第220話 噂の領主

 日本の梅雨のような雨季を迎えたフルメリンタでは、ある領地が話題になっていた。

 コルド川の東岸地域の南側、かつてのユーレフェルト王国ベルシェルテ子爵領とコッドーリ男爵領を併合させた新たな領地には、竜神の加護が宿っていると噂されているのだ。


 その領地では、毎晩のように天をも焦がす巨大な火柱が噴き上がると言われている。

 単なる噂ではなく、領地に暮らす者ならば、頻繁に火柱を目撃しているそうだ。


 その火柱は、雪を抱く北の峰々よりも高く、雲を突き抜けて噴き上がるそうで、方向を見失った船乗りが目印として遭難を免れた事もあるという。

 また、火柱から放たれる強大な魔力の波動を恐れ、その領地からは魔獣が逃げ出し、住民や旅人の被害が激減したらしい。


 その領地の名は、バットゥーダ伯爵領というそうだ。

 火柱の正体は、竜の吐息ではなく、竜神の加護を授かったと噂されている領主の魔法だ。


 腕利きの魔導士を十人集めて集団魔法を発動させても、領主ヤーセル・バットゥーダが一人で放つ魔法の足元にも及ばないそうだ。

 ユーレフェルトとの戦で大きな功績を残し、伯爵の地位と共に与えられた領地に赴いた当初は、戦後の混乱によって治安が著しく悪化していた。


 ヤ―セルが最初に手を着けたのは、領地の治安回復だった。

 自ら兵を率いて、領内を荒らし回っている山賊を討伐したそうだ。


 捕らえられれば処刑をまぬがれないとあって、死に物狂いの反撃を試みた者たちは、ヤ―セルの魔法を食らって焼死体どころか消し炭にされた。

 領内の平和を乱す者に対しては厳しい姿勢で対処を行うヤーセルだが、領民たち対しては気さくに言葉を交わす温厚な領主であるそうだ。


 強力な魔法の使い手であると同時に、ヤ―セルは故事に明るい学者肌な側面がある。

 有事となれば強大な魔法で敵を打ち砕き、平時には書物に親しむ。


 苛烈にして温厚な若き領主は、古くからの住民に受け入れられただけでなく、移住を希望する者が後を絶たない状態らしい。


「ヤ―セル様、残っていたら入植地も希望者で埋まりましたぞ」

「もうですか、人手が整うのは有難いですが、いささかやり過ぎではありませぬか?」

「何をおっしゃいますか、武力で奪ってきた訳ではなく、自分の意思で移住を希望してくるのですから問題ございません」

「入植地の人手不足は解消されたのですから、もう噂を流のは止めておきましょう」

「噂話の流布は、とっくの昔に止めておりますよ。今流れているのは、民衆が自分達で流している純然たる噂話ですよ」

「それでは……」

「はい、止めようがありませんね」


 ヤーセルと言葉を交わしているのは、爵位と領地を授かった後、現地入りする際に宰相から与えられた補佐官ビルバオだ。

 年齢は三十二歳、痩せていて病気ではないかと心配になるほど顔色が悪いが、本人曰く至って健康だそうだ。


 ヤーセルも初対面の時には体調は大丈夫なのかと訊ねたが、顔色が悪いのは生まれつきだと聞かされて以後は、顔色で体調を訊ねるのは止めた。

 ヤ―セル自身、魔力が溜まり続けるという厄介な体質の持ち主だったので、事情を知らない人間から詮索される鬱陶しさを知っていたからだ。


 ビルバオは特徴的な外見を抜きにすれば、非常に有能な役人だった。

 新たな領地で最初に問題となる、土地の権利関係の問題を部下達と共に迅速に片付け、同時に戦争で失われた労働力の確保も行った。


 その施策の一つが、ヤ―セルに関する噂話の流布だった。

 ヤ―セルは、体質による魔法的な事故を防止するために、定期的に魔法を発動させて体内に蓄積されている魔力を下げる必要がある。


 その魔力放出のための魔法こそが、噂話の巨大な火柱なのだ。

 強力な魔法の使い手で、住民に優しく、賊に厳しい、若くして敏腕な領主を印象付ければ、入植を希望する者達が、自分から集まってくると計算したのだ。


 夜の闇を引き裂くような巨大な火柱というデモンストレーションも功を奏して、ビルバオが噂を流すように指示したのは最初だけで、その後は勝手に広まっていった。

 遭難し掛けた船乗りが目印に使ったという話も、最初は灯台代わりに使えるほどだと流しただけだが、伝わるうちに尾鰭が付いたらしい。


 山賊が消し炭になったというのは実話で、領内を視察していたヤ―セルを襲った間抜けな山賊は集まって来たところでヤ―セルの魔法を食らい、本当に消し炭になってしまった。

 事実と誇張が交ざり合い、面白おかしく噂話が広まったおかげで、バットゥーダ領は多くの入植希望者を迎え入れることが出来た。


 コルド川東岸地域では、フルメリンタとユーレフェルトの戦いに巻き込まれ、多くの農民が離散した。

 反体制派に同調し戦いに参加して命を落とした者、元の領主がユーレフェルトに退却するのに付いて行って戻れなくなった者など、どこの領地でも基本的な労働力が不足していた。


 ビルバオが噂を流したのは、この領地には強く有能な領主が赴任して、未来が明るいと宣伝することで、多くの入植者を確保するためだったのだが……。


「噂を止められないなら仕方ないが、領地を巡る度に手を合わせて拝まれるのは……」

「それも暫くの間でしょうから、我慢してください」

「仕方がない……噂が収まるまで我慢するとしよう」

「(いいえ、拝まれるのに慣れるまで我慢して下さい……)」

「んっ、何か言ったか?」

「いいえ……何でもございませんよ」



 ビルバオは、緩みそうになる口許を引き締めて次なる話題を口にする。


「これで領内の労働力については不安は無くなりましたので、そろそろ次の事案に着手いたしましょう」

「次か……次は何をすれば良い?」


 ヤーセルは、噂話の一件を頭から追い出して、次の話を聞く姿勢をとった。

 何事にも前向きに取り組むようになったのは、霧風優斗と知り合い、前向きな思考をアドバイスされてからだ。


 それまでのヤーセルは、魔力を放出できない体質について諦めて、考えることを放棄していた。

 霧風のアドバイスによって、体質を改善するだけでなく、膨大な魔力を活用する方法を見つけたおかげで、全てについて前向きに取り組むようになった。


 そうしたヤーセルの生き方をビルバオは好ましく思っている。

 何より、自分のコンプレックスである顔色の悪さを当たり前のように受け入れてくれた事に恩義さえ感じていた。


「労働力の不安が無くなった今、ヤーセル様には嫁取りをしていただきます」

「嫁っ! 私がか?」

「他にどなたがいらっしゃるのですか。伯爵となられて、領地を賜ったのですから、バットゥーダ家の未来を築いていただかねばなりませぬ」

「嫁……嫁かぁ……」

「まさか、嫌とは言いませんよね?」

「うん、嫌ではないよ。ただ実感が湧かなくてね」

「体質の事でございますか?」

「そう、この体質を持て余していた頃は、結婚なんて考えられなかったからね」

「ですが、克服された今ならば、問題はございませんよね」

「そうだね。出来ればキリカゼ卿のような円満な家庭を築きたいものだよ」

「それでは、ノルデベルド伯爵家との縁談を進めてもよろしいですね?」

「それは、宰相殿の推薦か?」

「はい、おっしゃる通りです。お断りしますか?」

「いや、進めてくれ。確かノルデベルド家は、元ユーレフェルトの辺境伯爵家だったな?」

「はい、その通りです」

「ユーレフェルトから寝返った後、フルメリンタとの繋がりを確たるものにしたいのであろう」


 ヤ―セルの推察は概ね正解だった。

 戦時に手出しをしないでフルメリンタへの従属したノルデベルド家と、戦で大きな功績をあげたヤーセルを結び付けることで地固めをしようという思惑だ。


「ノルデベルド家の御令嬢は、自分よりも強い男にしか嫁がないと公言されいるとか……」

「それはまた……私で満足するのかい?」

「ヤーセル様の魔法を見ても満足しないなら、一生嫁の貰い手は無いでしょう」

「私は、平穏な家庭が良いのだけどねぇ……」

「ヤーセル様、じゃじゃ馬は乗りこなすか、放逐するかのいずれかです」

「ふむ、ならば乗りこなしてみせるか」


 バットゥーダ家の主従は、ニヤリと笑みを交わし縁談を進めることにした。

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