない。


 国や領主からの配給も滞りがちで、腹を空かせた難民が盗みや略奪行為を働き、街の住民と対立する状況を招いている。

 街の住民にしても、難民達にしても、治安を維持しろと命じられている兵士達にしても、思うようにいかない状況に苛立ちを募らせている。


 セゴビアが身動き出来ないまま不満を募らせている一方で、王都の住民はフルメリンタ打倒を望む声を上げ続けている。

 最前線の悲惨な状況を知らず、長年に渡って対立していたフルメリンタに一方的に負けている状況に納得出来ないからだ。


 作物の刈り入れが終わる秋までには準備を終えて、反攻作戦を開始するはず……というのが王都住民の共通認識となっている。

 その王都住民が期待しているのが、ラコルデール公爵家だ。


 ユーレフェルトの王都にも、独立したはずのオルネラス共和国がフルメリンタの属国となったという話は届いている。

 今やユーレフェルトとフルメリンタの国境線はコルド川であり、ラコルデール公爵家の南側だ。


 王都への進軍を阻むためにも、ラコルデール公爵家が元オルネラス共和国を打ち破る期待を掛けられているのだ。

 そのラコルデール公爵家が王都に所有する屋敷の一室で、主であるオーギュスタン・ラコルデールが一人の男と密談を交わしていた。


 密談の相手は、雇い入れた諜報員シリノだ。

 二人の人間に置かれたテーブルの上には、空の薬莢が置かれている。


「使用前のものは無いのか?」

「旦那、これを手に入れるのも大変だったんですぜ」


 元オルネラス共和国に駐留しているフルメリンタの銃撃部隊を探った結果を語りながら、シリノは空の薬莢を手に入れるのに、いかに苦労したのか強調してみせた。


「そんなに警備が厳しいのか?」

「オルネラス共和国の連中も近づけない状態です」

「だが、訓練の様子は見れたのだろう?」

「あれは、むしろ見せつけているとしか思えませんぜ」


 シリノが語る銃の威力を聞くほどに、オーギュスタンの眉間の皺が深くなる。

 熟練の攻撃魔法使いよりも遥かに遠方から、正確に、安定して攻撃が出来る兵器を相手に、勝利を掴む道筋など見出せるはずもない。


「その銃というのは、どの程度の数があるのだ?」

「さぁ? 正確な数は分かりませんが、二千以上はあるんじゃないですか?」

「二千か、その程度ならば数で押し込めば……」

「旦那、現状の話ですよ。秋までに、どれほど増えるかなんて分かりませんし、奴らが大砲と呼んでいる武器もありますよ」


 銃の何倍、何十倍もの威力を発揮する大砲の性能を聞いて、オーギュスタンは頭を抱えた。

 ユーレフェルトが使えるのは、剣、槍、戦斧、魔法、それに攻城用の投石機ぐらいのものだ。


「あちらの陣営を内側から崩せないか? ルブーリ男爵やテルガルド子爵を味方に付ければ、最前線の後ろを突けるのではないか?」

「寝返った連中を更に寝返りさせるには、相応の利を示す必要がありますが、何を使って寝返りさせるんすか?」

「戦に勝利した暁には、オルネラス侯爵領を与えるとでも……」

「旦那、空の手形じゃ乗ってきませんぜ。戦に勝ったら、領土を取り戻したら、なんて仮定の報酬じゃ相手は動きません。そうですね、ラコルデール公爵の領地の半分を与える……とかなら食い付いて来るかもしれませんよ」

「ふざけるな! それでは私の方が領地が少なくなってしまうではないか!」

「今のフルメリンタ有利の状況で、相手を寝返りさせるなら、その程度の報酬は必要ってことです」

「ぐぬぅ……」


 オーギュスタンは、奥歯を噛みしめながら黙り込んだ。

 ユーレフェルトを取り囲む状況は、日に日に悪化の一途を辿っている。


 これまで静観の構えを崩さなかった、ユーレフェルトの西北で国境を接するミュルデルスが戦支度を始めているという知らせも届いている。

 フルメリンタとの戦いが本格化した時には、火事場泥棒的に領土を切り取ろうという算段だろう。


 西南で国境を接していたマスタフォについては、オルネラス共和国入りしたアントゥイ子爵家、マクナハン男爵家がフルメリンタの力を借りて睨みを利かせているらしい。

 敵国によって、自国の侵略が押し留められている状況だが、今となっては何でも利用させれもらうしかない。


「シリノ、何か良い方法は無いか?」

「ありますぜ、旦那」

「何だ、どうすれば良い!」

「フルメリンタに寝返るんです」

「馬鹿な! そんな事が出来るか!」

「やれば、領地の殆どを残せるんじゃないんすか?」


 実際、オルネラス侯爵も、それに追随した四家も、領地を削られたという話は伝わってきていない。

 それどころか、爵位もそのままで、頭の上に抱く王家がユーレフェルトからフルメリンタに変わっただけだと聞く。


「だが、私が見限ればユーレフェルト王家は消えて無くなるぞ」

「消える運命にある王国を手に入れようとして全てを失うか、それとも現状を維持して再起を目指すか、選ぶのは旦那ですぜ」

「だが、王家と姻戚関係となった私を簡単に受け入れるものか? 家臣と領民を安堵する代わりに処刑されたりしないか?」

「そこは交渉次第でしょう。冷たい言い方をしますが、王配となられた息子さんを切り捨てる覚悟があれば、この家は残ると思いますぜ」


 表情を変えず淡々と話を進めるシリノを見て、とんでもない怪物を雇い入れたのではないかとオーギュスタンは感じ始めていた。

 勿論、シリノの話は全てフルメリンタによって仕組まれたものだ。


 かつての主家であったエーベルヴァイン公爵家を自分達の利益のために潰したオーギュスタンが困惑する姿を、シリノは胸の中で大笑いしながら見詰めていた。

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