第194話 春に想う

「拝啓、海野和美様……拝啓、拝啓……拝啓の啓の字って、どう書くんだっけか?」


 フルメリンタの宰相ユド・ランジャールに頼まれて、海野さんたち三人に宛てた手紙を書くことになったのだが、恐ろしいほどに漢字を忘れている。

 幸い、海野さんの氏名は簡単な漢字だから迷うことなく書けたけど、戦争奴隷として亡くなったクラスメイトの氏名は漢字で書けないものもある。


 クニサキ・レンのクニサキは、確か国崎で良かったはずだが、レンはどのレンなのか分からない。

 シノダ・コウキのシノの字は、草冠だったのか、竹冠だったのか、人偏だったか、行人偏だったか、もうあやふやだ。


 それでも、戦争奴隷として亡くなったクラスメイトの名前は、宰相ユドから知らせてもらった紙があるから覚えていられるが、行方不明となったクラスメイト全員は思い出せない。

 出席番号順で苗字を思い出していったとしても、間違いなく何人かは抜け落ちてしまうだろう。


 我ながら薄情な人間だと思うと同時に、他人の心配をしている余裕が無かったのも確かだ。


「でも、漢字は分からなくても、クラスメイトの名前ぐらいは思い出した方がいいよな。今度、新川や三森と一緒に名前を書き出そう」


 ユーレフェルトに居る頃には、行方不明になったクラスメイトもどこかで生き延びているのではないか……なんて考えていたが、今はもう完全に諦めている。

 新川たちの話だと、中洲の奇襲に加わったクラスメイトは、戦死したか、降伏して戦争奴隷になったかのどちらかだそうだ。


 それ以前の実戦訓練で行方不明になった者もいるが、生き延びている可能性は残っていないだろう。

 例え生き残っていたとしても、連絡を取る術も無い。


 拝啓と書くだけでも十分ぐらい掛かったから、海野さんたちへの手紙を書き上げるまでには随分と時間が掛かった。

 しかも、かなりの部分が平仮名だし、今更ながらに字が汚い。


 このままでは、日本語の文化を失ってしまいそうだし、筆と墨を手に入れて書道の真似事でもやった方が良いのだろうか。

 それと、俺の乏しい脳みそに残っている僅かな量の漢字を片っ端から描き出して、手書きの辞書でも作ろうか。


「これが現地の人間になっていくって事なのかもしれないけど……なんとなく抗いたくなるな」


 いくら頭を捻ろうが、憂鬱とか、薔薇とか、正確に書く自信は無いし、薄い辞書しか作れないかもしれないけど、それでも完全に忘れてしまう前に、少しずつでも残しておこう。


「それにしても……マジで俺の子供なのかな?」


 宰相ユドから手紙を書くように依頼された時に、海野さんが男の子を出産したと告げられた。

 ユーレフェルトを出る前に、海野さんとはそういう関係になったから、子供が出来たとしても不思議ではない。


 不思議ではないが、そんなに簡単に子供ができるものなのか……とも思ってしまう。

 アラセリは、ユーレフェルトの諜報部にいた頃に、子供が出来ないようにする施術を受けさせられたそうだ。


 だから、俺が盛りのついたサルみたいに毎晩何度も求めても、身籠る気配もない。

 女性としての性的な喜びは与えられているとは思うのだが、子供が出来ないのを良い事に欲望の捌け口にしてしまっているみたいで少々罪悪感を覚えてもいる。


「子供……息子……実感湧かないなぁ。顔を合わせて、抱きかかえたら変わるかな?」


 まさかアラセリに聞いてみる訳にもいかないし、新川や三森に聞くのも気が引けるから、この問題は俺一人で解決するしかないのだろう。


「それにしても、子供かぁ……俺、まだ十六……いや、十七になったんだっけか?」


 こちらの世界に召喚されてから、どのくらいの月日が経過したのかも良く覚えていない。

 少なくとも一年以上は経過しているから、その分年齢を重ねているのだろうが、経過した時間よりも相当濃密な体験を重ねて来たという思いはある。


 そうした思いの一端も、手紙には書き添えたつもりだが、海野さんたちとは感じた方が違っていたりするのだろうか。

 四苦八苦して書き上げた手紙は、宰相ユドの手を経て海野さんたちの所へと届けられる。


 三人は、ユーレフェルトの南部にある領地、オルネラス領に滞在しているらしい。

 オルネラス領はユーレフェルトからの分離独立を勝ち取ったそうで、フルメリンタとの交易を行うそうだ。


 これまでは、敵対する国だったが、これからは友好国になるそうなので、三人の出国もスムーズに行えるようになるらしい。

 宰相ユドからは、三人が王都で暮らす家を用意し、生活が成り立つように補助すると約束してもらえたことも手紙に書き添えた。


 海野さんの体調を考えると、三人がフルメリンタに来るのはもう少し先の話になるのだろうが、障害は一つ一つクリアされているように感じる。

 海野さんがファルジーニに到着したら、一緒に暮らす家を探そうと思っている。


 俺の蒼闇の呪いによる痣を消す施術と、海野さんたちの魔法を使ったエステサロンを同じ建物でやるようにすればお客に困ることはないだろう。

 貴族や金持ちの固定客を確保出来れば、生活に困るようなことは無いはずだ。


 手紙を手渡す時に、三森と富井さんの事をユドに頼んでみた。

 三森は貴族になったとはいっても名誉子爵なので、平民との婚礼も特に問題は無いそうだ。


 牛丼屋の経営に関しても、三森本人が連日厨房やフロアに立つのでなければ、多めに見てもらえるらしい。

 日本の懐かしい味をいつでも食べられるように、富井さんには是非とも牛丼屋を開業してもらいたいので、俺も可能な限り応援しようと思っている。


 新川と三森は、軍事顧問のようなポジションに収まったそうで、これからも新兵器の開発には携わるが、助言がメインで現場からは離れるそうだ。

 宰相ユドからは、兵器以外のアイデアも出すように頼まれたそうで、本人たちは異世界SDGsだ……なんて息巻いていた。


 こちらの世界にも石炭とか石油はあるだろうが、地球みたいに無節操に使い続ければ環境破壊を招きかねない。

 地球の大人たちが経済優先で自然を破壊したような、無節操な開発はやりたくないそうだ。


 急に意識高い系になった感はあるが、特に問題がある訳でもないので、二人の判断に任せることにした。

 三森と富井さんの関係は、順調に進展しているらしい。


 細々と詳しい話まで聞いている訳ではないが、日を追うごとに富井さんの表情が柔らかくなっている気がする。

 俺の屋敷を訪ねて来た富井さんと再会した時は、正直別人じゃないかと思うほど荒んだ雰囲気をまとっていた。


 戦争奴隷の頃に、どんな仕打ちを受けたのかは聞いていないし、富井さんも話そうとはしないけど、女子高生の心を殺すには十分すぎる仕打ちだったはずだ。

 うちに住むようになって、少しずつ荒んだ感じは薄れていったけど、それでもふとした瞬間に消えてしまうのではないかと感じる儚さのようなものは消えずにいた。


 それが、三森の告白を受け入れてから、冬から春へと移ろう季節と足並みを揃えるようにして、生命力のようなものを感じるようになった。

 やっぱり、誰かから思われ、誰かを思う気持ちは、生きていく上で大切なんだと感じる。


 ただのお調子者かと思っていたが、三森はなかなか良い仕事をしている。

 三森がついていれば、海野さんたち三人が来ても、境遇の差から来る対立を招かないで済む気がする。


 一足飛びに何もかも解決なんて出来ないけれど、少しずつではあるが俺たちは前に進めている気がする。

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