第170話 揺らぐ王家

 ユーレフェルト王国、国王オーガスタの権威は地に落ちた。

 オーガスタは戦況劣勢の責任を問う声に押されて、セゴビア大橋の袂まで出向いた。


 軍議を開き、軍を鼓舞して反転攻勢に出ようとしていた矢先にフルメリンタの砲撃を食らい、側近の勧めに従って後方の街まで撤退した。

 オーガスタにすれば、戦略的な一時撤退のつもりでいたのだが、その行動は国王逃亡としてユーレフェルト軍に広がり、雪崩のごとき全軍潰走を招いてしまった。


 後方の街で撤退してくる軍勢を押しとどめようと命令を下せども、取り残される恐怖に囚われた者達には効果は無かった。

 そもそも、伝令にために橋の向こう側へ行くように命じられた者は、撤退してくる兵の波に押されて全く先に進めない有様だった。


 とにかく橋を渡れ……その一心で撤退してくる者によってセゴビア大橋は大混雑した。

 更には、フルメリンタの軍勢が新兵器を携えて追撃してくるという噂が流れ、混乱に拍車を掛けた。


「早く渡れ! 何をグズグズしてるんだ!」

「前が進まないのに渡れるか!」

「止まるな! 後ろから来てるんだぞ!」

「馬鹿、押すな、押すなよ……うあぁぁぁぁ……」


 セゴビア大橋を渡り終えた先、橋の手前、橋の上、押し合いになり、罵り合い、遂には橋から転落する者まで出る始末だった。

 橋の手前で進めなくなった兵達が槍や剣を抜き、先を行く者達に脅しをかけ、脅された者が更に先の者を脅す。


 撤退する者達は助かりたい一心で、もはや何と戦っているかなど考えられない状態だ。

 橋を渡り終えても、息をつく暇などなく、今度は野営する場所を探して彷徨うことになる。


 一度に撤退してきた兵は、到底街だけでは受け入れきれずに街道からも溢れて、まだ水を張っていなかった田んぼを埋め尽くしていった。

 野営する場所を何とか確保して、ようやく人心地がついた兵達は、そこで初めて疑問を覚えた。


 これだけの軍勢がいるのに、なぜ自分達は敗走しているのかと……。

 疑問に思ったところで、今更橋の向こう側に戻って戦いたいなどと考える者はおらず、一刻も早く家に帰りたいと思う者ばかりだった。


 それだけ大量の兵がいれば、当然大量の食料を消費する。

 自前で食料を確保出来ている兵は良いが、とにかく橋を渡ることだけを考えて敗走してきた者達は食い物に窮した。


 国軍からの融通を受けられれば良いが、融通を受けれられなかった者が次に考えるのは農民からの徴収だ。

 代金を払っての徴収ならばまだしも、本当に支払われるどうかも分からない手形と引き換えに強制的な徴収を行う者もいて、人心の離反を加速させていくことになる。


 撤退する兵を押し留めることが出来なかった国王オーガスタは、セゴビア大橋の死守を命じて王都へと引き返した。

 戦況を好転させるどころか、勝敗を決することになった行動に貴族だけでなく民衆からも非難の声が上がり始めていた。


 オーガスタは、非難の矛先を少しでも和らげるべく、西から侵略してきたマスタフォ勢の排除に力を入れる。

 コルド川東岸地域をフルメリンタから奪還できる可能性が絶望的となった今、マスタフォの侵略まで許せば本当に国が亡ぶという危機感を煽り、兵を鼓舞した。


 侵略されたアントゥイ子爵勢、マクナハン男爵勢、それに自分達の生活圏を奪われる危機感に駆られた国軍の奮闘によって、どうにかマスタフォを押し戻したが代償は少なくなかった。


 死亡した兵への恩給、使用した兵糧の補充、破損した装備の改修、出費ばかりが嵩み、国庫を圧迫していく。

 王城へ戻ったオーガスタにとっての朗報は、第一王女アウレリアと第一王妃クラリッサが始末されていたことぐらいだろう。


 オーガスタは、それまで第一王子派、第二王子派に配慮して控えてきた実弟ベネディット・ジロンティーニ公爵との王城での対面を全面的に解禁した。

 第一王子派、第二王子派によって推挙された宰相ウダムフを更迭し、ベネディットを後釜に据えた。


 それでは、ジロンティーニ公爵家が王家を乗っ取ったようなものだと反発する声が上がったが、オーガスタはスパイのような宰相をこれ以上手元に置いておく気は無かった。

 足を引っ張るような宰相を使っていては、自分の身が危ういと思ったからだ。


 王城は三つの派閥がせめぎ合う場から、国王と第二王女ブリジットが次の王位を巡って鎬を削る場に変わった。

 国王派も第二王女派も、焦点となるのは旧第二王子派の貴族の動向だと考えて取り込み工作を始めたが、誘いを受けた貴族の多くは即答を避けた。


 国王オーガスタは統治能力に問題があるが、対する第二王女ブリジットは全くの未知数だ。

 それに、ブリジットが次期国王を目指すと宣言した後に、国の財務を司るラコルデール公爵と連携して行った、税務調査による締め付け行為に恨みを抱いている者も多かった。


 王女派は取り込み工作の一環として、追加の徴税措置などを取り消したが、処分を受けた側からすれば、取り消されたからといって恨みまで消える訳ではない。

 ただ、恨みを残す者もいれば、実利を考えて私怨は捨てるべきだと考える者もいる。


 王位継承争いが起こっている状況下では、属する派閥を間違えれば王位が移譲された後に泣きを見ることになる。

 自家の繁栄のためには、過去にこだわって判断を誤るわけにはいかない。


 派閥争いが激しくなる一方で、オーガスタとブリジットの友和を目指すべきだと主張する者もいた。

 そもそも、オーガスタとブリジットは血の繋がった親子なのだし、仲違いを止めて手を取り合うべきだという主張だが、既に修復できる段階ではなくなっている。


 国王派はジロンティーニ公爵からブリジットに婿を取って王に据える方針だが、王女派はラコルデール公爵もしくは隣国から婿を取って王配とし、ブリジットが王位を継ぐ方針だ。

 親子の争いというよりも、ジロンティーニ公爵家とラコルデール公爵家の争いだから、手を取り合うなど無理な話なのだ。


 更には、ユーレフェルトからの独立やフルメリンタへの寝返りを画策する者もいる。

 海野和美たちを年末年始に招待したオルネラス侯爵もその一人だ。


 大きな交易港と塩田を有するオルネラス侯爵は、この機にユーレフェルトからの独立が出来ないかと模索していた。

 オルネラス侯爵が独立を考えるようになったのは、ユーレフェルトがあまりにも呆気なくフルメリンタにコルド川の東岸を奪われたからだ。


 そもそも、戦力が拮抗していたはずのフルメリンタに圧倒された理由を探るうちに、オルネラス侯爵は新兵器の情報を得る。

 これまでには無かった兵器によって、これまで戦場の花形であった騎兵隊が殲滅させられた話をを聞き、それを手に入れられれば独立も可能だと考えたのだ。


 オルネラス侯爵の目には、オーガスタもブリジットも己の利益しか考えない愚物に映り、今のままではユーレフェルトと共にオルネラス領までが沈んでしまうと感じたのだ。

 そこで、オルネラス侯爵はユーレフェルト王家とは別に、独自にフルメリンタとの交渉を進めていく。


 オルネラス侯爵の他にも、北の山岳地帯を治めるベラノーヴァ子爵は、フルメリンタに寝返ったノルデベルド辺境伯爵と交渉を始めていた。

 表向きには相互不可侵の取り決めをするためだが、裏ではフルメリンタへの仲介を依頼していた。


 単純に戦力を比較すれば、ベラノーヴァ子爵家はノルデベルド辺境伯爵家の半分にも満たない状況なので、もし戦争となればまともな戦いにもならない。

 ユーレフェルトの貴族達は、大きく様変わりした状況下で、それそれが生き残りを懸けた決断を迫られていくことになる。


 貴族の取り込み工作を始めたオーガスタとブリジットだが、共に決め手を欠いていた。

 そもそもブリジットには領地に関する権限は無い。


 オーガスタには権限はあれども、与える領地が無い。

 フルメリンタに大きく領土の切り取りを許してしまった状況では、与えられる土地は王家の直轄地ぐらいだが、それを切り分けていては王家の力が弱まってしまう。


 そこでオーガスタが最初に打った手は、オウレス・エーベルヴァインに家督の相続を認めることだった。

 オウレスをエーベルヴァイン公爵家の後継者として認め、王家の直轄地としていた領地を返還した。


 返還したといっても、エーベルヴァイン公爵家の領地はコルド川の東側だ。

 フルメリンタに切り取られた状態の土地を自国の領土であると主張して、オウレスに返還したと主張しただけだ。


 つまりは、領地を取り戻したければ自分に協力しろという訳だ。

 馬鹿げた話ではあるものの、ユーレフェルトの三大公爵家といわれていたエーベルヴァイン公爵家が、形の上だけではあるが復活したことになる。


 次に、国軍の役職に就いていた元第一王子派、現王女派の貴族を更迭し、元第二王子派で軍務に関わっていた者達を復権させた。

 国軍を立て直した上で取り込もうという作戦だ。


 そもそも、家督を認めなかったのも、国軍の役職から追い出したのもオーガスタだから、何を今更という話なのだが、打診を受けた者達は悉く了承した。

 当然の権利を取り戻した形だが、どこまでオーガスタに協力するかは定かではない。


 それでも、この施策によって指揮命令系統に芯が通り、ユーレフェルトの国軍は最悪の状態からは脱することになる。

 国軍の役職に返り咲いた人々の多くは、国王オーガスタに思うところはあっても、このまま国が衰退していくのを見て見ぬふりは出来ないと思ったからだ。


 体制を立て直した国軍は、マスタフォを押し戻し、セゴビア大橋の守りを固めた。

 そして、コルド川東岸の奪還を真剣に検討し始めた。


 勿論、絶望的な状況であるのは理解しているが、一方で切り取れば自分達のものになるかもしれないのだ。

 そして、国軍に関わっていた貴族の多くは、先代のエーベルヴァイン公爵に恩義を感じている。


 形だけの家督相続をしたオウレスのためにも、コルド川東岸地域の奪還は夢物語ではなく悲願となっていく。

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