第188話 脱糞公爵

 オルネラス侯爵領から、ユーレフェルト王国の王都へ向けて、一人の男が護送されていく。

 ピンと背筋を伸ばし、毛並みの良い馬の背に揺られている姿を遥か遠くから見れば、あるいは一角の人物に見えたかもしれない。


 だが近くに寄って見ると、男は猿轡を噛まされた状態で、鞍から落ちないように縛り付けられているのが見てとれる。

 姿勢が良く見えるのは、背中に棒切れを突っ込まれているからだ。


 馬の側には立札を持った男が二人付き添っていて、沿道で見物する者達に男が拘束されている理由を説明して回っていた。


「こちらにおわすは、オウレス・エーベルヴァイン公爵閣下であ~る」

「オウレス閣下は初陣初日にして自軍を壊滅へと導き、オルネラスの軍勢の捕虜となられてしまった」

「その心中を推し量れば、自ら命を絶たれてしまわぬか、我らが懸念を抱くのは当然であろう」

「味方が全滅する激戦下にあっても戦車の中に蹲り、大小便を垂れ流しつつも生きながらえた命をむざむざと散らさぬように、止むを得ず……止むを得ず拘束しているのだ」

「くれぐれも礼を失することなく、類まれなる幸運の持ち主の御尊顔を拝謁するように!」


 掛け合いの漫才のように、声を張り、見物人を引き寄せるように練り歩く。

 自害しないように拘束していると言ってはいるが、どこからどう見ても晒し者だ。


 領地は無いが、公爵家の当主であると国が認めたオウレスが、晒し者にされているのには訳がある。

 ただ一人戦場に取り残されて捕らえられたオウレスは、最初こそは卑屈なまでに命乞いをしてみせたが、殺されないと見極めた直後から態度を一変させた。


「俺を誰だと思っている! エーベルヴァイン公爵家の当主だそ! 侯爵家の雑兵風情が対等に話すなどおこがましい。跪いて頭を下げろ!」


 鎧を脱がされて川に放り込まれた後、着替えまで恵んでもらっていたオウレスが、公爵家の当主である……などと言い出しても周りにいた者達は呆れるばかりで、誰一人として跪いたりしなかった。

 それに、こうしたオウレスの態度は、フルメリンタからの派遣部隊の反感を買うことになった。


「こんなのが本当に公爵家の当主なのか? 名前を騙る不届き者じゃないのか?」

「中隊長、怪しいから拘束しておきましょう」

「そうだな、喚かないようにしておけ」


 フルメリンタにとってエーベルヴァイン家とは、奇襲を仕掛けてきた卑怯者というイメージがあるだけに、オウレスの扱いはオルネラス家の騎士がハラハラするほど雑だった。

 オウレスが猿轡を噛まされ、後ろ手に縛られたのは、この時からだ。


 罪人同然の格好で領都まで護送されたオウレスを引渡す際に、なぜこのような拘束をしたのかと問われた騎士は、咄嗟に自害を防ぐためだと言い訳した。

 僅か一日で全滅という戦闘の様子も伝えられ、自害防止という言い訳は信じられ、そのまま伝えられていった。


 オウレスは、オルネラス侯爵との対面の場にも、拘束されたままで連れていかれた。

 オルネラス侯爵にとってエーベルヴァイン家は、ユーレフェルトという国を傾けた張本人という認識であり、オウレスが領地欲しさに嬉々として攻め込んで来るという話も耳にしていた。


 オウレスと対面し、拘束されている理由を聞いたオルネラス侯爵は、ニヤリと笑みを浮かべてから言い放った。


「自害を防ぐためならば致し方あるまい。このまま王都まで送り届けてやれ」

「むぐぁ! うぅぅふぅぅ……」

「そうか、そうか、無念であろうが国王に報告する責務を放り出すのは感心せぬぞ」


 オルネラス侯爵は、オウレスの猿轡を解くことなく対面を終えた。

 かくしてオウレス・エーベルヴァインは、拘束された姿で馬に揺られて王都を目指すことになった。


 護送はマクナハン男爵領を通る遠回りのルートではなく、テルガルド子爵領、ルブーリ男爵領、ラコルデール公爵領を抜けていくルートで行われた。

 護送初日、晒し者となったオウレスは、猿轡を噛み締めながら悔し涙を流した。


 オウレスにとって平民とは、恐れ慄き、自分の足元に平伏す存在だった。

 その平民に指差され、笑われ、脱糞公爵と揶揄され、オウレスは気が狂わんばかりの怒りを覚え、復讐を胸に誓った。


 それまで、食事や水を飲ませるために猿轡を外すと喚き散らしていたオウレスが、この日から一言も言葉を発しなくなった。

 給仕をする兵士に馬鹿にされても、ジッと暗い視線を向けてくるだけで、食事も最低限しか口にしなくなった。


 指を差して笑っていた沿道の見物人も、オウレスにヘビのような目で睨まれて笑いを引っ込めるようになった。

 二日、三日と日が経つにつれて無精ひげが伸び、面やつれし始めたオウレスは、領地に目が眩んで自軍が勝つ未来しか見えていなかった親の脛齧りとは別人になっていた。


 面変わりしたオウレスの姿は、自害を防ぐためという虚偽の理由に信憑性を与えた。

 オルネラス侯爵領からテルガルド子爵領に入る時に、立札を持った男達の同行は打ち切られ、沿道の見物人から向けられる視線にも変化が現れた。


 脱糞公爵などと揶揄する者がいなくなった一方で、配下を見捨てて命乞いしたとか、オウレスこそがユーレフェルトの衰退を招いた張本人だという噂が流れ始める。

 沿道の見物人の表情は、嘲笑から侮蔑や憎悪へと変わっていった。


 テルガルド子爵領やルブーリ男爵領では、オルネラス侯爵の独立宣言は国を救う妙案として知られ、民衆にも受け入れられている。

 その妙案を潰そうと兵を率いて来たのに返り討ちにされて捕らえられたオウレスに、同情や哀れみの目を向ける者はいなかった。


 ラコルデール公爵領に入った頃には、オウレスは極悪人のような扱いを受けるようになっていた。

 沿道からは、殺せとか処刑しろといった声が掛けられるようになっていった。


 ラコルデール公爵家の当主オーギュスタンは、オウレスと面談することすらせず、王都へ送り届けるように命じた。

 オウレスは、ひたすら耐え忍んだ。


 ラコルデール公爵領を通り抜けて王家の直轄領へと入れば、このような屈辱的な扱いから解放され、公爵家の当主に相応しい扱いをしてもらえると信じていた。

 屋敷に戻ったら、全ての資産を注ぎ込んででも兵を再編し、オルネラス家を打ち滅ぼしてやると考えていたのだが……王家直轄領へと入ってもオウレスの拘束が解かれることはなかった。


 エーベルヴァイン家の軍勢が一日にして壊滅したという知らせは、オウレスの知らない場所で状況を大きく変化させていた。

 オルネラス家討伐を命じられていた者達が、尻込みし始めたのだ。


 フルメリンタの新兵器については、仕組みなどはまるで分かっていないが、その威力については尾鰭が付いて広まっている。

 弓矢の届かぬ距離から、鎧を撃ち抜いて命を奪う。


 川の遥か対岸から建物を破壊し、分厚い城門を紙のように破ってみせる。

 自分達と同じ騎兵や歩兵、弓兵ならば戦いようがあるが、フルメリンタの新兵器には対抗する術が無い……というのが、今の時点でのユーレフェルトにおける共通認識だ。


 国王が拳を振り上げて、国の威信をかけて討伐を命じたのに、届いたのは惨敗の知らせ。

 このまま討伐を強行すれば、無駄に損害を増やすだけなのは火を見るよりも明らかだ。


 かと言って、国王が自説を曲げて討伐を取り止めれば、ただでさえ地に落ちている威信は地面にめり込むだろう。

 では、どうするのか……。


 国王オーガスタが導き出した答えは、オウレスに全ての責任を負わせて生贄にする方法だ。

 オーガスタがオルネラス家を討伐するという判断を下したのは、領地を手に入れんがためにオウレスがもたらした虚偽の情報のせいだと断じた。


 その上で、王家はオルネラス家に真意を質そうとしていたが、独断専行して戦いを仕掛けて惨敗したオウレスを処罰すると発表した。

 当然、オルネラス家討伐に加わった者達は、ある程度の真実を知ってはいたが、同時にこれ以外に戦を取り止める方法が無いことも分かっていた。


 オウレスは弁明の機会すら与えられずに処刑され、エーベルヴァイン公爵家は取り潰しとなった。

 そもそも、独断でフルメリンタに奇襲を仕掛け、中州の領地を奪われた時点で家督相続を認めず取り潰しでもおかしくなかった。


 オウレスの処刑によって、地に落ちたオーガスタの威信が民衆に踏みつけにされるのは辛うじて回避できたが、旧第二王子派からの信頼は完全に失われることとなった。

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