第200話 手を下す
出自不明の赤ん坊をエーベルヴァイン公爵の忘れ形見だと、ビョルン・ザレッティーノ伯爵家へ運び込んだフルメリンタの工作員マテルは、噂話を撒き散らしながらユーレフェルトの王都まで戻った。
同じ様に王都に潜伏しているフルメリンタの工作員たちと合流して、さらに噂話を広めてユーレフェルトの屋台骨を揺さぶっていたのだが、ここに来て状況が変わり始めた。
次期国王の座をほぼ手中にしている第二王女ブリジットを支えるオーギュスタン・ラコルデール公爵とベネディット・ジロンティーニ公爵は、王家の威信を取り戻すために強権発動という手段を選んだ。
王家を批判する内容の話をしている者を見つけ、捕らえ、処罰し始めたのだ。
処罰の内容は、素直に罪を認めれば厳重注意だが、王家批判を止めないものは拘束、そこで罪を認めれば罰金刑、それでも王家批判を続ける場合には懲役刑に処された。
王都の街には官憲の取締官や兵士が配置され、道行く人たちの言動に耳を澄ませ、目を光らせ始めた。
こうなると噂話を撒いて歩くのは逮捕拘留のリスクを伴うことなる。
噂が意外に早く下火になったもう一つの理由は、ビョルン・ザレッティーノ伯爵に人望が無かったことだ。
アンドレアス・エーベルヴァイン公爵が国王に無断で国境の中州に奇襲を行って以後、旧第二王子派は数々のヘマをやらかしてきた。
その中にはビョルン・ザレッティーノが関わってきた事もある。
最初の戦で霧風優斗を引渡して講和が成立した直後、フルメリンタの馬車に向かって集団魔法を撃ち込んだのもビョルンの指示だった。
そうした理由から、ユーレフェルトが衰退した原因の一端はビョルンにあると考える者が一定数存在するのだ。
王家には不満があるが、これ以上の争乱も望まない。
どちらも積極的に支持しないが、どちらを選んだ方が国が安定するかと考えると、王家を選ぶという結論に至るようだ。
強権的な取り締まりによって王家を批判する噂話が下火になり始め、マテルたちフルメリンタの工作員は方針の転換を余儀なくされた。
選んだ方法は、偽兵士による偽の取り締まりだった。
ユーレフェルトの兵士達による取り締まりは、昼間だけでなく夜の街でも行われていた。
噂話は夜の街で活発に語られ、広まっていたからだ。
「面倒だが手を下すしかないか……」
工作員にとっての理想の形とは、噂話を撒くだけで敵同士で内紛を起こすように仕向けることだが、その噂を封じられたら自分で動くしかない。
マテルたちは兵士の制服を盗みだし、兵士を装って街を巡回し、気弱そうで善良そうな市民を選んで難癖をつけた。
「お前、王家を批判する内容の話をしていただろう」
「い、いいえ、王家の批判などしておりません」
「嘘をつくな、お前らはオーガスタ様を愚弄するような話をしていたのだろう?」
「してません! 王家の批判なんて、とんでもない!」
「あくまでとぼける気だな、よし、続きは詰所で聞かせてもらう。立て!」
そうして捕まえた市民を路地裏に引き入れ、見逃してもらいたくば払うものを払え……嫌なら何日も、何月も、何年も自由に出歩けなくなると脅し、金品を強請り取った。
裏通りの小さな店を選び、この店で王家を批判する話を客に伝えていると聞いた……などと因縁を付け、金や商品まで奪った。
その上で、自分達の働いた悪行を噂話として広めていく。
完全なマッチポンプではあるが、マテルたちの悪行のおかげで、民衆の兵士に対する感情は一気に悪化した。
これに対して、ブリジットを支えるオーギュスタン・ラコルデールとベネディット・ジロンティーニが選択したのは、取り締まりの強化だった。
強権発動によって、王家の悪い噂を封じ込めつつあったので、もう一段階強化すれば騒ぎは収まると考えたのだ。
兵士による強請りたかり行為は、偽兵士による犯行だと発表したが、既に王家の信用が失墜していたせいで、民衆からは責任逃れのための嘘だと受け止められてしまった。
取り締まりの強化も、兵士の不祥事を誤魔化すためだと思われてしまった。
マテルたちは、兵士の目を盗んで更に悪行を重ね、金品の強奪だけだなく、女性に対する性的な嫌がらせも行った。
金品の奪取は取り返せば良いが、嫁入り前の娘が純血を汚されたといった取り返しの付かない話は、民衆の怒りの火に油を注いだ。
民衆と兵士の対立が先鋭化したところで、マテルたちは兵士の暗殺に手を出した。
夜間に街を巡回している二人組の兵士を路地裏に誘い込み、取り囲んで殺害。
死体には、この者たちは婦女子に卑劣な行為を働きし者なり……というメッセージを記した紙を残した。
メッセージの内容は、兵士の死体を最初に発見した民衆によって広められ、その結果として兵士を殺害した犯人を称えるような噂が流れ始めた。
「面白いねぇ……俺らが流さなくても勝手に噂が流れていく」
兵士達は仲間を殺害した犯人を捜そうと躍起になり、更に民衆の反発を買うことになった。
ギスギスとした空気の中、官憲や兵士達による捜査は何の進展も見せず、重苦しい雰囲気が漂い出した頃を狙って、マテルたちは王城を挟んだ反対側で再び兵士二名を殺害した。
遺体には、この者たちは咎無き民から金品を奪いし者なり……というメッセージに、憂国団なる架空の組織の名前を書き添えた。
最初は王都の北西、二件目は南西、次はどこなのか、憂国団なる組織は何なのか、兵士たちは血眼になって街を歩き回った。
少しでも怪しいと感じる者がいれば、身元照会を行い、疑いが晴れなけば家宅捜索まで行う徹底ぶりで、マテルたちも網に引っ掛かったが、海野和美たちと取り引きのある貿易商という表の顔を確立していたので、正体はバレなかった。
そしてマテルたちは、三件目の兵士殺害を一件目と同じ王都の北西で行った。
勿論、手掛かりすら見つけられない兵士を揶揄するためだ。
その結果、王家は兵士たちからの陳情を受けて、市民の夜間外出を禁止した。
日没以後は、特段の理由も無く外出することを禁じ、違反者は問答無用で連行されて取り調べを受ける羽目になった。
当然、夜間の営業がメインの酒場や食堂などは売上が激減し、夜に遊び歩く楽しみを奪われた者達も不満を募らせた。
民衆に対する締め付けが強化される一方で、貴族たちは盛んにパーティーを開いていた。
エーベルヴァイン公爵家が取り潰され、ラコルデール公爵家とジロンティーニ公爵家が手を組む新しい権力体制への移行が確実となれば、その中で誰と組めば自分の家を安泰させ、発展させていけるか腹の探り合いが行われている。
人間が三人いれば派閥が出来ると言われるように、どうやって派閥の長の座に収まるか、あるいは誰の下につけば一番美味しい思いができるか、華やかなパーティーの空気とは裏腹に、駆け引きは泥沼の様相を呈していた。
だが、そんな裏の状況まで知らない民衆は、自分達が外出を禁じられている間に貴族達は連日のようにパーティーを開いていると聞いて反感を強めていった。
「なかなか火が着かないもんだな……」
コルド川東岸地域で反乱軍の手助けをしていたマテルから見ると、民衆の燻っている不満が、反乱という大きな火にならない状況はもどかしいと感じていた。
「餓死するかもしれない……なんて不安がある訳じゃないからな」
コルド川の東側では、マテルたちが偽の食糧徴収などを行い、農民を餓死寸前まで追い詰めて、その上で反貴族派に勧誘を行っていた。
死ぬか生きるかの瀬戸際で手を貸してくれる人間に協力したいと思うのは当然だ。
逆に、そんな状況に自分たちを追い込んだ相手を憎むのも当然だ。
だが、王都の民衆は、不満を抱えつつも何とか生活は維持している。
命を懸けてまで戦う理由が存在していないのだ。
「もう一押し、いや、あと二押しぐらい必要か……」
マテルは工作員の仲間と共に、ユーレフェルトの崩壊を加速させる一手を模索し始めた。
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