第180話 独立宣言

 ユーレフェルト王国国王オーガスタは、オルネラス侯爵からの使者の来訪とその理由を知らされると自分の耳を疑い、官吏に復唱を命じた。


「今なんと言った……もう一度言ってみろ」

「はっ……オルネラス侯爵家の家宰シュロッター殿が見えられ、侯爵閣下からの書状を持参し国王陛下へのお目通りを求めております。面談のご用件は、オルネラス侯爵領の独立についてだと……」

「馬鹿な……独立だと……何故だ!」

「そ、それは私には分かりかねます。シュロッター殿に直接お聞きいただければ……」

「馬鹿を言うな! 私が会えば独立を突き付けられるのだぞ!」

「では、どのように応対すれば……」

「ま、待たせておけ! それと、ベネディットを呼び出せ、至急だ!」

「はっ!」


 一人では判断できないと感じたオーガスタは、シュトッターを待たせている間に実弟でジロンティーニ公爵家の当主ベネディットを呼び出して相談することにした。

 待たせてところで状況は変わらないだろうと思いつつも、伝令の官吏はそれ以上の厄介事を押し付けられないように、足早に立ち去った。


 残されたオーガスタは、浮かせていた腰を椅子に落とすと頭を抱えた。


「何故こうも予想外の出来事が起こるのだ……」


 ユーレフェルトはフルメリンタにコルド川より東側の領土を奪われ、同時に攻め込んで来ていたマスタフォの軍勢を押し返し、ようやく一息ついたところだ。

 国王オーガスタへの支持は、フルメリンタとの戦の勝敗を左右した撤退騒ぎによって地に落ち、それを必死に挽回している最中だ。


 ここでオルネラス侯爵に独立されてしまったら、マスタフォを押し戻した功績など吹き飛んでしまうだろう。

 かつて三大公爵家と呼ばれたエーベルヴァイン家が領地を失った今、オルネラス侯爵はラコルデール公爵、ジロンティーニ侯爵に次ぐ大貴族だ。


 オルネラス侯爵がユーレフェルトから去ってしまったら、その影響は計り知れないものとなるのは明白だ。

 オーガスタとすれば、何としてでも独立を阻止しなければならないのだが、交渉に現れたオルネラス家の家宰シュロッターは一筋縄ではいかない人物として知られている。


 現在のオルネラス家の繁栄は、当主の功績ではなくシュロッターの力によるものだと言われている。

 そのシュロッターが交渉に現れたのだから、オルネラス家は独立を思い止まる気は無いと見るべきだ。


 オーガスタが対応に苦慮していると、呼び出したベネディット・ジロンティーニが姿をみせた。


「兄上、どうなされました?」

「オルネラス侯爵家が独立を突き付けてきたようだ」

「なんですって! 悪い冗談では……」

「冗談であったなら、どれほど気が楽だろうか。オルネラス家の家宰が来ている」

「シュロッター……それでは独立の意思は固いと見るべきですね」

「だが、そう易々と独立を認める訳にいかないぞ」

「分かっています。オルネラスの独立を認めてしまえば、周辺の小領主たちが追従しかねん」


 雪崩式に独立を宣言する貴族が増えれば、ユーレフェルトが瓦解しかねない。


「ですが、どうやって引き止めるのですか? 武力で制圧するような余裕はありませんよ」

「分かっている、分かっているからこそ、お前を呼び出したのではないか」


 オーガスタは国軍の体制を見直し、マスタフォの軍勢を押し返したが、オルネラス侯爵家と事を構える余裕など無い。


「兄上、相手の思惑が分からねば対処できませぬ。まずは会って話を聞くしかありません」

「だが、独立宣言の書状を受け取ってしまえば、こちらが独立を認めたことにならんか?」

「一方的な宣言を書状で受け取っただけでは、独立を認めた事にはなりませんよ」

「だが、侯爵の書状を受け取れば、奴らにすれば宣言を行ったと主張できてしまうのではないのか?」

「向こうが何を主張しても、こちらが取り合わねば良いのです」

「それで収まるのか?」

「収めるのです」


 説き伏せるように語気を強めたベネディットの言葉を聞き、オーガスタは天井を仰いで考え込んだ。


「兄上……」

「分かった、ひとまず話を聞くとしよう。お前も同席してくれ」

「はい」


 オーガスタは装束を改めてから、ベネディットと共にシュロッターとの対面に臨んだ。

 通常、国王と謁見する側が緊張するものだが、表情を強張らせていたのはオーガスタの方だった。


「御多忙の折にお時間を賜り恐縮でございます」


 シュロッターは五十代の半ばを過ぎ、人生の終盤に差し掛かっているはずだが、血色も良く十以上も年下のオーガスタよりも余程健康そうに見える。

 さすがに白髪が目立つが、年老いているというよりも人生の重さを感じさせる。


「オルネラス侯爵の書状を持参したと聞いたが……」

「はい、こちらにユーレフェルト王国よりの独立を宣言する書状を持参いたしました」

「伝令の者が聞き違えたのかと思ったが、本気で独立などと考えているのか?」

「はい、ユーレフェルト王国を救うためにオルネラス侯爵領は独立という道を選択いたしました」

「なんだと……ユーレフェルトを救うだと? どういう意味だ?」

「恐れながら、今のままではユーレフェルト王国は遠からず瓦解いたすと我が主は考えております」

「その先駆けになろうというのか?」

「とんでもございません。先程も申し上げた通り、ユーレフェルトの瓦解を防ぐために独立いたすのです」


 オーガスタとベネディットは、オルネラス侯爵領の独立を許すことこそがユーレフェルト崩壊の切っ掛けになると考えているが、シュロッターは自信たっぷりに逆だと主張している。

 意図を測りかねたオーガスタに視線を向けられたベネディットも、訳が分からないと首を振るしかなかった。


「なぜオルネラスの独立を認めることが、ユーレフェルトを救うことに繋がるのだ?」

「その理由は書状にしたためられておりますが……」

「書状を受け取るまえに、そなたの口から説明せよ」

「かしこまりました。我が主がユーレフェルトの先行きを危ぶむ理由は、フルメリンタとの敵対が決定的となり、街道を通じた交易が滞っていることにございます」


 エーベルヴァイン公爵が召喚した者達を利用して奇襲を仕掛ける以前も、フルメリンタとは有効的な関係では無かったが、街道の往来は当たり前のように行われていた。

 ユーレフェルトからも輸出が行われていたし、フルメリンタからの輸入も普通に行われていた。


 それだけでなく、フルメリンタの更に東の国やユーレフェルトの西の国からも行商人が街道を通って行き来をしていたのだ。

 ところが、フルメリンタとの戦が本格化して、今や街道の国境であるセゴビア大橋は戦略拠点として往来など出来る状態ではなくなった。


 その結果として、ユーレフェルトの交易量は半分以下に減少している。

 当然、様々な経済的な損失が生まれている状態だ。


「そのような状況を打破するために、街道の往来を再開するのが一番ですが、現在のフルメリンタとの関係では不可能でしょう。今の状況が長く続けば、それだけユーレフェルトの国力は低下し続けます。国が弱れば、マスタフォのように切り取りを画策する者が現れるでしょう」

「それが、なんでオルネラスの独立に繋がるのだ?」

「我が主は、オルネラスをユーレフェルトでもない、フルメリンタでもない領地とし、交易の中継地としようと考えております」


 ユーレフェルトの一領主ではフルメリンタとの交易はできないが、独立した領地であれば双方からの交易品が扱えるというのがシュロッターの主張だ。

 実際、オルネラス侯爵領から渡し船で、フルメリンタに降ったキュベイラム伯爵領まで数分で辿り着けるのだ。


 戦が本格化する以前の有効的ではないが交易は行うという状況をオルネラス領という独立した領地を挟むことで復活させようという訳だ。


「それでは、ユーレフェルトと敵対する意志は無いのだな?」

「ございません」

「独立を認めないと言ったらどうする?」

「我々も生半可な覚悟で動いている訳ではございません。これこそが、ユーレフェルトの瓦解を防ぐ唯一の方策だと考えております。是が非でも認めていただきます」

「敵対も辞さないと申すのか?」

「その場合、ユーレフェルトは海上交易の拠点を失い、塩の産地を失うことになります」

「我々を脅す気か?」

「我が主は、たとえ悪逆の誹りを受けようともユーレフェルトの存続を願っております。その思いだけはご理解いただきたい」


 シュロッターは、ユーレフェルト存続への思いを重ねて口にするが、オルネラス領にとっては独立のための口実に過ぎない。

 友好的な関係を保持したままで独立すれば、オルネラス領は交易によって莫大な富を手にする事になる。


 シュロッターと視線を交わしながら、オーガスタは暫く黙り込んでいたが、ふっと天井を仰いでから口を開いた。


「今日の所は書状を持って下がれ。明日、改めて沙汰をいたす」

「かしこまりました。良き返答をいただけることを期待しております」


 オルネラス侯爵からの書状を押し頂いてから懐に納め、シュロッターが退出するのを見送った後で、オーガスタ大きく息を吐いた。


「ふぅーっ、どうする?」

「兄上、これは断れません」

「だろうな。おそらくオルネラスの狙いはユーレフェルトの存続などではないのだろうが、それでも断るのは下策だろう」


 激減した交易量を増やすのか、それとも更に減らした上に塩の流通まで損なうのか、今のオーガスタに選択の余地は残されていない。


「ですが、オルネラスの独立が伝われば、他の領主の動揺は防げません」

「それをいかに少なくするか……いや、我々に恩恵をもたらすようにせねばならぬ。他の貴族にどう伝えるか……知恵を絞ってくれ」

「かしこまりました」


 オーガスタは背もたれに体を預けて天井を仰いだ。


「なぜだ、なぜこうも上手くいかぬ」


 オーガスタの問いに、ベネディットは返す言葉を見つけられなかった。

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