第215話 宰相の先見
エステの腕が落ちるのは困るから、そろそろ施術を行いたいと和美から相談された。
俺としては、まだ子供との時間を優先しても良いのではないかと思うのだが、菊井さんと蓮沼さんが、やる事も無くダラダラしているのが気掛かりらしい。
それならばと宰相ユド・ランジャールに相談を持ち掛けると、とんとん拍子に話が進んでいった。
最初は、城で働いている中年女性に施術を行い、それを見物していた王妃様が施術を希望され、あっと言う間に貴族階級の女性達の間で話題となった。
和美が万全の状態で施術が行えるように、王城から乳母が派遣されてきて、我が家の夜泣き問題は一気に解決した。
我が家では、俺の痣を消す施術と和美のエステ、それに菊井さん達のマッサージの全部を行う場所が無いので、施術が行える大きな屋敷に引っ越す事になった。
これで、クラスメイトの生き残りは、全員職にありついて、生活していける目途が立ったことになる。
改めて、宰相に礼を言いに行くと、意外な事を頼まれた。
「俺たちの名前を貸すんですか?」
「はい、皆さんの名前を利用する許可をいただきたい」
「俺たちの名前なんて、何に使うんですか?」
「ユーレフェルトに賠償金の請求をいたします」
元の世界から勝手に召喚され、帰る方法も無く、こちらの世界で多大な苦労を強いられた。
その責任はユーレフェルト王国にあるのだから、賠償金の請求をフルメリンタが代行すると言うのだ。
「確かに、勝手に召喚されて、扱き使われ、悲惨な境遇に堕ちた仲間もいますが、何でフルメリンタが請求の代行をしてくれるのですか?」
「それだけ我々が皆さんに存在意義を感じているのも確かなのですが、本音を言うならばユーレフェルトに対する嫌がらせです」
俺たちの賠償金請求をフルメリンタが代行するのは、かなり苦しいとは思うけど、個人が他国を相手にするのは難しいし、一応筋は通っている。
一方で、請求されるユーレフェルトにしてみれば、国土の三分の一を切り取って侵略したフルメリンタから請求される謂れは無いと思うだろう。
勿論、その辺りを宰相ユドが承知していないはずがない。
「皆さんの名前を借りて賠償金の請求を行ったとしても、ユーレフェルトが応じるとは思えませんが、こうした責任の追及の積み重ねが開戦の切っ掛けに育つかもしれません」
「あの……どうして、そこまでユーレフェルトを攻め滅ぼそうと思っていらっしゃるんですか?」
「それは、ユーレフェルトが不安定だからです」
「でも、ブリジット王女が王位を継承したんですよね?」
「えぇ、傀儡の女王ですけどね」
ブリジットが傀儡というのは理解出来る。
俺がユーレフェルトに居た頃は、王位を争っているのは第一王子のアルベリクと第二王子ベルノルトで、第一王女のアウレリアが勘違いしているといった様相だった。
ブリジットについては四番手というよりも蚊帳の外という感じで、本人も王位を継ごうなんて考えているようには見えなかった。
他の三人が次々に姿を消すこととなったが、ブリジットに王位を継ぐようなカリスマ性は感じられなかった。
そうした感想を伝えると、宰相ユドは頷いてみせた。
「私のところに届いているブリジット女王の情報も、キリカゼ卿の言った内容と同じです」
「でも、傀儡であっても実権を握っている者がしっかりしていれば大丈夫じゃないんですか?」
「キリカゼ卿、それは違います。王が頼りなく、下の者が実権を握っていると、体制に歪が生じて必ずや乱れの元となります」
宰相ユドが言うには、前の王が即位した頃から、フルメリンタは懸念を抱き続けてきたそうだ。
「ユーレフェルトの前の王オーガスタは、三大公爵家の一つジロンティーニ公爵家の出身ですが、どこの家に対しても歯止めになれていませんでした。その最たるものが、国境の中州への襲撃です」
ユーレフェルトを警戒していたものの、まさか何の前触れも無しに侵略行為を始めるとは思っていなかったそうだ。
その結果としてユーレフェルトに一時的とはいえ、国境の中州全体を支配されることとなった。
「あの時に、我々はユーレフェルトに対する備えも覚悟も足りていないと思い知らされました。東の隣国カルマダーレのように、国内の政治状況が盤石で、なおかつ冷静な対話が出来る国であれば友好関係を築く方が良いのでしょうが、今のユーレフェルトでは駄目です」
現在のユーレフェルトは、三大公爵家の一つエーベルヴァイン公爵家が取り潰しとなり、残った二つの公爵家がブリジットを支えているらしい。
「既に、女王ブリジットとオーギュスタン・ラコルデール公爵との不仲が伝わって来ています」
「えっ? ラコルデール公爵家は確かブリジットの母親の実家じゃないんですか?」
「いいえ、元第二王妃シャルレーヌの母親の実家です」
「だとしても、以前からブリジットの後ろ盾だった家ですよね?」
「そうですが、今は我が国への対応を巡って反目しているようです」
ブリジットは一日でも早くフルメリンタからコルド川東岸地域を奪還すべきだという主張で、対するオーギュスタンは開戦に慎重な立場のようだ。
「現在、ユーレフェルトの実権はオーギュスタン・ラコルデール公爵とベネディット・ジロンティーニ公爵が握っているようですが、どちらも欲の皮が突っ張った連中です。私は、いずれこの二人も反目するだろうと思っています」
三大公爵家などと呼ばれていた頃には、派閥争いを繰り広げてきた二人が、いきなり手を組んで上手くいくはずがなかろう。
そこにブリジットを加えた三者が反目の度合いを強めていけば、ユーレフェルトという国は傾く一方だろう。
「でも、戦になれば多くの人が命を落とすことになりますよね?」
「それは、やり方次第です。戦で一番被害を被るのは弱い者達ですが、そうした者こそが国を支える力でもあります。いくら戦に勝ったとしても。国を支える力が失われてしまっては意味がありません」
宰相ユドは、賠償金のような揺さぶりを掛けて開戦機運を高めると同時に、調略を進めているそうだ。
その成果が、南部のオルネラス侯爵領の独立であり、それに追随した四家の貴族だ。
「この他にも、ユーレフェルトの貴族に寝返るように声を掛けています。そうした作戦を勧められるのも、銃や火薬といった新しい武器があるからです」
大砲と銃によって、フルメリンタはユーレフェルトに対して絶対的と言って良いほどのアドバンテージを築けたそうだ。
大河の対岸から攻撃したり、城の城門を容易く破ったり、兵士の鎧を貫通するような攻撃は、これまでは限られていた。
魔法にしても弓矢にしても、訓練を重ねてようやく威力を出せるのに対して、銃は引き金を引くだけで誰しもが同じ威力の攻撃が行える。
運用方法によっては弾薬不足などの弱点を晒す心配はあるが、単純な火力を考えるならばフルメリンタが負ける事態は考えにくい。
それだけに開戦機運が高まれば、無駄な損害を被るよりも条件が良い時に寝返ってしまった方が得だと考える者が出てくる。
「すでに北方の貴族の一部とは接触して、こちらに寝返るように説得を始めています」
「手応えはどうなんですか」
「まぁ、九分九厘こちらに寝返るでしょう」
「それでは、戦が始まる前に勝負は付いているのでは?」
「そのつもりでいます。キリカゼ卿、戦は始めるよりも終わらせる方が難しいのです。戦力が拮抗した状態で戦が長く続けば、双方が消耗して民の悲劇が増えるばかりです。相手から仕掛けられたのでなければ、終わらせる見込みも無しに始めるものではないのです」
自信たっぷりに言い切る宰相ユドには、戦後処理の過程まで見えているようだ。
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