第162話 動き始めた戦況
膠着した戦況を打破するべく、フルメリンタはヤーセルを中心とした部隊や火薬を持たせた工作員によって南部で構成を強めていたが、キュベイラム伯爵は粘り強く抗戦を続けていた。
北部の戦線でも、三森拓真の発案による奇襲攻撃が続けられていたが、いずれも大きく戦況を動かすまでには至っていない。
そんな状況の中、意外な場所から戦況が動こうとしていた。
ユーレフェルトを地図上で眺めると、北は万年雪を抱く山脈が連なり、峰を越えての往来は行われていない。
東の国境を接するフルメリンタとは抗戦中で、南は海に面している。
そして西側は、二つの国と国境を接している。
北西に位置するミュルデルスと、南西に位置するマスタフォとは、長年に渡ってユーレフェルトと友好関係を築いてきた。
それに加えて、国の規模では両国ともユーレフェルトの半分にも満たない小国だ。
そのため、ユーレフェルトの国王オーガスタはフルメリンタと抗戦状態に入った後も、西側の国に対しては特段の注意を払って来なかったのだが……フルメリンタからの調略の手は確実に伸びていた。
フルメリンタが目を付けたのは、南側の国マスタフォだ。
元々、フルメリンタとマスタフォは海上交易を行う間柄で、友好的な関係だった。
そのマスタフォに対してフルメリンタは、ユーレフェルトとの関係を断絶し侵略を行うように促したのだ。
当初マスタフォは、フルメリンタからの使者に対して良い顔をしなかったが、コルド川の東岸地域においてフルメリンタが優勢に立っているという知らせが届くようになると態度を軟化させはじめた。
マスタフォ国内で、勝ち馬に乗ったほうが良いという意見が強くなり始めたのだ。
それに加えてフルメリンタからは、これまでに無い交易品が送られて来るようになっているからだ。
万年筆や算盤など、霧風優斗がアイデアを伝えて製作された品々は、マスタフォでも高値で取り引きされている。
交易相手として旨みが大きく、かつ戦況を優位に進めているとなれば、ユーレフェルトからフルメリンタに乗り換えようと考えるのは当然だろう。
ユーレフェルト西部でマスタフォと境を接する領地を持つ、カラブエラ伯爵、アントゥイ子爵、マクナハン男爵の三家は、いずれも国王派に属する貴族だった。
ユーレフェルト国王オーガスタは、戦況悪化による自分への批判を食い止めるために、国軍だけでなく自派閥の貴族にも派兵を命じていた。
特に立場の弱いアントゥイ子爵やマクナハン男爵には、急いで兵を送るように、矢継ぎ早の催促が届いていた。
慌ただしい兵の動きは、境を接するマスタフォにも伝わり、寝返りのための最後の一押しとなった。
東部への援軍のために守りが手薄となったのを確認したマスタフォは、ユーレフェルトに対して宣戦布告を行い、アントゥイ子爵領とマクナハン男爵領へと攻め入った。
この二つの領地はマスタフォの土地であった歴史があり、先祖伝来の土地を取り戻すというのが大義名分だ。
ただし、現在の国境線が固まってからは五十年以上の月日が経過しており、ゴリ押しという印象はいなめない。
それでも、北の隣国ミュルデルスにも使者を立てて宣戦布告を行ってからなので、一応作法には則った開戦とみなされる。
想定外の事態な上に、援軍拠出のために戦力が手薄になっていたアントゥイ、マクナハンの両家はたちまち押し込まれていく。
両家は派閥の上位貴族でもあるカラブエラ伯爵に救援を求めたが、こちらはこちらで動けない事情を抱えていた。
ユーレフェルト国内を東西に貫く街道は、カラブエラ領の領都で南北に分かれ、北側の街道がミュルデルス、南側の街道がマスタフォへと通じている。
この街道の要衝を守るのがカラブエラ伯爵の役目でもあり、不用意に援軍を出せば自分の領地がマスタフォや、場合によってはミュルデルスに侵略される恐れがある。
そのため、東の境を接する派閥の当主でもある、ジロンティーニ公爵に援軍を求めたのだが、こちらもフルメリンタとの戦いに掛かり切りで急な求めに応じる余裕が無かった。
結果として、アントゥイ子爵領とマクナハン男爵領はマスタフォが切り取るに任せるような状況へと陥っていく。
これによってユーレフェルト国内では、国王オーガスタの責任を問う声が更に高まっていく。
ユーレフェルト西部での陽動に成功したフルメリンタは、南部での攻撃方針を変更して、更なる調略の手を伸ばすことにした。
これまで領地を放棄して退去するように働きかけてきたキュベイラム伯爵に対して、地位と領地を保証する代わりにフルメリンタに寝返るように誘いを掛けた。
同時に、コルド川を挟んだ対岸、ユーレフェルト南部の大領主であるオルネラス侯爵に対しても寝返るように調略の手を伸ばしたのだ。
コルド川東岸地域をフルメリンタが支配することになり、西からマスタフォの侵略を受ければユーレフェルトの弱体化は火を見るよりも明らかだ。
その段階になってから方針を変更したので、フルメリンタに対する印象が悪くなる。
何より、オルネラス侯爵領も海洋交易によって潤っている地域故に、取引相手と敵対するのは得策ではない。
その一方で、現時点でフルメリンタに寝返ってしまった場合、ユーレフェルトの南部で孤立してしまうのも事実だ。
逆に、現状を利用してユーレフェルト国内での影響力を更に高めることも可能だ。
結局、オルネラス侯爵の選択は、フルメリンタに寝返ることはしないが、キュベイラム伯爵への支援も停止するという玉虫色の返答だった。
それでもフルメリンタにとっては、支援を停止するという言質が取れたのは大きかった。
コルド川対岸からの支援を断たれ、更にシルブマルク領との往来を分断する動きが強まると、追い詰められたキュベイラム伯爵はフルメリンタからの申し出を受け入れざるを得なくなった。
戦によって踏み荒らされた田んぼを整備して、今年の田植えに備えるにはギリギリのタイミングでもあったからだ。
キュベイラム伯爵は、フルメリンタの軍官を受け入れ、降伏しフルメリンタへ下る文書を取り交わした。
これによって、コルド川東岸におけるユーレフェルトの支配地域はシルブマルク伯爵領を残すのみとなった。
フルメリンタは、セゴビア大橋経由の補給を拠り所としているユーレフェルト軍を包囲するように軍を展開した。
シルブマルク伯爵領に展開しているユーレフェルト軍は、兵士の数と物資だけは潤沢に持ち合わせていたが、指揮命令系統が混乱したままだった。
元々この地域は、第二王子派のザレッティーノ伯爵が治めている土地だったが、前回の戦での不手際を問われて転封の命令が下され、代わって領主に収まったのが第一王子派のシルブマルク伯爵だ。
街道の要衝でもある土地を治めるために、いわば鳴り物入りで現地入りしたシルブマルク伯爵には、第一王子派からの多くの支援があった。
ただし、シルブマルク伯爵は財務畑の人間で、軍務に関する知識が乏しい。
武装解除して落ち延びてきた各家の兵士を組み入れ、装備を与えて軍の再編を目指したものの、思うように手勢を動かせずにいた。
そこへ今度は、国王派の息が掛かった援軍が到着して、誰が指揮を執るのかで揉め始めた。
一応、防衛ラインを設定して、フルメリンタの軍勢が攻めかかってくれば応戦するが、連動して戦線を押し戻すような動きは見られない。
本来ならば、補給の生命線であるセゴビア大橋を確保するためにも北の戦線を押し上げ、共に残っているユーレフェルトの支配地域であるキュベイラム伯爵領を守るために、南に軍勢を派遣するべきだった。
ところが命令系統が混乱しているうちに、北側は有利な高台にフルメリンタが陣地を築くのを許し、南ではキュベイラム伯爵が寝返ってしまった。
事態悪化に焦った国王派の指揮官は、街道に沿って東側へ戦線を押し戻そうと、援軍として来た騎兵を並べて戦いを挑んだが、連発式の長銃を加えたフルメリンタの銃撃部隊の餌食とされてしまい、戦線を押し戻すどころか味方の士気を下げてしまう。
フルメリンタにしてみれば大勝利ではあったが、その代償として大量の弾薬を消費してしまい追撃して押し込むほどの余力は無かった。
物資だけは潤沢にあるユーレフェルトに対して、補給に不安を残すフルメリンタがとった次なる一手は流言を撒くことだった。
「キュベイラム伯爵領を落としたフルメリンタは、いよいよセゴビア大橋を攻め落とすつもりだ!」
ユーレフェルトの軍勢、特にセゴビア大橋から離れた南方に展開している部隊にとって、最も恐れる事態がセゴビア大橋の陥落だ。
セゴビア大橋をフルメリンタに抑えられてしまえば、コルド川の東岸で孤立することになる。
今は物資が豊富でも、補給が無くなれば当然困窮する。
自分達が勝利してセゴビア大橋から離れるほどに、孤立の危険が高まるのではないか。
こうして戦っている間にも、自分達は孤立して背後からも攻め込まれるのではないか。
疑心暗鬼の状況が、更にユーレフェルト勢の戦意を奪っていった。
その頃、ユーレフェルトの王都エスクローデでは、戦線の回復というよりも自身への非難の矛先を少しでも和らげるために、国王オーガスタが出陣を決めた。
時を同じくして、フルメリンタからは増産された弾薬が、ようやく前線に向けて送り出されていた。
コルド川東岸を巡る戦いは、いよいよ終盤へと向かう。
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