第160話 無理な要求

 施術が休みの日には、ほぼ一日アラセリと過ごしている。

 フルメリンタとユーレフェルトの戦争は気になるが、今の俺に出来ることは無い。


 そもそも、俺の転移魔法の射程は十メートル程しか無いので、戦場で役に立つにはそれこそ最前線に行くしかない。

 フルメリンタには世話になっているが、その分は蒼闇の呪いと呼ばれている痣を除去する施術で貢献している。


 現状、痣の除去が出来るのは俺だけで、施術を受けるために隣国カルマダーレからも貴族の子女が訪れている。

 これはフルメリンタにとっては、カルマダーレから人質を取っているのと同然で、ユーレフェルトと戦争をしている間に、背後から攻められる恐れを低くくする効果が期待できる。


 その方が、最前線であっさり死ぬよりは遥かに有用な働きだろう。

 だから、俺は戦場に出るつもりは無い。


 戦場に出るつもりはないが、休みの日にはアラセリに剣の手ほどきを受けている。

 施術を行っている間は椅子に座りっぱなしで、精神的な疲労はあるけれど、肉体的には完全なる運動不足だ。


 まだ二十歳にもならないのに、ポッコリした腹を抱えているなんて御免だ。

 それに、剣の師匠マウローニの恩義に報いるためにも、鍛錬は続けていきたいと思っている。


 アラセリから剣の手ほどきを受けた後は、二人で風呂に入って汗を流す。

 といっても、鍛錬の間に埃と汗にまみれるのは俺だけだ。


 いくら頑張って撃ち込んでも、アラセリは涼しい顔のまま平然と俺の剣を受け流してみせる。

 これまでに積み重ねてきた努力や経験の差だから、この先も縮まらないのだろう。


 汗を流してサッパリしたら、アラセリと一緒に街に出掛ける。

 休日の昼食と夕食は外食にして、ハウスメイドのハラさんにも休んでもらっているのだ。


 それに、ハラさんの作る食事も美味しいが、せっかくフルメリンタの王都にいるのだから、色々な料理を堪能したいと考えたのだ。

 アラセリと街に出て、買い物をしながら店員さんにそれとなく美味しい店を訊ねて、その推薦の店に行ってみるというパターンだ。


 料理の感想は毎回日記に綴っているので、いずれファルジーニのグルメガイドブックでも発行してみるかな。


「今日は、春物の服を見ながら、春らしい食事ができる場所でも探してみようか?」

「いいわね。でも……後をつけられているわ」


 アラセリの言葉に、思わず上げそうになった大声を飲み込んで、一息入れてから囁いた。


「いつから?」

「家を出た直後からだから、最初から尾行する目的のようね。ただ、殺気は感じられないわ」

「宰相の使い……とか?」

「違うと思う。宰相の使いならば、声を掛けてくるでしょう」

「まぁ、そうだね、では、どこの連中なんだろう?」

「さぁ、少し様子を見てみましょう」


 アラセリの話によれば尾行してくる相手は、男二人、女一人の三人組だそうだ。


「俺の施術が目的なのかな?」

「たぶん……その可能性が一番高いわ」


 現在、蒼闇の呪いと言われる痣を消す施術は、フルメリンタの貴族と隣国カルマダーレの貴族に限られている。

 一般市民の中でも、貴族顔負けの財産を築いた物の中に、施術を求める者がいても不思議ではない。


 仮に尾行している連中の目的が俺の施術ならば、殺気を伴っていない事も頷ける。


「接触してくるかな?」

「恐らく……」

「じゃあ、それまでは気付かない振りをしていよう」

「分かったわ」


 貴族街を抜けて商業地区に入っても、正体不明の男たちは後をつけて来ているようだ。

 俺が下手に確認すると気付かれそうなので、様子を探るのはアラセリに任せておく。


 行きつけの服屋に寄り、春物の服を注文して次の店へ向かう途中で、アラセリが囁き掛けてきた。


「一人いなくなっているわ」

「どこかに連絡に向かったのか?」

「そうかもしれない」


 そんな会話をしながら歩いていると、前から来た二人組の男がこちらに向かって頭を下げてから話し掛けてきた。


「失礼ながら、ユート・キリカゼ様とお見受けいたしますが……」

「そうだが……何か?」

「私どもの主が是非ともお会いしたいと申しておりまして、よろしければお食事に招待させていただきたいのですが……いかがでしょう?」

「ふむ……」


 腕を組んでいるアラセリに視線を向けると、軽く頷いてみせた。


「構わないよ。どこに行けばいいんだ?」

「どうぞ、こちらへ……」


 二人組の男が先に立って脇道へと入って行く。

 男達に続いて歩いて行くと、いつの間にか距離を詰めてきた家から尾行していた男二人が後ろを固めていた。


 この状況を護衛と捉えるか、それとも逃がさないための包囲だと捉えるべきなのか……。


「こちらです。どうぞ……」


 案内されたのは、脇道を少し入ったところにある洒落た感じの屋敷で、小さな看板が掲げられた隠れ家的なレストランのようだ。


「いらっしゃいませ」


 出迎えた執事風の男性に、ここまで案内してきた男が目で合図を送っていた。

 どうやら、案内役の男達はここまでのようだ。


 レストランの看板は出ていたが、玄関を入った先は普通の屋敷にしか見えなかった。

 どうやら全ての席は個室になっているらしい。


 案内されたのは、手入れの行き届いた中庭に面した日当たりの良い部屋で、太った中年の男と給仕の男性が俺達を出迎えた。


「ようこそ、ようこそ、キリカゼ卿。私はムベルモと申します。ささ、どうぞお掛け下さい」


 生え際が随分と後退した脂ぎった顔に、満面の笑みを浮かべたムベルモが席を勧めてきた。

 面白半分で誘いに乗ってみたのだが、この顔を眺めながらの食事では美味さも半減しそうだ。


 六人が座っても余裕がありそうな大きなテーブルは、一枚板で作られているようだ。

 給仕の男に椅子を引いてもらい席に着く。


 染み一つ無い清潔なテーブルクロスには、数組のナイフやフォーク、足の付いたグラスなどが並べられている。


「それで、私に何の用ですか?」

「まぁまぁ、まずはお近づきに一杯、ささ、どうぞ……」


 ムベルモが目配せすると、給仕の男性が洗練された手付きで酒を注いでくれた。

 グラスを顔に近付けるまでもなく、芳醇な香りが辺りに立ちこめた。


「では、良き出会いに……」


 先にアラセリが一口酒を含み、小さく頷いたのを見てから俺もグラスに口をつけた。

 アルコールの尖った感じがしないで、果実が熟成された複雑な味わいが口の中に広がる。



 酒に詳しい訳ではないが、良い酒なのだろう。

 前菜が運ばれてきたところで、ムベルモの目的を訊ねた。


「料理に手を付ける前に、我々を招待した目的を明かしてもらいたい」

「改めて申し上げる必要も無いと思いましたが……蒼闇の呪いの痣を消す施術について話を聞かせていただきたいと思い御足労いただきました」

「施術についてですか……構いませんよ、答えられる範囲で答えましょう」

「では、ズバリお伺いいたします。施術はキリカゼ卿にしか出来ない方法なのでしょうか?」

「いいや。私と同じ事が出来るのであれば、施術は可能だ」

「なんと……本当ですか?」


 俺以外の人間でも施術が可能と聞くと、ムベルモはテーブルに身を乗り出した。


「本当だが、施術を行うには大きく分けて二つの能力が必要になる」

「それは、どんな能力ですか?」

「一つは、肌の内側にある痣の原因となっている微細な物質を認識する能力。もう一つは、転移魔法だ」

「転移魔法……痣を取り除くのに転移魔法を使っていらっしゃるのですか?」


 俺が頷き返すと、ムベルモは乗り出していた体を背もたれに預けて天井を仰ぎ見た。


「はぁ……転移魔法の使い手では、我々ではどうにもなりませんね」

「そうなのか?」

「はい、フルメリンタでは転移魔法の使い手は国の庇護下に置かれることになっていますが、そもそも殆ど現れません」

「そういえば、私以外の転移魔法の使い手には会ったことがないな」


 食事をしながら話を聞くと、ムベルモはこのレストランを含めて手広く商売をしているらしい。

 その中には、女性が男性を接待する店もあるらしい。


「ご存じの通り、蒼闇の呪いの痣は、殆どの者が持っております。顔などの目立つ場所に無くとも、背中や腹、胸などに痣を持つ者は少なくございません」

「つまり、肌を見せる女性たちの痣を消したいという訳だな」

「その通りです。痣の無い肌を持つ女は、それだけで値打ちが出ます。一夜を共にする値段が、三倍にも四倍にもなります」

「それだけ儲かるという訳か」

「おっしゃる通りですが、単純に私が儲けるだけではございません。体を売る女どもは、金銭的な事情を抱えております。何の理由も無しに、体を売る者はおりません」

「なるほど……痣が消えれば稼ぎが増えて、早く足抜けが出来るという事か」

「その通りでございます」


 ムベルモは、我が意を得たりとばかりに大きく頷いてみせた。


「ふむ……悪いが、そちらの希望には応えられそうもない」

「勿論、施術の代金はお支払いいたします」

「いや、金の話じゃないんだ」

「と、おっしゃいますと?」

「私の施術は、国の管理下に置かれていると思ってくれ。フルメリンタ国内の貴族以外に、隣国カルマダーレの貴族に対しても施術を行っている。現状、そうした人達が順番を待っている状態だから、他の施術は行えない」

「そうですか……何とかなりませんかね?」

「宰相ユド・ランジャール殿の同意を得られれば……あるいは可能かもしれないが、そもそも顔以外の部分の施術を行っていない。貴族の皆さんにも行っていない顔以外の部分の施術はまず無理だろうな」

「そうですか……」


 そうですか……と繰り返しつつ、ムベルモは納得していない様子だった。

 娼館を経営しているとなれば、裏社会との繋がりもあるのだろう。


 ムベルモ自身もそうだが、ここまで案内してきた男達も堅気の人間ではない雰囲気を感じる。

 ただ、出された料理はどれも上質で、文句の付け所の無いものばかりだった。


「すっかり御馳走になった。期待に応えられず申し訳なかったね」


 席を立とうとすると、ムベルモはそれまでとは違った笑みを浮かべた。


「いえいえ、こちらの期待には、いずれ応えていただきますよ」

「だが、いくら金を積まれても、駄目なものは駄目だからな」

「私としても手荒な真似はしたくないのですが……何も難しい話をしている訳じゃありません。宰相殿の目の届かないところで、ちょちょっとやってくれればいいんですよ」


 ムベルモが右手を挙げて合図をすると、ドアが開いて男が屈強な男が四人入ってきた。


「これだけの持て成しをして、何も無しで帰られたら困ります。さぁ、施術の予定を相談いたしましょうか」


 ムベルモの言葉に合わせるように、中央の男が腰に下げていた剣を抜いてみせた。


「何と言うか……これだけの店を経営しているんだから、もう少し捻りの利いた展開は無いものかね」

「店が気に入ったなら、いつでも使って構いませんよ。施術をして下さるならね」

「ムベルモ、あんたの首は、その男の剣よりも頑丈かい?」

「はぁ? 私の首だ……あぁぁぁ!」


 ムベルモの視線が向けられた瞬間を狙って、転移魔法で男が手にした剣を真っ二つに切断した。

 ゴトンと音を立てて落ちた剣を見て、俺とアラセリ以外の人間は目を見開いて蒼ざめた。


「そっちがその気なら、こちらも容赦はしないぞ。俺や妻、屋敷の同居人、ハウスメイド、誰か一人にでも手を出すならば、あんたの首がその剣みたいになると思え」


 ムベルモは、無言でガクガクと頷いてみせた。


「行こうか、アラセリ」

「はい」


 俺とアラセリが席を立つと、立ち塞がっていた男達は壁際まで退いて道を空けた。

 経営者の男はいただけないが、店自体はなかなか良いので、折を見て利用させてもらおう。

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