第169話 鎮魂の酒

※今回は富井多恵目線の話になります。


「それでは、フルメリンタの勝利を祝して、乾杯!」

「フルメリンタ、ばんざーい!」


 ユーレフェルトとの戦争に勝って、コルド川から東側の地域を制圧したという知らせが広まって以後、街全体が浮かれている。

 どこに行っても、良かった、良かった。


 フルメリンタ万歳、国王陛下万歳、宰相ユド様万歳……といった感じで、笑顔、笑顔、そして笑顔。

 いくら薄利多売の草笛亭でも、客にはそれなりの愛想を振りまかないといけないから、あたしも笑顔を浮かべている……つもりなんだけど、あたしは上手く笑えているだろうか。


 別にユーレフェルトを応援する気なんてサラサラ無いから、フルメリンタが勝ったことに文句なんかあるはずがない。

 霧風が宰相から聞いてきた話によれば、新川と三森の二人も無事に生き残ったらしいので、良かった、良かった。


「なんでぇ、タエちゃん、あんまり嬉しそうじゃねぇな?」

「いいや、戦争が終わったんだから嬉しいに決まってるさ。フルメリンタが勝ったんだし文句は無いさ」

「だったら、何でそんな微妙なんだ?」

「いやぁ、だってさ、フルメリンタは勝ったけど、フルメリンタの兵士にも命を落とした人はいるんでしょ? そういう人の家族とか恋人の気持ちを考えたらさ、万歳って喜んで良いものなのか……って考えちゃうんだよねぇ」


 そこまで言ったところで、店の空気が盛り下がっているのに気付いた。


「あぁ、ごめん、ごめん、折角の気分に水差しちゃったねぇ」

「いいや、タエちゃんの言う通りだ。ただ、俺らは頑張ってくれた兵隊さん達に感謝して、祝杯を上げるぐらいしか出来る事がねぇからな」

「そうだね、そんじゃ改めて、フルメリンタの勝利を祝して……」

「かんぱーい!」


 どうにかこうにか取り繕ったけど、酔っぱらいのオッサン相手にマジで語っちまうなんてらしくない。

 らしくはないけど、あたしの偽らざる気持ちだ。


 あたしの働いている草笛亭は、薄利多売の売り切り御免がモットーだ。

 この日も、戦争に勝ったことを祝して……という名目で飲みに来た連中で賑わい、仕込んだ串焼きと酒が終わった時点で、早々に閉店した。


「ブリメラさん、さっきはすみませんでした」

「ん? 何の話だい?」

「いやぁ、柄にもなくマジ語りして店の空気を悪くしちゃって」

「あぁ、あんなの気にしなくてもいいよ。ちょっとぐらい背中に冷や水浴びせたところで飲むのを止めるような連中じゃないからね」

「まぁ、そうなんですけどね」

「それに、あたしはタエの言ってたことは正しいと思うよ。こんだけ、どこもかしこもお祝いムードで、そんな中で周りに気を使って泣けない人もいるだろうしね」

「ですよねぇ……王都にいる私らは、遠くから伝わってくる知らせに一喜一憂するだけだけど、現場では命を懸けて戦ってるんですもんね」

「そうだね。どこの国だって末端の兵士は偉い人の言う通りに動くしかないだろうしね」


 そうなのだ、最前線で戦っている者達には、選択する余地なんか残されていない。

 命令に背くような人間がいれば組織は瓦解し、組織が瓦解すれば自分の命が危なくなる。


 結局、末端の兵士は上の言いなりに戦うしかないのだ。

 そうやって、思考停止して戦場に送り込まれてしまった結果が戦争奴隷だ。


 今回の戦いでも、フルメリンタ、ユーレフェルト双方の最前線にいた兵士は、少し前の私達と同じだったのではないだろうか。

 私らと同じように、思考停止の状況で命懸けで戦わされ、命を落としたり、奴隷落ちした者がいただろう。


 特にユーレフェルトには、さぞ多くの命が見捨てられていただろう。

 あの国の連中は、末端の兵士は使い捨てぐらいにしか思っていない。


 いや、使い捨てにされたのは召喚された私らだけで、生粋のユーレフェルト人はちゃんと気遣ってもらえていたりするのだろうか。


「それじゃあ、ブリメラさん、帰りますね」

「はいよ、お疲れさん、明日も頼むよ」

「はい、おやすみなさい」

「おやすみ、タエ」


 草笛亭が夜の営業を終え、片付けも済ませて帰路についても、まだ繁華街は宵のうちだ。

 どこもかしこも戦勝ムード、やっぱり私は異物のように感じてしまう。


 酔っぱらいに絡まれると面倒なので、毛布みたいな外套のフードをスッポリ被って歩く。

 これなら外から見ただけでは、男か女かも判別できないはずだ。


 ただ、この頃少し春めいてきて、もうそろそろフードを被って歩くのは暑くなりそうだ。


「あぁ、さっさと帰って一杯やって寝ちまおうっと……」


 最近、ちょっとお酒の味を覚え始めた。

 娼館にいた頃には強引に飲まされていたからか、美味しいなんて感じなかった。


 あるいは娼館で出す酒は、不味い安酒だったのかもしれない。

 草笛亭で働くようになって、ブリメラさんにお酒の仕入れの話を聞いてから、味見を頼まれるようになったのだ。


 基本的にブリメラさんが選ぶ酒だから、値段は手頃だけれど味が良い。

 美味しい酒をちょこちょこと飲んでるうちに、酒の美味さが分かるようになってきたらしい。


 時々、草笛亭から酒瓶に分けてもらい、自分の部屋で一杯やるのが寝る前の楽しみになっている。


「キリカゼがアラセリさんと仲良ししていなかったら風呂に入って、温まってから一杯やるか」


 キリカゼ夫妻が色々した後には、流石に風呂に入る気分にならないので、そん時は一杯飲んで寝てしまう。

 あの二人は、何て言うか見てる方が恥ずかしくなる馬鹿ップルだから困る。


 まぁ、夫婦でいがみ合っているよりは遥かに良いのだろうが、当てられっぱなしだ。

 風呂やら酒やらのことを考えていたら、戦争絡みのあれやこれやは頭から抜け落ちていたのだが、貴族街の方へと道を曲がって少し歩くと、前から怒号が聞こえてきた。


「あぁ? なに白けること言ってんだ!」

「うるさい、思ったことを言って何が悪い!」


 声の調子からして、どちらも酔っぱらった男性のようだ。

 視線を向けると、貴族街との境になる水堀に架かる橋の真ん中で、男が二人掴み合いをしていた。


「フルメリンタの勝利を喜ぶのは当り前だろう!」

「喜ぶなとは言ってない! 酔って馬鹿みたいに騒ぐなと言ってるんだ!」

「貴様だって酔ってるではないか!」

「だからどうした、酔わずにいられるか!」


 二人ともかなり酔っているようで、掴み合ったまま、あっちにヨロヨロ、こっちにヨロヨロしていて、下手に横を通り抜けようとするとぶつかりそうだ。

 喧嘩するのは勝手だが、少しは周りの迷惑も考えてほしい。


「フルメリンタが勝利したのに、湿気た面して酔わずにいられないだと、貴様ユーレフェルトの味方か!」

「んな訳あるか! ユーレフェルトなんか滅びればいい!」

「だったら、なぜ喜ばん! フルメリンタがユーレフェルトを打ち負かしたのだぞ!」

「親友が死んだからだ!」


 血を吐くような男の叫びに、掴み掛かっていた男もビクリとして動きを止めた。


「ガキの頃から兄弟みたいに育った親友が死んだ! 国のために戦った立派な最期だったと言われた……けど、納得出来るかぁ!」


 それまで酔った勢いで掴み掛かっていた男は、急に正気に引き戻されて戸惑っているように見える。


「だが、兵士だった国のために戦うのは仕方の無いことじゃないのか?」

「そうだ、兵士は国のために戦う。俺の親友も国を守って戦うことに誇りを持っていた。兵士は、国が戦えと言えば戦うしかない!」


 片方の男のテンションが落ちても、もう一人の男は酔いも興奮も醒めていないようで、大声で喚き続けている。

 その声を聞きつけて、何事かと通行人が集まり始めていた。


「分かった。こうしよう、君の親友のために鎮魂の酒を手向けよう……」

「違う! 違う、違う! そんな事を言ってるんじゃない! なぜだ、なんでユーレフェルトの奥深くまで入り込む必要があったんだ! なんで国境を守るだけじゃ駄目だったんだ! こんな国盗りの戦なんかしなければ、あいつは死なずに済んだだろう! なぜだぁ!」


 集まってきた野次馬の中に、喚き散らす男の疑問に答えられる者はいなかった。

 フルメリンタが侵略した理由は、国土を広げ、今はほぼ同等の国力に大きな差を付けて、ユーレフェルトが戦争を仕掛けようなどと考えないようにするためだと霧風から聞いた。


 説明を受けた時には、なるほどと納得したのだが……目の前の男に同じ話をして納得させられるかと聞かれれば、無理だと答えるしかない。

 人間の感情は、そんな損得勘定で納得させられるようなものじゃない。


 喚いていた男は、興奮か酔いを加速させたのか、まともに立っていられなくなって道に座り込んでしまった。

 このまま道の真ん中で寝込んでいたら、馬車に撥ねられるか、凍死するかのどちらかだろう。


 自分と同じように、戦勝ムードに浮かれる街で異物のように嘆いていた男に手を貸してやろうかと思ったら、さっきまで掴み掛かっていた男が神妙な顔つきで肩を貸した。

 喧嘩は終わりなのかと散っていく野次馬共は、喚いていた男の想いを殆ど理解出来ていないのだろうが、掴み合っていた男の心には響いたのだろう。


 肩を組んで、ヨロヨロと繁華街の方へと歩み去っていく男達を見送って、私も家路についた。

 うん、今夜の酒は、戦場に散った名も知らぬ兵士達への鎮魂の酒にするとしよう。

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