第181話 国王の決断
国王オーガスタとの面談を終えたシュロッターは、王都にあるオルネラス家の屋敷へ戻った。
既に屋敷の中は殆どの物が運び出されていて、もぬけの殻に近い状態になっている。
屋敷には明かりが灯されて、いかにも人が暮らしている様子が演出されているが、実際にはシュロッターの他には使用人が二人いるだけだ。
オルネラス家の家族だけでなく、家財道具の殆どが運び出され、更には使用人もオルネラス領に付いて行く者を除いて解雇されている。
侯爵家の大きな屋敷の中から、それだけの人員、物品が無くなっていたことに全く気付いていなかったのだから、いかに王家が周囲への関心を怠っていたのかが良く分かる。
シュロッタ―は、残った二人の使用人と共に夕食の食卓を囲み、祝杯をあげた。
「あのオーガスタの狼狽振り、そなた達にも見せてやりたかったぞ」
「噂にたがわぬ小心者なのですね?」
料理人のロカテリが、笑みを浮かべながらシュロッターにワインを勧める。
「そなた達にも伝わっておるのか?」
「それはもう、なぁ?」
「えぇ、戦場に出て、誰よりも早く逃げ帰ってきた臆病者、小心者と言われておりますよ」
ロカテリから話を振られた使用人のイルマンが、街の噂のいくつかをシュロッタ―に披露した。
街の噂曰く、戦場から逃げ帰った臆病者とか、王妃達に頭が上がらず王位継承者を決められない小心者とか、意外にも実像に近い話が流れていた。
「本当に噂通りの小心者で、それでいて欲深い。実家であるジロンティーニ公爵家の利益ばかりを考えて、その結果国の利益を損なった大馬鹿者だ」
シュロッターはオルネラス領の生まれで、元々は交易商として働いていた頃に先代のオルネラス侯爵に才を見出された。
商人として培った先を見通す力や交渉力をフルに使い、シュロッターはオルネラス侯爵家がユーレフェルト有数の貴族に伸し上がる力となってきた。
それだけに、ユーレフェルトという国を見限って独立という選択をせざるを得なくなった原因を作ったオーガスタに対しては手厳しい。
「そんなに愚か者なんですか?」
ロカテリの問いにシュロッターは大きく頷いてみせた。
「あれは歴史に名を残す愚か者だ。下手をするとユーレフェルト最後の国王となるかもしれんな」
「それほどまでに、この国は危ういのですか?」
イルマンの問いにもシュロッターは頷く。
「危ういな。あの愚か者は、自分が愚か者だと気付いていないから始末が悪い」
「気付いていてもいなくても、愚か者は愚か者ではないのですか?」
「いいや、全然違うぞ。自分が愚か者だと分かっている者は、自分の足りない所を周りの者に補ってもらおうとする。周囲に有能な物が揃っていれば、愚か者が国王でも国は傾かずに済む。逆にオーガスタのように自分は有能だと思っている愚か者は、有能な者達を遠ざけ、意欲を失わせ、国を傾けるのだ」
今度はシュロッターの言葉にロカテリとイルマンが頷く。
実際、オーガスタが国の主だった者達と緊密に連携を取り、方針を決定しいていれば今のような状況は起こらずに済んだだろう。
例えば、軍事についてはエーベルヴァイン公爵に丸投げの状態で、関心を払わずにいた。
丸投げにするにしても、何をやっているのか、何をしようとしているのか把握していれば、フルメリンタに奇襲を仕掛けるような事にはなっていなかったかもしれない。
霧風優斗と引き換えに領土を取り戻した後も、エーベルヴァイン領を放置せず、直轄地とするにしても、別の貴族を転封させるにしても、しっかりと統治しておけば良かったのだ。
そうすれば、フルメリンタの暗躍が、あれほどまでに広がることも無く、コルド川東岸地域を失わずに済んだかもしれない。
そうした実例をシュロッターが語って聞かせると、ロカテリとイルマンは呆れ果てるしかなかった。
「そんなに酷い国王だとは思ってもいませんでした」
「そなた達は、ここ王都にいるからオーガスタの無能さをそこまで意識することは無かっただろうが、コルド川の向こう側は酷い有様だったと聞いている」
シュロッターは商人として培ったネットワークをオルネラス家に雇われた後も維持して、ユーレフェルト国内のみならず周辺国の情報も集めていた。
そうした情報から総合的に導き出した答えが、ユーレフェルトからの独立という選択だった。
「シュロッター様、王家は独立を認めますかね?」
「さて……」
シュロッターはイルマンの問いに少し考えを巡らせ、ワインで喉を湿らせてから口を開いた。
「普通の頭を持っている者ならば、認めざるを得ない状況だということは理解できるはずだが……オーガスタが理解できるかどうか」
「国王の周りには、今も助言のできる人物はいないのですか?」
「実弟のベネディット・ジロンティーニがいる。兄よりは役に立ちそうだと思うが、果たして兄を説き伏せられるかだな」
シュロッターは、王家はオルネラス家の独立を認めざるを得ないと考えているが、仮に認めずに武力による制圧を目論んだ時の対応も既に済ませてある。
「仮に王家がこの屋敷に踏み込んで来たら、かねてから言ってあるように、そなたらはただの使用人だから何も分からないと言っておけ」
「侯爵様へのご連絡はしなくてもよろしいのですか?」
「王家に出向く件は、今朝城にあがる前に手紙を出してある。その手紙が届いたのち、私から追加の知らせが無ければ王家は独立を認めなかったと思うように準備を整えてある」
「さすがはシュロッター様ですね」
「それはどうかは分からんぞ、万全を配したつもりではいるが、人間というものは予想外の行動に出るものだからな」
そう言いつつも、シュロッターは自分の手配に自信を持っている。
ユーレフェルトにも付かず、フルメリンタにも付かず、どっち付かずの日和見的な行動は時として激しい非難の対象となるが、今回に限ってはどっち付かずな姿勢に意味がある。
交易が途絶えた状況は、ユーレフェルトにとってもフルメリンタにとっても好ましくない。
その状況を打破するためには、どっち付かずの存在が必要なのだ。
「シュロッター様、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「なんだね、イルマン」
「仮に、ユーレフェルトとフルメリンタの間に和平が成立して、街道の往来が復活したらオルネラス領はどうなってしまうのですか?」
「ほほう、そなたはなかなか良いところに目を付けるな」
シュロッターは笑みを浮かべるとイルマンにワインを勧め、自分のグラスにも注ぎ足した。
「イルマンの申すように、仮にユーレフェルトとフルメリンタが講和のための条文を取り交わして街道の往来が復活すると、オルネラスの役目は半減するだろう」
「では、独立をしない方が良いのでは?」
「まぁ話を急くな。そもそも講和が成り立つとしても、それは随分と先の話になるだろう」
シュロッターがそう判断した理由としては、ユーレフェルトが一方的に講和を破棄して攻め入ったことにある。
約束を反故にした前歴のある者と簡単に講和は結べないし、成立しても街道の往来が以前のように戻る保証も無い。
「それに、ユーレフェルトはオルネラス領以外に海洋交易の拠点を持っていない。隣国以外の遠方の国との取り引きを行うには、オルネラス領を使うしか無いのだ」
「なるほど、フルメリンタのとの交易分は減っても、従来の遠方相手の交易は変わらない訳ですね」
「そうだ、それに塩の生産は殆どオルネラス領が担っている。これだけでもユーレフェルトはオルネラスと取引を続けなければならないという訳だ」
「それでは、今後もオルネラス領は安泰という訳ですね」
「そのつもりだが……世の中は常に変化を続けている。その流れを注視し、考えることを止めずにいないと、行き先を見誤ることになるだろう」
この夜、シュロッターはロカテリとイルマンを相手に上機嫌に杯を重ねた。
明日になれば王家から呼び出しが来て独立承認の書状を受け取り、自らもオルネラス領を目指して旅立つつもりでいたが、その予定が履行されることは無かった。
まだ世も明けきらぬ早朝、オルネラス家の屋敷を取り囲んだユーレフェルト国軍は、指揮官の合図と共に踏み込み、シュロッターら三人を捕縛するどころか、その場で殺害してしまった。
国王オーガスタが下した決断は独立の承認ではなく、謀反を起こしたオルネラス家の討伐だった。
オルネラス家に交易や塩の利権を握られるよりも、力によって制圧してしまおうと考えたのだ。
オーガスタの頭の中には、オルネラス家がフルメリンタから銃撃部隊の貸与を受けているという事実が存在していなかった。
それ故に、国軍を使って数で押せば制圧できると考えたのだ。
仮にシュロッターが銃撃部隊の存在を匂わせていれば、違った結果になったかもしれないが、もう後の祭りとしか言うしかない。
オルネラス家の屋敷の制圧を命じられた隊長から、シュロッターを粛清したと報告を受けてオーガスタは満足げに頷いてみせた。
前日の会見で、一貴族の家宰に国王がやり込められるという屈辱を味わわされた事も、オーガスタが独立を承認しないという選択をした一つの要因になっていた。
「すぐさま、オルネラス領討伐のための部隊を編成せよ」
「陛下、もう一つご報告がございます」
「なんだ?」
「オルネラス侯爵の屋敷には、シュロッターの他には使用人が二人いただけで、家財その他は全て持ち出されていました」
「なんだと! それは本当か?」
「はい、殆どもぬけの殻でございました」
オーガスタは、オルネラス家の屋敷から得た財産を遠征費用の足しにしようと考えていたが、全く当てが外れてしまった形だ。
それだけでなく、すでにオルネラス家が用意周到に事を運んでいると改めて見せつけられた形だ。
「兄上、この様子では、既にオルネラス家は守りを固めているのではないかと……」
「だったらなんだ! 今更、独立を承認しろと言うのか? 既にシュロッターを誅殺してしまったのだぞ!」
先程までの上機嫌ぶりから一転して、オーガスタはこめかみに青筋を浮かび上がらせて怒鳴り散らした。
「さっさと討伐の支度を始めろ!」
「はっ……」
国軍の隊長は不安そうな面持ちで退出していった。
国王が決定を下した以上、オルネラス領の討伐は避けられない。
オルネラス家がどれ程の準備を整えて待ち構えているのか想像すると、ベネディットは絶望的な気分にならざるを得なかった。
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