第207話 華燭の裏側
ユーレフェルト王国の王都エスクローデでは、街中が華やかに飾り付けられていた。
いよいよ明日は、王城でユーレフェルト王国初の女王ブリジットの戴冠式が行われる。
ブリジットの即位を祝し、明日から三日間は祝日とする旨のお触れが出された。
王都に住民として登録している者には、一人あたり五百ファル、日本円の感覚だと五千円程度の祝賀金が配られた。
ワイバーンの渡り、フルメリンタの侵攻など、暗い話題が続いていた民衆にとって、女王ブリジットの誕生は明るい兆しとして捉えられている。
それというのも、女王への即位と同時に、ブリジットが二人の王配候補と婚約すると発表があったからだ。
一人は、アリオスキ・ラコルデール。
もう一人は、アルバート・ジロンティーニ。
エーベルヴァイン公爵家が取り潰された後、ユーレフェルト王国の二大公爵家と呼ばれているラコルデール家とジロンティーニ公爵家の息子達だ。
即ち、これまで三大公爵家が後ろ盾となって行われていた王位継承争いが決着し、女王ブリジットの下に権力が一本化されたことを意味する。
勿論、権力が一本化されたところで、フルメリンタに対する軍事的な劣勢が覆る訳ではないが、それでも足の引っ張り合いで本来の力が発揮されないような状況からは脱却できる。
これまで、数々の噂話によって足下を揺さぶられてきたオーギュスタン・ラコルデールやベネディット・ジロンティーニは、そうした現状を積極的に喧伝した。
そして、ブリジットの戴冠式には、ユーレフェルト王国の貴族が一堂に会してパレードを行うというお触れも出された。
王都エスクローデの住民達は、いよいよユーレフェルトが反撃する時が来たのだと沸き立っていた。
パレードの話を聞き付けて、近隣からも多くの観光客が王都を訪れている。
王都内の宿屋は軒並み満室で、自分の家の一室を貸し出す、いわゆる民泊を行って商売する者も現れた。
王都を囲む城壁の外側では、野営を行う場所を巡って小競り合いが起こるほどの混雑をみせている。
人が集まれば、当然物が売れる、食い物、酒、土産物……戴冠式によって、王都エスクローデは空前の好景気を迎えていた。
このところ続いていた不祥事の数々を前国王に押し付けて、新女王ブリジットの戴冠式によって民衆の支持を取り戻すという思惑は一応成功したかのように見えた。
だが、王城で顔を突き合わせているオーギュスタン・ラコルデールとベネディット・ジロンディーニの表情は冴えない。
冴えないどころか、苦々しげに歪められていた。
「アントゥイ子爵もだと! どうなってるんだ!」
「怒鳴らなくても聞こえている、落ち着けオーギュスタン」
「カラブエラ伯爵は?」
「既に王都に到着しているし、昨晩会ったから大丈夫だ」
「そうか、これで四家……いや、ザレッティーノを加えると五家か」
「民衆は、どこの家が来ていないなど分かるはずもない。粛々と戴冠式を進めれば良い」
「そうだな……というか、そうするしかないな」
女王ブリジットの戴冠式には、ユーレフェルト王国の貴族が一堂に会するはずだったが、欠席の通知をしてきた貴族が五家もあった。
その一つ、ザレッティーノ伯爵は取り潰されたエーベルヴァイン公爵の子飼いであった経緯から、先代アンドレアス・エーベルヴァインの忘れ形見カテリーナの復権を訴え続けている。
王家にとっては厄介な火種であることに変わりはないが、同調する者もおらず、孤立した状態ではあって今のところ心配はない。
それよりも深刻なのは、残りの四家だ。
ルブーリ男爵家、テルガルド子爵家、アントゥイ子爵家、マクナハン男爵家、この四家は単純に欠席するだけではなく、ユーレフェルト王国を離れてオルネラス共和国に所属すると通達してきたのだ。
ルブーリ男爵家とテルガルド子爵家は、ユーレフェルト王国からの独立を勝ち取ったオルネラス侯爵領の北に位置し、ラコルデール公爵家との間に位置している。
マクナハン男爵家はオルネラス侯爵領の西に位置し、その北に位置するのがアントゥイ子爵家だ。
この四家が加わると、ユーレフェルト王国の南側は完全にオルネラス共和国の支配地域となる。
「なにがオルネラス共和国だ。フルメリンタに寝返っただけではないか!」
オーギュスタン・ラコルデールは、机に広げられたユーレフェルト王国の地図を眺めながら、腹立たしそうに吐き捨てた。
「そんな事は分かっている。問題は、これ以上の離反をどうやって食い止めるかだ」
「フルメリンタの新兵器は手に入らないのか?」
「実物はまだだが、情報は入ってきている」
「同じものを作れそうか?」
「無理だな……火薬なる物の作り方が全く不明だ」
ルブーリ、テルガルド、アントゥイ、マクナハンの四家がユーレフェルトからの離反を決めた理由は、フルメリンタの軍事力にある。
今は平和な状態が続いているが、先の戦においてユーレフェルトとフルメリンタの戦力格差は明らかだった。
その上、オウレス・エーベルヴァインが率いる一群が、フルメリンタの銃撃部隊に完膚なきまでに叩きのめされ全滅している。
停戦状態に入った以後、ユーレフェルトとフルメリンタの戦力差は縮まるどころか広がっていると証明するような出来事だった。
ユーレフェルトの貴族から見て、フルメリンタが進軍を止めた理由は明白だ。
新たに支配地域に加えたコルド川東岸地域で農作物の生産力を取り戻し、民衆の生活を安定させてフルメリンタによる支配を確固たるものとするためだ。
実際、一昨年は荒れ果てていたはずの地域でも、既に耕作が再開されて青々と作物が育ち始めているという噂はユーレフェルトにも届いている。
そうした作物が実り、刈り入れが終わった秋には、フルメリンタが侵攻を再開する可能性が高くなる。
その時に、敵に回るのか、それとも同盟国としての処遇を手に入れるのか。
四家は後者を選んだという訳だ。
もう一つ付け加えるならば、アントゥイ子爵家とマクナハン男爵家は、西の隣国マスタフォの脅威にも晒されている。
オルネラス共和国に加わったのは、マスタフォの撃退にフルメリンタの力を借りられれば……という思惑も働いている。
「どうするんだ、ベネディット! これでは、フルメリンタの連中はコルド川を渡るどころか南から陸路で攻め入って来るぞ!」
「分かっている!」
「いいや、分かってない! 奴らがこの王城を目指すなら、真っ先に矢面に立たされるのは、我がラコルデールなんだぞ!」
フルメリンタがオルネラス共和国経由で王都エスクローデを目指すなら、最短ルートはテルガルド子爵領、ルブーリ男爵領、ラコルデール公爵領を抜ける経路だ。
テルガルド子爵家とルブーリ男爵家が寝返れば、オーギュスタンが治めるラコルデール公爵領が最前線となるのだ。
「国軍を配置して、秋までに要塞を築くしかないだろうな」
「他人事だと思って、そんな悠長なことを……」
「何を言ってる、私のところだってカラブエラ伯爵が寝返れば同じだ。そもそも、ラコルデールが落ちれば王城を守りきれなくなる」
「だから、どうするのだと聞いているのだ!」
「可能な限りの支援は出す。戴冠式が終わり次第、街道の要衝に砦を築け。どこが防衛に適しているのか、一番知っているのはそなたなんだぞ」
「分かっている! 既に場所の選定を行わせている。いくら女王という傀儡を手に入れても、国が無くなったら話にならん」
「そうだ、我々はこの国の全てを動かす権限を手にいれたのだ。滅びてたまるか」
オーギュスタンとベネディットは華やかな戴冠式の裏側で、フルメリンタに対抗する絶望的な戦いの準備を始めた。
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