第212話 工作員の直感
ユーレフェルト王国新女王ブリジットが即位宣言を行った教会前の広場には、フルメリンタの工作員マテルも同僚のヘルゲンと共に、一般市民の振りをして紛れ込んでいた。
「ぐぉ……ヘルゲン、足踏んでる」
「おぉ、悪い。てか、身動きできないぞ」
「広場の端でこの有り様だ、テラスの前なんて圧し潰されそうだろうな」
マテルとヘルゲンが見物に来ているのは、新女王に対して市民がどんな反応を見せるのか確かめるためだ。
市民の反応がどうであれ、マテル達がやるべき事は決まっているのだが、それでもアプローチの仕方が微妙に変わってくる。
どのような方向に市民感情を誘導すればフルメリンタにとって有利に働くか、一番効率の良い誘導方法を考える上でも、生の反応を確かめておくことは重要だ。
「しっかし、いったい何人ぐらいの人が集まっているんだ?」
「さぁな、万を超えているのは確実だろうが、見当も付かん」
教会前の広場には、身動きが出来なくなるほど人が押し寄せていて、新女王の登場を今か今かと待ちわびている。
これだけの人が集まったら、解散するまでにも相当な時間が掛かるだろう。
「マテル……」
「なんだ?」
「広場の中央でトイレに行きたくなったら悲惨だろうな」
「ぶふっ……馬鹿、笑わすな」
「既に五、六人は漏らしてそうだな」
「ぐふぅ……マジでやめろよな」
マテルは必死に笑いを堪えたが、周りにいた見ず知らずの連中が堪えきれずに笑い始めた。
「貴様ら、何を笑っている。もうすぐ女王陛下がお見えになるのだぞ、静かにしてろ!」
広場の周囲を取り囲むように大人の肩ぐらいの高さの石積みが作られていて、その上に王国騎士が立って警備を行っている。
騎士が手にしている槍が届きそうな範囲にいる民衆は大人しくしているが、広場の中央にいる連中はガヤガヤと騒がしくしている。
そうした声も拾いに行きたいところなのだが、ギッチリと人が詰まっている状態で近付けそうもない。
「おい、始まるぞ!」
誰かの声に釣られて、見物に集まった者達の視線がテラスへと向けられた。
最初に若い貴族の男性二人が姿を見せて、その後から新女王ブリジットが姿を見せると、広場は大歓声に包まれた。
広場の周囲は、三階か四階建ての建物が取り囲んでいて、歓声は建物壁で跳ね返り、集まった群衆の数よりも遥かに多くの人が声を上げているように聞こえた。
「凄まじいな……」
「あぁ? なんか言ったか?」
「凄まじいなって言ったんだ!」
「あぁ、そうだな!」
ヘルゲンが声を張り上げないと、すぐ隣りにいるマテルが聞き取ることが出来ないほどの大歓声だ。
そんな市民の熱狂振りを目の当たりにして、マテルは自分が思っているよりもユーレフェルト王家の威信は揺らいでいないのではないかと感じたが、その考えは直後に改める事になった。
新女王の即位宣言ということで、てっきり女王自ら宣言するものだとマテルは思っていたが、実際に宣言を読み上げたのは式典を進めていた中年の貴族だった。
そして、遠く離れた位置からも、新女王が一瞬呆気に取られたような表情を浮かべたのが分かった。
「ブリジット陛下、万歳! ユーレフェルト王国、万歳!」
市民が上げる新女王と国を賛美する声も、サクラと思われる人物が誘導したものだと既にマテルは気付いている。
この様子では、新女王の即位も民衆の支持を得る役には立たなかったとマテルが感じた直後、それまで温和に見えていたブリジットが、突如激しい動きで歓声を遮った。
「私は、フルメリンタからユーレフェルト王国の栄華を取り戻す!」
広場の端に居るマテル達の耳にもハッキリと届いたブリジットの魂の叫びの直後、広場を埋めた民衆の歓声が爆発した。
体をビリビリと震わせる大歓声を浴びながら、マテルもまた会心の笑みを浮かべた。
「おぉぉぉ! ユーレフェルト王国、万歳! フルメリンタをぶっ潰せ!」
この新女王の宣言は使えると、マテルは直感的に判断した。
マテルの叫び声を聞いて、ヘルゲンが続く。
「フルメリンタを倒せ! 俺たちの土地を取り戻せ!」
打倒フルメリンタの声は、マテルとヘルゲンが叫ぶのを止めても、波紋のごとく広がって行き、フルメリンタを追い出せとか、ぶっ殺せなどに形を変えていった。
テラスからブリジット達の姿が消えたのを確認すると、マテルとヘルゲンは広場から離れていく人の流れに混じりながら声を上げ続けた。
マテルたちが宰相ユド・ランジャールから求められいるのは、開戦の口実を作ること、ユーレフェルト国内で内紛の種を蒔くこと、そしてユーレフェルトの国力を削ぐことだ。
その意味では、ブリジットの即位宣言は渡りに船だ。
現在、ユーレフェルトの貴族はフルメリンタに対して、敵対すべきか恭順すべきかで揺れている。
ユーレフェルトから独立したオルネラス共和国は、フルメリンタに対して友好的な立場を表明しているが、宰相ユドは利用するだけ利用したら、吸収し属国化するつもりだ。
一方で、ラコルデール公爵家やジロンティーニ公爵家などは、フルメリンタに対して徹底抗戦するつもりでいる。
更には、どっちつかずの立場で様子を窺っている連中もいる。
フルメリンタとすれば、ユーレフェルトが王族、貴族、平民が一体となって抵抗して来るのが一番厄介なパターンだが、マテルは王族と貴族の間に既に対立が生じていると感じていた。
広場を見下ろすテラスで中年貴族が読み上げた宣言文には、フルメリンタという言葉は一度も出て来なかった
逆に女王ブリジットは、フルメリンタを名指しで非難した。
おそらく新女王ブリジットは好戦派、女王を支える貴族達は厭戦派なのだろうとマテルは感じている。
「ブリジット女王はフルメリンタに宣戦布告なさったぞ!」
「女王陛下、万歳! フルメリンタに奪われた領土を取り戻せ!」
広場から離れる人の流れに揉まれながら、マテルとヘルゲンは勇ましく好戦的な言葉を叫び続けた。
マテル達に呼応して、フルメリンタ打倒を叫ぶ声が広がっていく。
女王を称え、敵対国を倒せという叫びだから、兵士や官憲に捕らえられる心配も要らない。
マテルとヘルゲンは祝賀ムード一色の街で、飯を食い、酒を飲みながら、ブリジットが宣戦布告を行ったような話を声高に続けた。
王都で暮らす民衆は、王家に対する反発よりも、フルメリンタに対する敵愾心の方が強い。
実際には、ユーレフェルトの方から戦端を開いているのだが、王都の民はフルメリンタが侵略してきたとしか思っていない。
しかも最初の戦いは、ワイバーンの渡りを利用して攻め込んできた卑怯な戦い方だったと信じ込まされているのだ。
「ちょっとは開戦の理由を作れたかな?」
アジトに戻った後でヘルゲンが訊ねてきたが、マテルは分からないと肩を竦めてみせた。
「あの女王の宣言は利用できるだろうが、民衆に動かされて戦に向かうかどうかは分からないな」
「宰相らしき男は、フルメリンタに触れたくないみたいだったしな」
「たぶん、ラコルデール公爵家の人間なんだろう。戦争が始まれば、真っ先に狙われる所だから気が気じゃないんだろう」
コルド川東岸地域での戦闘が一旦終結した時には、次の戦いはセゴビア大橋を巡る攻防になると思われていたが、オルネラス侯爵家の独立によって状況は一変した。
セゴビア大橋を渡らずとも、友好国であるオルネラス共和国経由で攻め込むルートが確立されたのだ。
そのルートで、国境を守る役目を担う事になったのがラコルデール公爵家だ。
元々ブリジットの後ろ盾であり、三大公爵家の一角としてユーレフェルトの政治の中心を担ってきたラコルデール公爵家が、フルメリンタの戦力を知らないはずがない。
「マテル、ユーレフェルトは秋までにどう動くと思う?」
「さぁな? そんな先の話は分からないが、秋の収穫が終わればフルメリンタは動くだろうな」
「まぁ、それは間違いないだろうな」
「だったら、俺らは引き際を誤らないようにするだけだ」
「あぁ、銃弾に倒れるなんて御免だな」
「それまでの間は、せいぜい王都を引っ掻き回させてもらうとしよう」
「同感だ」
女王ブリジットの戴冠式を見て、聞いて、フルメリンタの工作員二人は、秋の開戦は確実だと確信した。
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