第211話 戴冠式(後編)

 抜けるような青空の下、王城の建つ台地から街へと下る坂道に、パレードの先頭を務める騎士が姿を見せると、歓声がさざ波のように王都に広がっていった。

 事前に知らされたパレードのコースは、黒山の人だかりで十重二十重に取り囲まれている。


 ユーレフェルト王国では代々男性が王位を受け継いできたが、今回は初めて女性が王となった。

 二十数年振りの新しい王の誕生、それも初めての女王だから、いつもよりも煌びやかな行列が行われると前々から噂されてる。


 王都の住民だけでなく、近隣の街や村からも人が集まり、宿屋は連日満室。

 自分の家の空き部屋を有料で貸出したり、パレードが巡る通りに面した建物では、見物の出来る二階の部屋を高額で貸し出したりしている。


 ワイバーンの渡りによって亡くなった人達を慰霊する時にも、王族が参加した行列が街を巡ったが、あの時には華美な装飾は施されていなかった。

 それでも多くの人が押し掛けていたように、娯楽の少ない世界において王族や貴族の巡行は一大イベントだ。


 王家に対する感情云々ではなく、人々は珍しい物や美しい物を見たい、お祭り騒ぎを楽しみたいと思っているのだ。

 行列の先頭を務めるのは、乗り手も馬も磨き上げられた金属性の鎧を装備した重騎士で、ユーレフェルト王国の国旗を高々と掲げている。


 四列縦隊二十騎の重騎士に続いて、深紅の騎士服を身につけた近衛騎士が続く。

 四十騎の近衛騎士に続く四頭立ての馬車には、将来王配となるアリオスキ・ラコルデールとアルバート・ジロンティーニが乗り込んでいる。


 天蓋無しの馬車は、深みのある茶色の車体に金で王家の紋章と装飾が施されている。

 多くの民衆は、馬車に乗るアリオスキとアルバートがどんな人物か理解していないが、王家の紋章の入った馬車に乗っているのだから、王族なのだろうと感じていた。


 アリオスキとアルバートの乗った馬車の後には、近衛騎士二十騎が続き、その後に新女王ブリジットが乗った八頭立ての馬車が続く。

 朱色に塗られた天蓋無しの大型馬車には、更に煌びやかな金の装飾が施されている。


 従者の席よりも一段高く設えられた座席に、朱色のビロードに金糸の刺繍が施されたドレスを纏い、王冠をかぶったブリジットが座っている。

 誰の目から見ても、新しい女王だと分かる演出だ。


 ブリジットは、大きな宝玉が嵌め込まれた金の王錫を右手で支え、時折左右に視線を向けながら左手を緩やかに振って民の声に応えていた。

 見守っている民衆からは、ブリジットの所作は厳かなものに見えたが、単純に王冠や王錫、ドレスなどが重くて素早い動きができないだけだ。


 出発前は、民衆を前にして女王としての言葉を高らかに宣言するつもりでいたブリジットだが、衣装の重さに早くも気持ちが挫けそうになっている。

 金や宝石をふんだんに使った王冠は重く、下手に頭を動かすと首が折れるのではないかと思うほどだ。


 重たいのは王錫も同じで、宝玉が嵌った金の杖は、掲げるだけで腕が震えるほどだ。

 これぞ王位の重み……なんて単純な話ではないが、重さに負けて無様な姿を晒すようでは、この先も宰相たちに舐められ続ける事になるだろう。


 奥歯を食いしばりつつもブリジットは、表面上には笑みを絶やさず、馬車の上から手を振り続けた。

 ブリジットの乗った馬車の後には、近衛騎士二十騎が続き、その後には貴族達の馬車が続いている。


 貴族の馬車は、それぞれの家の騎士八人が先導している。

 騎士達の先頭を務めているのはラコルデール公爵家で、家の紋章が入った幌の開閉ができるカブリオレだ。


 ラコルデール公爵家に続くのがジロンティーニ公爵家で、その後に各貴族の馬車が続いていく。

 どの家の騎士や馬車も華やかに飾り付けが施されていて、沿道に詰めかけた民衆の目を楽しませた。


 パレードの車列は王都の目抜き通りを巡り、教会の裏手で一旦停止した。

 アリオスキとアルバートにエスコートされて馬車を降りたブリジットは、教会の内部を通って広場を見下ろすテラスに立った。


 ブリジットが姿を見せると、広場を埋め尽くした民衆から地鳴りのような歓声が湧き起った。

 体を震わせる音圧に押され、思わずブリジットは後退りをしかけたが、すんでのところで踏み止まった。


 民の声に驚き、退くようでは王の資格が無い。

 ぐっと表情を引き締めたブリジットが力強く踏み出し、王錫を高々と掲げると歓声は更に大きくなった。


「一度、王錫を降ろして一歩下がってください……」


 斜め後方からオーギュスタン・ラコルデール公爵に囁かれ、ブリジットは王錫を降ろしたが、その場からは動かなかった。

 オーギュスタンは、ほんの少しだけ眉を顰めたが、何事もなかったようにブリジットの右隣りに立つと、民衆に手振りで静まるように促した。


 オーギュスタンが両手を下に押さえつけるような手振りを繰り返すと、歓声は次第に収まり、潮が引くようにざわめきも消えて広場は静まり返った。

 民衆の声が消えたのを確認し、オーギュスタンは精一杯声を張って呼び掛けた。


「本日、ユーレフェルト王国第二王女ブリジット姫殿下は、亡きオーガスタ国王陛下の遺志を継ぎ国王となられた!」


 オーギュスタンが言葉を切ると、再び盛大な歓声が湧き起った。


「ブリジット陛下、万歳! ユーレフェルト王国に栄光あれ!」


 民衆の中に混じった騎士が声を張り上げて扇動する。

 ひとしきり歓声が続いた後、オーギュスタンは両手で静まるよう民衆に促した。


「ブリジット陛下はユーレフェルト国王に即位なさると同時に、アリオスキ・ラコルデール、アルバート・ジロンティーニの両名と婚約を交わされた」


 また盛大な歓声が湧き起ったが、ブリジットは民衆に宣言する内容を頭の中で繰り返していた。

 王家、貴族、そして民衆が一つとなり、フルメリンタに奪われた領土を、ユーレフェルト王国の栄華を取り戻す。


 そのための旗印を高く掲げることこそが、建国以来初めての女王となった自分の務めであるとブリジットは考えている。

 この舞台は、その決意を表明するためにあるとブリジットは心に決めていた。


 民衆の歓声が沈まり、いよいよ自分の出番だとブリジットが身構えた時に、オーギュスタンが今日一番の大きな声を放った。


「ここに、ブリジット・ユーレフェルト女王陛下は、古き習わしを廃し、親民と共に新しきユーレフェルトの栄華を築くことを宣言する!」


 広場を埋め尽くした民衆から爆発的な歓声が湧き起る中、ブリジットは一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 オーギュスタンが口にした言葉は、本来ブリジットが宣言するはずの内容だ。


「ブリジット陛下、万歳! ユーレフェルト王国、万歳!」


 民衆に混じった騎士が歓声を煽り続け、これまで歓声を抑える役を担っていたオーギュスタンはブリジットの後へと下がった。


「さぁ、国王らしき姿を見せてください……」


 オーギュスタンに囁かれ、自分の計画が潰された事をブリジットは悟った。

 ギシリと音が鳴るほど奥歯を噛みしめ、更に半歩テラスの手すりスレスレまで足を踏み出し、ブリジットは王錫を高々ち掲げた。


「ブリジット陛下、万歳! ユーレフェルト王国、万歳!」


 一段と民衆の歓声が高まる中、ブリジットは腕の震えを堪えながら王錫を掲げ続け、更に左手も高々と掲げた。

 民衆に向かって胸を張り、両手を掲げ続ける姿に民衆は新しい時代の到来を感じ熱狂した。


 一分、二分、三分……高まり続けていた歓声に、僅かな疲れのような緩みが感じられた瞬間、ブリジットは王錫を振り下ろしながら、左手を歓声を圧し潰すように振り下ろした。

 新女王の激しい動きに釣られて、民衆の声がピタリと止んだ。


「私は、フルメリンタからユーレフェルト王国の栄華を取り戻す!」


 昨日から考え続けてきた長い文章は全てかなぐり捨て、ブリジットは自分の胸の滾りを叫び、再び王錫を高く掲げた。


「ブリジット陛下、万歳! ユーレフェルト王国、万歳!」


 仕込みの騎士ではなく、名も知らぬ群衆の叫びが、この日一番の大きな歓声を導き出した。

 喚声に応え、ブリジットが王錫を掲げる後で、オーギュスタンが拳を自分の太腿に叩きつける。


 操り糸を切り捨てて自分の足で歩こうとする新女王と、思うままに操ろうとする宰相の初戦は痛み分けに終わった。

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