第209話 戴冠式(前編)

 戴冠式を明日に控えたユーレフェルト王国王女ブリジットは不満を抱えていた。


「こちらが民衆に対して行う宣言の内容です。長い文章ではないので、明日までに一言一句間違えないように覚えて下さい。よろしいですね?」

「分かったわ、オーギュスタン」


 前国王オーガスタが死去した後、ユーレフェルト王国は二人の宰相によって政務を取り仕切る体制が敷かれている。

 その一人であるオーギュスタン・ラコルデールから宣言の原稿を受け取ったブリジットは、内心とは裏腹な満足気な微笑みを浮かべてみせた。


 ブリジットの様子を確かめるように見詰めた後、オーギュスタンは一礼して退室していった。

 オーギュスタンが退室した後、手渡された原稿を再読すると、ブリジットは大きな溜息を洩らして口をへの字に引き結んだ。


『古き習わしを廃し、親民と共に新しきユーレフェルトの栄華を築くことを宣言する』


 オーギュスタンの言う通り、覚えるのに苦労するほどの文章ではないが、ブリジットは覚える気になれなかった。

 兄である第一王子アルベリクが暗殺された後、ブリジットは自ら王位を目指すとオーギュスタンに宣言した。


 その後、国の財務の要であったオーギュスタンに、税務調査を用いた第二王子派の締め付けなどを進言するなど、積極的に献策も行ってきた。

 そのまま政権の中での存在感を高めていくつもりでいたのだが、フルメリンタと再度の戦が始まった頃から、ブリジットの意見は採用されなくなった。


 ブリジットの献策自体がありふれたものであったのも事実だが、第二王子派への経済的な締め付けが負担となり、戦支度の足を引っ張っていたからだ。

 対立派閥の力を削ぐことが、結果として国力の低下を招いてしまったのだ。


 勿論、フルメリンタとは根本的な戦力格差が生じていたのだが、敗れた者が自分の責任を否定するには、他の要因を作るしかない。

 その責任の擦り付け合いの矛先が、巡り巡ってブリジットに向けられた格好だ。


「私をこのままお飾りにするつもりでしょうが、そうはいかないわよ」


 ブリジットは、オーギュスタンともう一人の宰相ベネディット・ジロンディーニの傀儡になる気はなかった。

 飾り物として扱われ、自分の考えも通せなかった前王である父のようにはなりたくなかった。


 だから戴冠式の日程を決める話し合いの席で、フルメリンタへの招待をどうするか決める際に、末席に並びたければコルド川東岸の占領地区を返却するように通知しろと命じた。

 オーギュスタン達は、この機会にフルメリンタの使者を招いて、相手の思惑を探るべきだと主張したが、侵略者を自分の戴冠式に招くつもりは無いと突っぱねた。


 その結果、フルメリンタからは、度重なる隣国からの侵略行為によって荒れ果てた国土を安定させ、自国の民を養うのに忙しく出席は出来ぬという返書が、祝いの品々と共に届けられた。

 フルメリンタと国境を接している国は、ユーレフェルトとカルマダーレの二国で、カルマダーレとの間に戦が起こったという話は伝わっていない。


 つまりは、侵略行為を働いたのはユーレフェルトであり、コルド川東岸地域はフルメリンタの領土であるという主張をされただけで終わってしまった訳だ。

 その上、フルメリンタから届けられた祝いの品々は、どれも一級品ばかりだった。


 ただし、その中に一つだけ、風変わりな品が交ざっていた。

 掌に載るほどの小さな木箱の中には、大人の中指ほどの大きさの金属製の品物が収められていた。


 鏡のごとく磨き上げられた金属製の品物は、先がくびれた円筒形部分に、先が尖った円筒形の部品がはめ込まれていた。

 金属製の品物は火薬を抜いた銃弾だが、ブリジットも、オーギュスタンも、ベネディットも、王宮にいる誰一人として、その正体と使い道が分からなかった。


 結局、戴冠式という機会が、フルメリンタにコルド川東岸の領有権と国力の充実を主張させただけで終わり、ブリジットに対する二人の宰相の評価は更に低下した。

 国民に対する即位の宣言についても、ブリジットは自分の言葉を伝える気でいたのだが、二人の宰相から貴族や民衆の気持ちを一つにまとめるために文言は調整すると言われた。


 そして手渡されたのが、当り障りのない短い文章だった。

 ブリジットは、オーギュスタンから渡された文章を丸めて、屑籠に放り込んだ。


 もう覚えてしまったのではなく、覚える気が無いから何度読んだところで頭に入ってこないだろう。

 オーギュスタンとの面談を終えた後、ブリジットは翌日の戴冠式の最終確認を淡々とこなしていった。


 ユーレフェルト王国の戴冠式は、最初に王城で貴族のみを集めた式典を行い、その後で王都を馬車で巡って国民に層の姿を知らしめるのが通例となっている。

 ただし、これまでは馬車で巡るだけだった式次第に、教会前の広場での即位の宣言が加えられた。


 これは、ワイバーンの討伐が終わった後の慰霊祭に参加した霧風優斗が、王族と国民の間に壁があるように感じたと話していたのを伝え聞いたブリジットが提案したからだ。

 フルメリンタとの戦が起こってから、王家に対する民衆の評価は下がる一方だ。


 中洲の領地を失い、コルド川東岸を失い、オルネラス侯爵には離反され、公式にはまだ認めていないが更に四家にまで離反された。

 この先も、急激な国力の回復が望めない中で、少しでも民衆からの支持を繋ぎ留めるには、新しい国王が民衆に歩み寄る姿勢を見せるべきだとブリジットは考えたのだ。


 この考えには、二人の宰相も賛同したが、宣言の内容だけこちらで考えると譲らなかった。

 オーギュスタンとベネディットにすれば、民衆からの支持は取り戻したいが、下手なことを口走られて、かえって評判を落とすような事態は絶対に避けたいのだ。


 ブリジットにすれば、駄々をこねて久しぶりに通った自分の意見を取り上げられたくなかったので、表面上は納得したように振舞い続けてきた。

 オーギュスタンが文言を準備しようが、実際に民衆の前で宣言を行うのはブリジットだ。


 本番で内容を変更すれば、国王の言葉を遮ることなんて出来やしない。

 ブリジットは、戴冠式の確認作業を行っている間も、独自の宣言の内容を考え続けていた。


 全ての確認作業を終えたところで、ベネディット・ジロンティーニが話し掛けてきた。


「ブリジット様、明日の宣言の文言は覚えられましたか?」

「大丈夫だ、心配するな」

「では、今ここで御披露願えませんか?」

「なんだ、私を疑ってるのか?」

「い、いえ、そういう訳ではございませんが……」

「まぁいいだろう……古い習慣を捨て、民と共に新しいユーレフェルトの繁栄を約束する!」

「かなり文言が変わっているような……」

「ベネディット、これは誰に対する宣言だ? 小難しい言葉ではなく、学の無い民でも理解できる言葉を使わないと意味がないだろう」

「それは、確かに……」

「言葉や言い回しは変わっても、伝える中身は変えておらぬから心配するな」

「はっ、失礼いたしました」


 ベネディットが一礼して離れていった後で、ブリジットはフーっと一つ息を吐いた。

 民衆に分かり易いように文言を変えたなどと伝えたが、実際にはうろ覚えで正確な文言までは記憶していなかっただけだ。


「ふふっ、明日楽しみだなぁ……」


 この後ブリジットは、たくさんの侍女にかしずかれながら入浴、着替え、夕食などを済ませて寝床に入ったが、なかなか寝付けなかった。

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