第195話 疑惑の忘れ形見

 ユーレフェルト王国の北西に位置するザレッティーノ伯爵領では、奇妙な状態が続いている。

 領内へと続く街道を完全武装したザレッティーノ家の兵士が封鎖しているのだが、

一向に敵が攻めて来る気配が無いのだ。


 最初は物々しい出で立ちの兵士に恐れをなして、街道を通ろうとする者はいなかったのだが、三日経ち、五日経ち、日にちが経過しても戦闘が始まる気配が無いと知ると、通行を願い出る者が現れた。

 当初、兵士も通す訳にはいかないと断っていたのだが、行商人などは生活に関わるので、積み荷は全部調べてもらって構わないから通してくれと頼み込まれて断りきれなくなった。


 それ以後、物々しい格好の兵士が守りを固めているものの、年配の行商人がのんびりと馬車を走らせていくような奇妙な光景が見られるようになった。

 そのような光景が出来上がった背景には、国王オーガスタに対する民心の離反がある。


 加えて、オーガスタは国軍に討伐を命じたが、国軍は命令を無視して動かなかった。

 抜け駆けを働こうとはしたが、共に戦うはずだったオウレス・エーベルヴァインを自分の失策の尻拭いのために処刑し、家まで取り潰しにしたことに反発したのだ。


 その結果、誰も討伐しようとする者は現れず、武装蜂起して国王オーガスタに反旗を翻したザレッティーノ伯爵家は宙に浮いた形になってしまったのだ。

 その上、国王オーガスタは実弟であるベネディット・ジロンティーニの手の者によって暗殺されてしまった。


 つまり、ビョルン・ザレッティーノ伯爵が振り上げた拳は、落としどころを無くしてしまったのだ。

 それでは、全て丸く収まるのかといえば、それほど事態は簡単ではなかった。


 ザレッティーノ伯爵が国王オーガスタに反旗を翻して十日ほど経った頃、旅塵にまみれて窶れた一組の男女がザレッティーノ領へと辿り着いた。

 身元を問い質す兵士に向かって、四十過ぎと思われる男は保護を求めてきた。


「私はエーベルヴァイン公爵で使用人をしていたマテルと申します、こちらにいらっしゃるのは、先代当主アンドレアス様の忘れ形見カテリーナ様です。どうか伯爵様にお取次ぎ願います」


 マテルが連れていた二十代前半と思われる女性は、一人の赤ん坊を胸に抱いていた。

 この赤ん坊が、先代エーベルヴァイン公爵の娘だとマテルは主張した。


 マテルは兵士に向かって、エーベルヴァイン家が取り潰されることになった後、オウレス・エーベルヴァインの血縁者は全て捕縛され、行方が分からなくなっていると語った。

 そして、俄かには信じがたいと疑いの目を向けてくる兵士に対して、これが証だとエーベルヴァイン公爵家の紋章が入った太い金の指輪を見せた。


 精緻な彫刻の施された金の指輪は、到底平民が手に出来るような代物には見えず、兵士はすぐさまマテルたちをザレッティーノ伯爵の屋敷へと送り届けた。


 マテルたちと面談したビョルン・ザレッティーノ伯爵は、赤ん坊を見るなり目を見開いて声を上げた。


「おぉぉぉ……間違いない、その髪と瞳の色はアンドレアス様に生き写しだ!」


 オウレスの父、先代のエーベルヴァイン公爵を良く知るビョルンの目にも、赤ん坊の髪と瞳の色は良く似ているように見えた。

 だが、それだけでビョルンは赤ん坊を先代エーベルヴァイン公爵の忘れ形見だと認めた訳ではない。


 実際、この赤ん坊はカテリーナとはまるで無関係だ。

 マテルはフルメリンタの工作員で、マテルという名前すら偽名だ。


 オウレス・エーベルヴァインの血縁者が、一人残らず捕縛されたという情報を得て、フルメリンタの宰相ユド・ランジャールにこの計画を進言した。

 工作員にとっての成果とは、いかに上役に認められるかだ。


 成果を残せば、それに応じた報酬が支払われるし、上手くすれば危険な現場から指示する側に回れる。

 そのためには、命令を全うするのは当然で、それプラス自らのアイデアを認められる必要があるのだ。


 マテルは、本物のカテリーナの行方を知らないし、生死も分からないが、例え本物が生きていたとしても偽者が現れれば世間は混乱する。

 この計画は、オーギュスタン・ラコルデールとベネディット・ジロンティーニが共謀し、第二王女ブリジットを女王に据える協力体制を邪魔するのが目的だ。


 マテルは宰相ユドの承認を得た後、スラムで本物のカテリーナと特徴の似通った赤ん坊を買い求め、乳母となる女性を雇い入れた。

 自分は貴族の使用人だと騙って雇い入れているので、乳母の女性はマテルの正体を知らない。


 では、本物のカテリーナがどうなったのかといえば、謀殺された国王オーガスタによって、捕らえられたオウレスの血縁者と一緒に処刑されている。

 処刑されているのだが、ブリジットの陣営がそれを声高に主張するのは難しい。


 濡れ衣を着せた挙句、年端のゆかぬ血縁者まで処刑したとは、いくらオーガス個人の責任にしようとも非難を免れるものではない。

 そこまでオーガスタが暴走しているのに、近くにいたお前らは何をしていたのだと非難を受けることになる。


 ビョルン・ザレッティーノは、そこまでの計算をした訳ではないが、カテリーナが本物であろうと偽者であろうと、振り上げた拳を振り下ろす口実に丁度良いと思ったのだ。

 国王オーガスタによって、エーベルヴァイン公爵家は冤罪を着せられて取り潰しの憂き目に遭った。


 ならば、このカテリーナを後継としてエーベルヴァイン公爵家を復活させるべきだと主張することを思いついたのだ。

 平民の使用人に託されて、指輪一つしか身の証の無い赤ん坊は、ビョルンにとっては利用価値の塊なのだ。


 それに、エーベルヴァイン公爵家を復活させ、その後見人として居座れば、ただの伯爵家とはくらべものにならない権力を手に出来る。

 身元不明どころか偽者である可能性の方が高く、しかも厄介な後見人まで付いた状態でエーベルヴァイン公爵家を復権させるか、それとも世間の非難を押し切るか……ビョルンはブリジット陣営の困惑ぶりを想像して薄暗い笑みを浮かべた。


 ビョルンは、早速エーベルヴァイン公爵家の復権を歎願する準備に取り掛かった。

 王家に対して使者を送ると同時に、元第二王子派を中心として各貴族にもカテリーナを保護したという書状を送った。


 オーガスタの葬儀を終わらせて、ブリジットを女王の座に据えてしまえば、ユーレフェルト王国を自分達の思うまま出来ると思っていたオーギュスタン・ラコルデールとベネディット・ジロンティーニは、ザレッティーノ伯爵家の使者からの訴えを聞いて困惑した。


「ベネディット、エーベルヴァイン家の血縁者は全て処刑したのではなかったのか?」

「勿論した、カテリーナも処刑したはずだ……」

「なんだ、自信が無いのか?」

「私が取り仕切っていた訳ではない……だが、間違いなく血縁者は処分したはずだ」

「では、なんで処分した赤ん坊が生きているんだ?」

「そいつはビョルンが用意した偽者に決まっている。決まっているが……本物は処刑したのだから偽者だと言えるか?」


 ベネディットの指摘にオーギュスタンは顔を顰めた後で、不機嫌そうに言い放った。


「では、偽者に公爵家の財産を相続させるのか? ビョルンにくれてやるようなものだぞ」

「それで丸く収まるならば、むしろ安いものじゃないのか」

「馬鹿を言うな、一度認めてしまったら、ビョルンはどこまでも付け入ってくるぞ」

「では、処刑した事実を世間に伝えるのか?」

「いいや、偽者かどうかは言及せず、家督の相続を認めなければ良い。例え本物であったとしても、家督を認めない理由をでっち上げれば良いのだ」

「なるほど……」

「そもそも、エーベルヴァイン家は王家に無断でフルメリンタに奇襲をかけ、その結果として領地を失うことになったのだ。家督を認めない理由なんか、いくらでも考え付くだろう」


 暫しの混乱に陥ったものの、冷静さを取り戻したオーギュスタンとベネディットは、ビョルン・ザレッティーへの対策を相談し始めた。

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