第214話 日本の食文化

※今回は新川恭一目線の話になります。


「新川、ちょっと手を貸してくれ」


 休日、手を繋いで出掛けていったバカップルが何か持ち帰ってきたらしい。

 共同で借りている屋敷の外に出ると、何やら大きな箱を馬車から降ろしているところだった。


「なんじゃこりゃ!」

「冷蔵庫」

「はぁ? 冷蔵庫だ?」

「そうそう、なんか魔石を使って冷やすんだと。炊事場に運ぶから手伝ってくれ」


 言われてみればツードアタイプの冷蔵庫のようだが、なんというか色々と装飾が施されて家具のように見える。

 ドアには草花の彫刻が彫られているし、金具はピカピカだし、四本ある脚は猫足だ。


「これ、いくらしたんだよ」

「ん? 貰ってきた」

「はぁ? 貰ったって、タダでか?」

「あぁ、タダといっても日本の冷蔵庫の情報と交換だ」


 牛丼屋の開店を目論んでいる三森と富井は、調理器具などを扱っている店を見て歩いていて、この冷蔵庫を見つけたそうだ。

 こっちの世界にも冷蔵庫があるのかと、ドアを開けて中の様子などと見ていたら店員が話し掛けてきたので、あれこれ使いづらい点を指摘したらしい。


 話しの流れから、自分達の素性を明かして、日本ではもっと進んだ冷蔵庫が使われていたと話したそうだ。


「それで、継続的に情報を提供するのと、実際に使ってみた感想を伝える条件で、モニターになった感じだな」

「お前、ちゃっかりしてんな」

「いや、交渉の殆どは多恵がやったんだけどな」

「やっぱりか」


 俺たちが借りている屋敷の炊事場にも、一応冷蔵庫なるものがあるのだが、一番上に氷をいれて冷やす据え置き型のクーラーボックスみたいなものだ。

 貰ってきたという冷蔵庫を三森と一緒に炊事場に運び込んだ。


 これで氷を買わずに済むらしいが、気掛かりな事がある。


「三森、冷蔵庫を冷やすための魔石って、結構高いんじゃねぇの?」

「いや、魔力を充填できる人工的な魔石が出来たんだとさ」

「へぇ、そんなものがあるのか」

「おう、これにギューっと魔力を込めると充填できるらしいんだけど、残量表示とか無いから、どの程度魔力が残っているとか分からないんだよなぁ……」


 三森が取り出したのは、弁当箱を二つくっつけたぐらいの大きさの青黒い石みたいなもので、これが人工魔石らしい。

 持ってみると、ずっしりとした重みがあり、確かに魔力を流そうと意識すると吸われているような感覚がある。


「これ、どの程度充填するんだ?」

「さぁ? 込められるだけ?」

「なんだそりゃ、魔力が切れたらどうすんだよ。充填が終わるまでに温まっちまうんじゃねぇの?」

「一応、入れ替えられる予備があるんだけど、使いにくいのは確かだな」

「なんか、ホントに発展途上って感じだな……で、富井はなにしてるんだ?」


 俺と三森が冷蔵庫を運び込んでいる間に、富井は紙包みを開けて、何やら作業を始めている。


「あたし? 見ての通りスパイスの調合だよ」

「てことは、今日はカレーか?」

「あー、残念、今日は違うスパイス」


 富井は、牛丼屋を開店させるために、日本の食文化を伝えるという抜け道を用意する目的で、様々な料理の再現を試みている。

 その一つが、日本の国民食と言っても過言ではないカレーライスだ。


 当然、ルーから作らなければならないので、様々なスパイスを仕入れてきている。

 この前、富井が試作したカレーライスは、ちゃんとカレーライスになっていたが、本人は納得がいかなかったようで、スパイスの調合を変えて再チャレンジするらしい。


 今日は別のスパイスと言っていたが、ふわっと漂ってきた香りは日本にいた頃に何度も嗅いだ覚えのあるものだった。


「七味唐辛子か!」

「あったりー! どう? 香りはそれっぽいでしょ」

「やべぇ、うどん食いたくなった……」

「あるよ!」

「うそっ、マジ?」

「と言っても、これから打つんだけどね」

「マジで?」

「マジ、マジ、早く食べたかったら、打つの手伝ってよ。ほら、爪の間まで、よーく手を洗ってきて」

「マジかぁ……」


 日本だったら厚手のビニール袋に入れて踏むという方法が使えるが、こちらの世界にはビニール袋が無いから手で捏ねるしかない。

 三森と一緒に手を洗って炊事場に戻ると、調理台の上に大きな鉢が置かれていた。


「あぁ、これ知ってる。麺打ち用の鉢だよな……って、どこで見つけてきたんだよ」

「霧風の知り合いの工房に頼んで作ってもらった」

「マジで?」

「嫌なら食べなくていいぞ」

「いやいや、嫌じゃないし、美味い物が食えるならやるぞ」


 富井が小麦粉に塩水を混ぜて、そぼろ状にしてから十五分ほど寝かせたら、いよいよ捏ねの作業だ。

 生地を団子状にまとめたら、体重を掛けて圧し潰していく。


 二十から三十回、圧し潰して広げた生地をまた団子状にまとめたら、また体重を掛けて圧し潰して広げる。

 三森と交代で二回ずつ、合計四回捏ねたら、濡れ布巾を被せて寝かせる。


「富井、どのぐらい寝かせるんだ?」

「んー……二時間ぐらいかな」


 生地を寝かせている間に、富井は出汁を取り始めた。

 干した小魚の頭と腸の部分をむしり取り、乾煎りしてから水を張った鍋に浸す。


 三十分ほど置いてから火に掛けて、ゆっくりと沸騰させながら灰汁を掬い、五分程煮出した。


「やべぇ、出汁の匂いだけで美味そうなんだけど」

「なに言ってんだよ、新川。多恵が作ってるんだぞ、美味そうじゃなくて、美味いんだよ」

「はいはい、美味いのは分かったから、早く食わせてくれ。てか、肝心のうどんがまだか」


 富井は、取った出汁に布で包んだ物を入れた。


「それ、なに?」

「これ? これはひしお。醤油の素」


 富井の言葉通り、出汁の匂いに醤油の香りが加わった。


「くぅ……蕎麦屋の匂いじゃんかよ。早くうどんを切ろうぜ」

「うん、そろそろ良いかな」


 調理台の上を片付けて、寝かせておいた生地を延ばしていく。

 蕎麦ではないので、薄く延ばす必要は無いが、厚すぎても食いづらいだろう。


 延ばして、切って……だいぶ歪だけれど、うどんらしき物が出来上がった。

 あとは茹でるだけ……と思いきや、富井は玉ねぎを取り出して切り始めた。


 粉を溶いて、干しエビと一緒に混ぜる。


「かき揚げか!」

「素うどんじゃ寂しいじゃん」


 油を張った鍋を火に掛け、油が温まったところで、お玉から生地に絡めた具を箸で摘まんで油の上に広げていく。


「やべぇ、新川、やべぇぞ。この音と香り!」

「くっそ腹減った!」


 出汁の匂いに続いて、かき揚げを揚げる音と匂いは暴力的だ。

 さっきから腹が鳴りっぱなしで、胃が悲鳴を上げている。


 かき揚げを揚げ終えたところで、沸騰させておいた大きな鍋にうどんを投入。

 差し水をしながら茹で上がるのをジッと待つ。


 茹で上がったうどんを井戸水で〆て笊に盛り、食堂のテーブルへと急いだ。

 丼替わりに使っている陶器のボールに汁を注ぎ、かき揚げとマイ箸を用意したら準備完了だ。


「さぁ、食おうぜ!」

「待った、待った、何か忘れてない?」

「あぁ、七味唐辛子」


 小皿に取り分けた七味唐辛子を汁に散らし、まずはかき揚げからいただく。


「いただきます! んーっ! この歯ざわり、香ばしさ、玉ねぎの甘味、干しエビの旨み、美味い!」

「当り前だ、多恵が揚げたかき揚げだぞ……美味っ! やべぇ、美味すぎ!」


 久々に口にしたかき揚げの破壊力は、俺たちの想像を超えていた。


「ほら、うどんを忘れてないかい?」

「忘れた訳じゃないけど、このかき揚げの美味さにやられて……うどん、うまっ! この腰っ!」

「新川、ファルジーニをうどん県に改名させよう」


 ずぞぞっ……と啜って、ぐっと噛み締めるとパスタでは味わえない腰の強さを感じる。

 これを街で普及させたら、マジでうどん県と呼ばれるようになるかもしれない。


 そこからは、三森も俺も無言でうどんを啜り続けた。

 茹で上がった時には、大きな笊に山盛りになったうどんを見て、これは食いきれないと思ったのに、いざ食べ始めたらあっさり三人の胃袋に消えてしまった。


「ごちそうさまでした。富井、めちゃくちゃ美味かった」

「そりゃ、作った甲斐があったよ」

「多恵、次はカツ丼が食べたい」

「おーっ、いいな、俺も食いたい」

「はいよ、そんじゃあ次はカツ丼だね」


 富井のおかげで、休みの日には日本食が味わえる。

 次はカツ丼か……ならば砂糖を吐きそうになるバカップルぶりにも目を瞑ってやろう。

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