第186話 繋いだ手

※今回は富井多恵目線の話です。


「タエ、具合でも悪いのかい?」

「えっ……?」


 霧風夫妻と朝食を済ませた後、洗い物を手伝っていたらハウスメイドのハラさんに訊ねられた。


「別にどこも悪くないですよ」

「そうかい、その割には浮かない表情をしてたよ」

「あー……ちょっと考え事をしてたかも……」

「何かあったのかい? 今日は恋人と逢引きなんだろう?」

「逢引きって……まぁ、そうなんですけどね」


 今日は三森たちが王都に来てから初めての休日で、デートの約束をしている。

 約束をしているのだが、正直ちょっと迷っている。


「相手の男が気に入らなくなったのかい?」

「とんでもない! いい奴ですよ、三森は本当にいい奴。あたしには勿体ない……」


 三森が戦場で功績を上げて、フルメリンタから名誉貴族の称号を貰って、この家に遊びに来た日に交際を申し込まれた。

 以前、突然プロポーズされた時には笑いにして断ったけれど、今回はひたむきさと情熱に押し負けて申し出を受け入れた。


 日本にいた頃も、男子から告白された事なんて無かったし、あんなに真正面から求められて嬉しくない訳がない。

 しかも、戦争奴隷になって言葉に出来ないような仕打ちを受けたことも分かった上で、それでも自分を必要だと言われて、心が動かないはずがない。


 でも、それから時間が経つにしたがって、やっぱり自分なんかじゃ……という思いが湧き起ってしまった。

 デートの約束が近付くほどに、その思いが大きくなってしまったのだ。


 もう少ししたら、三森が迎えに来るはずだけど、やっぱりデートは断ろうかと考えている自分がいる。

 そんな胸の内を思い切ってハラさんに打ち明けてみたのだが……一笑に付されてしまった。


「はっはっはっ、なんだい、そんな事かい、心配して損しちまったよ」

「えっ? いや、あたし結構マジで悩んでるんですけど……」

「そりゃそうだろう。あんたは真剣に惚れたんだよ」

「えっ……?」


 何を言われているのか理解できずにポカーンとしていると、ハラさんはニンマリと笑ってみせた。


「タエが身を引こうなんて考えているのは、それだけ相手が良い男だからだろう?」

「ま、まぁ……そうですね」

「じゃあ、想像してごらん。あんたに真っ直ぐ告白してきた男が、別の女を真剣に口説いている姿を……」

「あっ……」


 三森が何不自由なく育った御令嬢に告白して、微笑み合う姿を想像した途端、胸がギューっと締め付けられた。

 同時に、さっきハラさんに言われた言葉の意味を理解して、顔が熱くなった。


「あたし……三森を誰かに取られたくない。でも……」

「タエ、あんたは幸せになっていいんだよ」


 戸惑うあたしをハラさんがギュッと抱きしめてくれた。


「でも、あたし……」

「誰だって人を好きになるのは不安なもんさ。ましてや辛い経験をしたタエは余計だろう。でも、それでも、その人はタエがいいって言ってくれたんだろう」

「うん……」

「だったら信じてやんなよ。それでも、もし浮気するようなら、そん時はとっちめてやればいいのさ」

「そっか……うん、そうだよね」


 なんだろう、こんな気持ちは戦争奴隷になった時に、ドロドロに汚されて、ビリビリに破かれて、グチャグチャに丸められて捨てられたと思ったのに……めちゃくちゃドキドキしてる。

 あたしは、三森に恋してるんだ。


 そう気付いたら、めちゃくちゃ恥ずかしくなった。


「タエ、あんた、いい顔になったよ」

「ふぇっ?」

「ほら、洗い物なんかあたしがやるから、さっさと逢引きの支度をおし!」

「いや、でも……」

「でもじゃない! さっさといく!」

「は、はい!」


 ハラさんに尻を叩かれて、急いで部屋に戻ったのは良いけれど、デートに着て行くような服は一着しか持っていない。

 この家を訪ねて来る時に、あんまりみすぼらしい格好では悪いと思って、ファルジーニに来て初めて買った余所行きの服だ。


 その後も、何枚か服は買ったけど、食堂で働くことを考えて、汚れても構わないものばかりだし、実際あちこちに染みがある。

 

「そう言えば、この服を買った時、デートに行く訳じゃないのに……なんて思ってたっけ」


 戦争奴隷から解放された後も、身だしなみどころか自分の体にも無頓着な生き方をしていた。

 今になって考えてみると、あの頃の自分はとんでもない女だったと感じる。


 そんなあたしでも、三森は失望するどころか思い続けてくれた。

 だったら、あたしはもっといい女にならなきゃ駄目だろう。


 三森が、あたしの予想を遥かに越えて男気を見せてくれたのだから、あたしも三森の予想を超えるいい女にならなきゃいけない。


「やっば……髪ボサボサじゃん。これ、後で結わいて誤魔化せるのか? ふぇぇ……なんか顔をカサついてない?」


 どうしよう、そろそろ三森が来ちゃうのに、これで大丈夫なのか不安になる。

 でも、さっきまでの不安とは違って、心が躍るような不安だ。


 思わず鏡に向かってニンマリしていると、ハラさんに呼ばれた。


「タエ! お客さんだよ!」

「は、はい! 今いきます!」


 念のため身分証をお金……と思ったら、財布なんて洒落たものはなくて革袋しか無かった。

 うん、まず財布を買いに行こうか。


 玄関へ行くと、おろしたてらしい服を着て、少し顔が強張った三森がいた。


「お、おはよう、富井さん」

「お、おぅ、おはよう三森」


 三森の緊張が移った訳じゃないけど、なんだかぎこちなくなってしまった。

 てか、ハラさん笑い過ぎ。


「霧風は?」

「いると思うけど……今日の相手はあたしだろ?」

「そうだった……じゃあ、行こうか」

「って、どこに行くつもり?」

「えっ、とりあえず一番栄えてる方に行こうかと……」

「どこに行くのか考えてるの?」

「えっ……いやぁ、どこに何があるかも分からないから……」

「しょうがないなぁ……あたしが案内してあげよう」

「うっ……頼りにしてます」

「てか、あたしも良く知らないんだけどね」

「マジか!」

「にししし……だって、平日は仕事だし、霧風夫妻はラブラブだし、一人でフラフラするのも味気ないし、料理の練習もしたいし、あんまり出歩いてないんだ」

「そうなんだ……じゃあ、これから二人で見て歩こう」

「いいね」

「じゃあ、行こうか」

「ちょっと待った!」


 門に向かって歩き出そうとした三森を呼び止めた。


「えっ、なにか忘れもの?」

「うん、ほら……」


 そう言って、三森に向かって右手を差し出した。

 一瞬驚いた後で、三森は左手であたしの右手を握った。


「違うだろう……こうじゃないの?」


 一度三森の手を解いて、指を絡めるように握り直す。

 いわゆる、恋人握りってやつだ。


 自分でやっておきながら、ちょっと顔を熱くなる。

 というか、三森の目が潤んでいた。


「泣くなよ、三森」

「だって……」

「離すなよ……」

「勿論!」


 三森の手は、ゴツゴツとした働く男の手だった。

 大丈夫、あたしも離す気は無いから……。

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