第196話 噂話

 アンドレアス・エーベルヴァインの忘れ形見カテリーナだと称する赤ん坊を手に入れたビョルン・ザレッティーノは、エーベルヴァイン公爵家の復権を歎願する行動を始めたが、思うように進んでいない。

 王家は国王オーガスタ崩御を発表し、喪に服するために全ての行事を中止した。


 国を保つ上での行政措置は継続するものの、歎願などの真偽は全て中断された。

 オウレス・エーベルヴァインの処罰が不当であるというビョルンの訴えも、審議が行われずにいる。


 ビョルンへの対策を検討していた国王派のベネディット・ジロンティーニ、第二王女派のオーギュスタン・ラコルデールは、まず結論を先延ばしにする作戦に出た。

 国王オーガスタの服喪期間の後、第二王女ブリジットの女王即位やジロンティーニ家、ラコルデール家との婚姻の成立などの慶事を発表し国の安定をアピールする計画だ。


 厭戦感が高まっている国民に国の安定をアピールすれば、それを乱す訴えに対しての印象は悪くなり、自分達にとって有利に物事を進めやすくなると判断したのだ。

 これによってビョルン・ザレッティーノは、またしても振り上げた拳の下ろしどころを失ってしまった。


 ビョルン自身、手元にいるカテリーナが本物だとは思っていないのだから、審議ともなれば劣勢に立たされる可能性もあると踏んでいる。

 それでも審議が行われれば、今まで王家が行ってきたでっち上げを追及することが出来るのだろうが、審議が開かれなければ話にもならない。


 元第二王子派だった貴族に送った書状に対する反応も思わしくなかった。

 フルメリンタに奇襲を仕掛けて以後の王家の失態には多くの貴族が不満を抱いていたが、その張本人である国王オーガスタは崩御した。


 それが、全ての責任をオーガスタに押し付けるための暗殺だったとしても、次の国王はオーガスタよりもまともだろうと期待する者もいる。

 何よりも、国王崩御の知らせが、ユーレフェルト王家、ラコルデール公爵家、ジロンティーニ公爵家の連名で行われたことに貴族達は注目した。


 これまで両公爵家は、水面下で対立していたことは公然の秘密でもあった。

 エーベルヴァイン家無き後、二大公爵家となった両家が手を携えるならば、オーガスタの時代よりはまともな統治が行われると多くの者が考えた。


 フルメリンタとの度重なる戦によって、多くの貴族の家計は逼迫している。

 今は対立よりも融和、協力して国を立て直すべきだという意見が大半を占めている。


 もう一つ、ザレッティーノ伯爵領が国の端に位置していることが、歎願に不利に働いている。

 現在のザレッティーノ伯爵領は、元々は第一王子派だったシルブマルク伯爵領で、国の北西の端に位置している。


 王都から遠く離れた領地は、何をするにも距離が障害となって立ち塞がる。

 それに、周囲を囲む領地は、全て元第一王子派か国王派の貴族ばかりだ。


 転封された当初、東隣は第二王子派のオルベウス・グランビーノ侯爵の領地だったが、オルベウスはフルメリンタに奇襲を仕掛け、コルド川東岸を奪われる切っ掛けを作ったとして取り潰しになった。

 戦後は、元第一王子派で戦によってコルド川東岸にあった領地を失ったセルキンク子爵に与えられている。


 セルキンク子爵は、最初の戦でフルメリンタを撤収させる切っ掛けを作り、二度目の戦ではフルメリンタの侵攻をいち早く伝えた功績が認められた形だが、実際には派閥の綱引きの結果として国王派から譲歩された結果だ。

 第一王子派を引き継いだ、第二王女ブリジットにも恩があり、国王派にも恩義を感じているセルキンク子爵がビョルンの味方になる確率は限りなくゼロに近い。


 思い通りに事が運ばず、苛立ちを募らせていたビョルンを更に不機嫌にさせる出来事があった。

 カテリーナと称する赤ん坊を連れて来たマテルの姿が、ザレッティーノ伯爵家から消えた。


 フルメリンタの工作員であるマテルは、自分の身に迫る危険を敏感に感じ取っていた。

 ビョルンにとってマテルは、カテリーナの秘密を知る者であり、敵に回ったり、敵に捕まったりすれば面倒な事になるのは目に見えている。


 ビョルンは、逃亡したマテルを探させたが、杳として行方は分からなかった。

 逃亡したマテルは、屋敷を出た直後から腰の曲がった老爺に変装して、無事にザレッティーノ伯爵領から脱出して王都に向かっていた。


 行きがけの駄賃とばかりにザレッティーノ家から盗み出した金品を使い、針や糸などの小間物を仕入れて行商人になりすました。

 フルメリンタの工作員であるマテルにとって、この手の変装はお手の物で、商売をしつつ様々な噂を撒いて歩いた。


 ある村では、ザレッティーノ家にいるカテリーナこそが、かつて三大公爵家と呼ばれたエーベルヴァイン家最後の正統後継者であり、王家の策略によって不遇を囲っているかのように、お涙ちょうだいの物語を作り上げて広めていった。


 また別の村に立ち寄った時には、カテリーナは真っ赤な偽者で、ビョルン・ザレッティーノが後継者としてエーベルヴァイン家の財産を手に入れようと画策しているのだと話して回った。

 面白おかしく物語仕立てで話すマテルの筋書きは、村人から村人、旅人へと広まっていく。


 全く異なる筋書きを広めているのは、人々の間で対立を引き起こすためだ。

 片方の話ではザレッティーノ家が正義で王家が悪、もう一方の話では立場が逆転する。


 人々は、当然のように正しいと思うものを応援するし、自分が正しいと思っているものが批判されれば反発する。

 対立が起これば、それを切っ掛けに更に話が広まり、多くの者が納得する答えを求めるようになる。


 だが噂を広めているマテルにとっては、対立こそが目的であり、その後の結末がどうなろうと構わないのだ。

 行商を続けながらユーレフェルトの王都まで戻ったマテルはフルメリンタに経過を報告すると、同僚と共に街に出て更に噂を広め続けた。


 マテル達は、王都で広める噂は王家の方針を疑問視するものに絞った。

 カテリーナの正統性を疑うものではなく、自らの失態を隠すためにオウレス・エーベルヴァインぬ濡れ衣を着せて処刑した王家の非道さを問うものだ。


 第二王女ブリジットや後ろ盾に対しても、民の厭戦感に付け込み、オーガスタに全ての罪をなすり付け、事を有耶無耶にしようとしていると批判の矛先を向けた。

 フルメリンタとの大きな戦いも終結し、話のタネに事を欠いていた王都の民は、この噂話に飛びついた。


 悪辣な王家と悲劇の公爵令嬢という構図は、王都民の退屈を紛らわすのに持って来いだった。

 マテルたちは噂話に、公爵家の財産を略奪した第二王女とか、実の兄に罪を着せて暗殺したジロンティーニ公爵といったバリエーションを混ぜた。


 噂話が広まっていくと、マテル達が広めた訳ではないのだが、カテリーナの正統性を疑う噂が王都でも広まり始めた。

 マテルが王都以外で広めた噂を聞いた旅人が王都の人間に話したものもあるが、多くはオーギュスタン・ラコルデールとベネディット・ジロンティーニが画策して広めたものだ。


 そもそもカテリーナの噂が広まること自体、オーギュスタンとベネディットにとっては厄介事だが、それ以上に次期国王ブリジットの評判が低下することの方が痛手になると判断したのだが、手を打つのが少々遅かった。


 既にオウレス・エーベルヴァインの罪は濡れ衣であったという評価が定まっている状況で、カテリーナの正統性を疑う噂を広めることは、無辜の罪で幼い子供の命まで奪った王家の残虐さを裏付けることになってしまった。


 ユーレフェルトの王都では、王家に対する不信感が日増しに高まり、王国の屋台骨が揺らぎ始めていた。

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