第185話 オウレス・エーベルヴァイン

 オウレス・エーベルヴァインは腹を立てていた。

 歎願を続けてきた家督の相続が認められ、晴れてエーベルヴァイン公爵家の当主となったが、先に行われたマスタフォの軍勢を掃討する作戦には、自家の軍の再編が間に合わず表立った成果を上げられていない。


 満を持して国軍の主力となる軍勢を率いて、華々しく初陣を飾るはずだったオルネラス侯爵家討伐軍は、ラコルデール公爵家の反対を食らって西への迂回を余儀なくされた。


「ふざけおって……我とても同じ公爵家の当主だぞ! 領地か、我が家が領地を奪われたままだから舐めているのか!」


 領地はフルメリンタに奪われたとはいえ、王都には広大な屋敷や莫大な財産を残していたエーベルヴァイン家は、家督相続が認められるとすぐに自家の軍勢の再編を行った。

 オルネラス侯爵家討伐に反対したラコルデール公爵も、この財力と軍事力には一目も二目も置いていたが、そもそもオウレスという人間は全く評価していなかった。


 オウレス・エーベルヴァインという男は、一言で言うなら親の脛齧りだ。

 公爵家という肩書が無ければ、武術に優れている訳でもなく、魔法に優れている訳でもなく、戦術や政治の才能がある訳でもない。


 親から甘やかされて、自分は周囲から崇められて当り前だと思っている若造にすぎない。

 民衆からの支持が地に落ちた国王オーガスタに踊らされている時点で、沈みゆく泥船に誘いこまれたネズミ程度にしか思われていなかった。


 それに、王家の直轄地に隣接するラコルデール公爵家と正面切っての戦闘となれば、それは国を割る内戦に他ならない。

 国が弱体化し、周辺国から狙われている状況で、国を二分するような戦いまでは、国王も国軍に関わる他の貴族も許さないと見極めているからこそのラコルデール公爵家の行動だ。


 それでもオウレスは、ラコルデール公爵領を押し通るべきだと主張したが、国王から家督相続の取り消しまでチラ付かされて諫められ、断念せざるを得なかった。

 鬱憤を溜め込んだオウレスは、オルネラス家討伐における先陣を強く希望した。


 そもそも討伐の大義は、王国に反旗を翻したオルネラス侯爵を討つというものなのだが、オウレスの目的は領地の確保にある。

 エーベルヴァイン公爵家の領地は、ユーレフェルト王国の東端、国境を守る位置にあったが、今は完全に隣国フルメリンタの支配下にある。


 家督は相続したものの、公爵家としての領地はフルメリンタに奪われたままなのだ。

 家督相続を認めるにあたり、国王オーガスタは領地が欲しくばフルメリンタからの領土奪還に貢献せよと条件を付けてきた。


 現在の状況を招いたのは、そもそも先代のエーベルヴァイン公爵が国王に断りもなくフルメリンタに奇襲を仕掛けたことに端を発している。

 つまりは、死んだ父親の失敗のツケは息子が支払えという訳だが……フルメリンタからの領土奪還は現実的ではない。


 コルド川が水堀の役割を果たし、船以外で渡河できるセゴビア大橋の守りも固められてしまった。

 ユーレフェルトが手出し出来ない間に、フルメリンタは着実に占領政策を進めていて、元の農地や新たに土地を与えられた農民が今年の耕作を始めている。


 そんな状況下で持ち上がったのが、オルネラス侯爵家討伐だ。

 エーベルヴァイン家には、オルネラス侯爵家を討伐すれば、その領地の一部を譲渡するという内示があった。


 オウレスにしてみれば、全てをエーベルヴァイン家のものとしたいのだが、フルメリンタに領地を奪われた貴族は他にもいる。

 そうした者達へも分け与えることを考えていると言われれば、流石のオウレスでも強硬に独り占めを主張する訳に行かなかった。


 だが分割譲渡となれば、当然討伐戦での功績が問われることになる。

 少しでも多く領地を手に入れたいオウレスは、自分にとっては初陣となる舞台だから、一番厳しい場所を引き受けるなどと主張して先陣を手に入れたのだが……。


 オルネラス侯爵家討伐に駆り出された他の貴族たちは、むしろオウレスが先陣を引き受けたことを喜んでいた。

 フルメリンタとの戦いにマスタフォとの戦いと連戦が続き、各貴族の出費が嵩んでいる。


 家督相続が認められなかったことで、表立った出兵が出来なかったエーベルヴァイン家の方が、まだ経済的な余裕があるのだ。

 先陣を認められたオウレスは進軍を急がせた。


 ただし、先代アンドレアスは自ら手綱を握って戦場で馬を走らせていたが、オウレスは馬車に乗っての進軍だった。

 それでも、自分の足で進軍する兵士のごとく疲弊していたが、進軍の速度を緩めようとはしなかった。


 ジロンティーニ公爵領、カラブエラ伯爵領、アントゥイ子爵領を通り抜け、マクナハン男爵領とオルネラス侯爵領の領地境へ到着した時には、後続の軍勢とは一日ほどの距離ができていた。

 オウレスは、先陣にして抜け駆けをしようと目論んでいたのだ。


 オウレス率いる軍勢が到着した時、オルネラス侯爵の軍勢はマクナハン男爵領に少し入った所にある農業用水の向こう岸に盾を並べて、即席の陣地を築いていた。

 マクナハン領からは、盾の内側には弓兵が潜んでいるのが見て取れたが、騎馬の数は多く見えなかった。


「ふん、恐れるに足りぬな」


 オルネラス侯爵家の陣容を見て取ったオウレスは、後続の到着を待つことなく最前線に到着した翌日には、使者を立て戦口上をさせた。

 父親が奇襲によって失敗したのを教訓とした訳ではなく、単純に見栄を張りたかっただけだ。


 エーベルヴァイン公爵家の旗を手に、単騎で馬を進めた騎士が、オルネラス家の陣地の前で声を張り上げた。


「我らは国王オーガスタ陛下から王命を賜ったエーベルヴァイン公爵家の軍勢である! 国に背きしオルネラス侯爵を討つ! 命が惜しいものは、早々に戦場より立ち去るが良い!」

「おおぉぉぉぉ!」


 使者が口上を終えると、エーベルヴァインの軍勢が一斉に雄叫びを上げた。

 対するオルネラス家は、陣地に組まれた櫓の上に指揮官らしき男が姿を現して声を張り上げた。


「我らが独立を願うのは、ユーレフェルトの民の窮状を思えばこそだ! それを許さぬオーガスタは民に目を向けず、国を滅びへと導く愚王に他ならぬ! 我らは小勢なれども、己の欲に目を晦ませて民を苦しめるような者共には決して負けぬ! 返り討ちにしてくれる!」

「うおぉぉぉぉ!」


 指揮官の口上に続いて雄叫びが上がったが、その声量は明らかにエーベルヴァインのものよりも小さく聞こえた。

 勝ち誇ったように笑みを浮かべながらエーベルヴァインの使者が戻って行くのを見届けると、オルネラス家の陣地では慌ただしく弓兵が迎撃の準備を始めた。


「騎兵を並べて蹴散らせ、このままオルネラスの領都まで駆けるつもりで進め!」


 口上を述べた使者が戻ると、オウレスは進軍を命じた。

 先頭には馬にも鎧を付けた重騎兵をならべ、その後に騎兵、その後で二頭立ての戦車に乗ってオウレスが指揮を執り、更に歩兵が続く布陣だ。


 当初の予定では、オウレスは歩兵の後ろから指揮するはずだったが、オルネラス家の戦力が少ないと見て陣容を変えたのだ。


「奴らは、我々が街道を真っ直ぐに南下してくると思って、こちらへの備えは手薄なのだろう。ラコルデールの馬鹿者も案外役に立つものだな」


 オウレスは戦況を自分に都合よく理解した。

 ラコルデール家とオルネラス家が通じていると考えない辺りが愚物の愚物たる所以だろう。


 オウレスが覚束ない手つきで剣を抜き、前方に向けて振り下ろす。

 ドン、ドン……っと太鼓が打ち鳴らされ、徐々にリズムが速まり、やがて連打された後で、ドドンっと大きく打ち鳴らされた。


 太鼓の音が途絶えた途端、重騎兵が鞭を入れて駆けだす。

 一拍の間を置いて騎兵達も鞭を入れた。


 水が張られ、田植えを待つ長閑な田園風景の中を馬蹄を轟かせて騎士が駆ける。

 四列縦隊の重騎兵が迫ると、オルネラス家の陣地から一斉に矢が射掛けられた。


 雨のごとく矢が降り注いでも、馬にも鎧を着せた重騎兵は止まらない。

 馬上槍を構えて速度を上げた重騎兵達は、オルネラス家の陣地に並べられた盾に突っ込み、蹴散らした。


「なんだと!」


 盾を突破した重騎兵たちが目にしたのは、街道を逃げて行くオルネラス家の騎兵と、散り散りになって逃げていく弓兵の姿だった。


「くそぉ、馬鹿にするな! 追えっ!」


 一旦速度を落とした重騎兵だったが、指揮官の下知で再び速度を上げる。

 オルネラス家の騎兵たちは、後を振り返ることもなく街道を駆け、小川に架かった橋を渡っていった。


「止まれ、卑怯者どもめ!」


 ヘルムの中で罵り声を上げながら重騎兵たちが小川に近付こうとした時だった。


 ズダダダーン!


 突然轟音が鳴り響いた直後、重騎兵達は馬から投げ出されて街道や泥田に落下した。

 速度を上げて駆けていた馬達が、前のめりに倒れたからだ。


 何が起こったのか理解できず、よろよろと起き上った騎士達は銃弾を食らって命を散らす。

 堤の下に身を潜めていたフルメリンタの銃撃部隊による一斉射撃を食らったのだ。


 後続の騎士達も銃弾を食らったり、倒れた馬に乗り上げたりして次々に落馬した。

 馬から落ち、泥田にはまってしまえば、もはや騎士ではなく射撃の的でしかない。


「なんだ、なにが起こっている!」


 急停止した戦車から振り落とされそうになり、手にしていた剣を放り出してしがみ付いたオウレスが喚いても答えてくれる者はいなかった。


「も、戻れ! 一旦引く、急げ!」


 オウレスに命じられた御者が急いで戦車の向きを変えようとするが、街道の幅は狭く思うようにいかない。

 それどころか、横を向いた瞬間に銃弾を食らって馬が横倒しになった。


「ひぃぃ……何とかしろ、馬、替えの馬を……」


 オウレスが助けを求めて振り返ると、歩兵たちが元来た道を逃げて行くのが見えた。


「待て、俺を置いて行くな!」


 我先にと逃げ出した御者に向かってオウレスが叫んだ直後に、ドンと一際大きな音が響き、直後に逃走していた歩兵が人形のように吹き飛ばされた。


「ひぃぃぃ……い、嫌だ、死にたくない……」


 オウレスは、銃撃と砲撃によってエーベルヴァイン家の軍勢が壊滅していく間、戦車の中に蹲り大小便を漏らしながら震えていた。

 幸か不幸か生き残ったオウレスは捕縛され、あまりの酷い臭いに、鎧を脱がされた後で小川に放り込まれた。


 命からがら逃げのびた兵士によって、フルメリンタの新兵器が配備されてエーベルヴァインの軍勢が壊滅したと伝えられると、ユーレフェルト国軍はその場で進軍を止めた。

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