第159話 戦への想い

※今回は、富井多恵目線の話になります。


 あたしが働いている草笛亭のモットーは、早い、安い、美味いだ。

 どこかで聞いたようなモットーだけど、休憩時間が限られている腹ペコ労働者たちにとって、手早く空腹を満たせるメリットは大きい。


 早く食事を済ませられれば、残った時間はゆっくり休憩が出来るからだ。

 まぁ、日本と違って時間に関しては随分と大らかだとは思うけど、体を動かす人たちは事務職よりも腹が減る。


 人間にとっての三大欲求の一つを満たすことは、精神の安定にも繋がる大事なことなのだ。

 草笛亭を利用するのは、周辺の倉庫街で働く人たちばかりだし、多くは常連さんなので店のモットーはわかっている。


 さっさと頼む、来たら早く食う、食ったら次の人に席を譲る……店の回転率が良いから、薄利多売でやっていける。

 なので、店は毎日繁盛して混雑しているけれど、聞えてくるのはパスタを啜る音ばかりで、あまり話し声は聞こえて来ないのだが、それでも近頃は戦の話を頻繁に耳にする。


 というのも、ここ王都からも補給の物資が次々に運び出されているからだ。

 物が動けば人や金も動く、今のところ戦は倉庫街の労働者にとっては恩恵になっているようで、忙しいけど実入りは増えているらしい。


「聞いたか、もうちょいでコルド川の東側を占領できそうなんだとよ」

「そうなったら、今よりも荷が増えるのか?」

「そりゃ当然増えるだろう。少なくとも減るってことは無いはずだ」

「かぁ、まだ忙しくなるのかよ……給金が増えても使ってる暇がねぇよ」

「じゃあ、俺が代わりに使ってやろうか?」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ。手前に使わせるぐらいなら全部飲んじまうよ」


 仕事の合間に耳にする話は、今の所景気の良い話ばかりだが、本当にその情報が正しいのか、景気の良い話が今後も続くのか少し不安になる。

 禍福は糾える何とやら、良い話はいつまでも続くとは限らない。


 それに、国からの発表なんてものは、自分達の功績を殊更に強調するもので、話半分に聞く程度にしておいた方が良い。

 どこの国の政府だって、自分達の功績は誇り、都合の悪い話は握りつぶそうとするものだから。


 昼の営業が終わると、やっとあたしたちの賄いの時間だ。

 今日は、店の女将ブリメラさんじゃなくて、あたしが腕を振るった。


「細かく叩いた肉と干しトマトを合わせたのかい?」

「そうです、ちょっと辛いですよ」

「ほぅ、それじゃあいただこうかね」


 作ったのはミートソースに唐辛子を合わせたピリ辛ミートソースだ。


「おっ、これは結構辛いね。でも、この辛さが食欲を刺激するね」

「もうちょっと控えめの方が良かったですかね?」

「いや、このぐらい辛い方が体も温まっていいよ」


 ブリメラさんの評価も上々のようだ。

 これまで、ブリメラさんの息子ドナトさんも一緒に賄いを食べていたが、最近は店の二階に暮らしている嫁ノエミと一緒に食べている。


「あー……でも、ノエミさんには控え目の方が良かったかも……」

「大丈夫だよ、別にノエミが辛いものを食べたって、乳まで辛くなったりしないよ」

「それもそうですね」


 ノエミさんが出産したので、子育ての間あたしが雇われている。

 自分で言うのもなんだが、結構頑張って働いているから、店の売り上げには貢献できているとは思う。


「はぁ、それにしても、あっちでもこっちでも戦の話ばっかりだね」

「仕方ないんじゃないですか。お客さんたちの仕事にも影響が大きいみたいですから」

「そうだね、だけど戦のおかげで稼ぐんじゃなくて、平和でも稼げるのが一番だよ」

「でも、一度始めると終わらせるのは大変そうですからね」

「だろうね、聞いた話じゃ今回の戦は随分と規模が大きいみたいだしね」


 フルメリンタの王都ファルジーニでは、戦の話は農閑期の風物詩のようなものだったそうだ。

 といっても、国境の中州と対岸の間で魔法の撃ち合いがあった……程度の話が聞こえてくるだけで、実際に領土を取り合ったとか、何人犠牲が出たなんて話は聞かなかったらしい。


 そんな状況が変わったのは、あたしたちが参加したユーレフェルトによる奇襲攻撃からだ。

 ワイバーンが来るまでは、ユーレフェルトが優勢だったし、あのまま中州を確保してもおかしくなかった。


 大勢の一般人が犠牲になったことで、フルメリンタ国内はユーレフェルトへの敵愾心がこれまでに無いほどの盛り上がりをみせたそうだ。

 だから今も街中で聞えてくる声はの多くは、ユーレフェルトをやっつけろ、今度こそ完膚なきまでに叩き潰せというものが殆どだ。


 むしろ、ブリメラさんのように戦なんて無い方が良いという人の方が少数派なのだ。


「あいつら無事だろうな……」

「なんだい、タエの知り合いは戦に参加してるのかい?」

「よく分からないんですけど、たぶん……騎士団の仕事をしていたんで、その関係で連れていかれてるかもしれないです」

「そりゃ心配だね」

「ええ、でも結構しぶとい連中なんで、生き残ってくれると思います」

「やっぱり、戦なんかさっさと終わるに越したことはないよ」


 昼休みの間、戦の話をしたのはそこまでで、あとは料理の話や店の経営、王都の習慣とか最近街で流行っているものとか、たわいのない話をした。

 なんとなくだが、知り合いが戦に参加していると話したことで、少し気を使わせてしまったように感じる。


 あいつら、本当に死んでないだろうな。

 せっかく戦争奴隷に落ちた後もしぶとく生き残ったんだから、下らない戦で死んだりするなよな。


 草笛亭は、昼はパスタ屋で夜は串焼き屋になる。

 夜の営業も回転率重視の薄利多売だけど、さすがにお酒を飲むから話に花が咲く。


 当然、話題はユーレフェルトとの戦だ。


「とうとう残す領地は二つだけだそうだ」

「てことは、川向うもフルメリンタになるんだな」

「あーっ、俺も戦に参加しておけば、手柄を立てて貴族様になってたのに……」

「馬鹿ぬかせ、お前なんざ流れ矢に当たってコロっと死んじまうよ」


 戦の話はするけれど、草笛亭に来る人達は実際の戦は経験したことは無さそうだ。

 フルメリンタは、もう数十年の間、国の奥まで攻め込まれたことが無い層だから、オッサン連中でも従軍経験が無いのは当然なのだろう。


 だが、時々お客の中に実戦に巻き込まれた人がいる場合もある。

 普段から、やたら声の大きいハゲ親父が仲間と騒がしく飲んでいるところに、ボソリと呟いた男がいた。


「がははは、俺様が戦に行ってれば、バッサバッサとユーレフェルトの連中を切り伏せてたぜ」

「ちっ、馬鹿が……そんな簡単にいくわけねぇだろう」


 少し細身で陰気そうな男は、最近になって良く見掛けるようになった客だ。

 もしかすると、どこか他の街から王都に流れてきたのかもしれない。


「なんだと、こらぁ! お前だって戦に行ったことなんかねぇだろうが!」

「国と国の戦は無いが、山賊と殺し合ったことならあるぞ。殺すか殺されるかの戦いってのは、そんな簡単なものじゃねぇ。こっちも向こうも死に物狂いだからな、一回斬り付けた程度で勝負なんか決まらねえんだよ。むしろ一太刀で殺される奴は幸せかもな。殆どの奴は、あちこち切り刻まれて、痛みに悶えながら死んでいくんだ」


 相当壮絶な殺し合いをしたのだろう、陰気そうな男は自分の両手に目を落としてワナワナと震えていた。


「殺し合いってのは……」

「はいはい、暗い話はそこまでにしておいて。うちは明るく、楽しく、美味しく、ぱっと食べて、ぐいっと飲んで、キッチリお勘定して帰る店だからね。血生臭い話は、他所の店でやってね」


 店の空気がズーンっと重たくなりそうだったから、声を張って中断させた。


「おぅ、すまねぇなタエちゃん、んじゃ次の店に行くとすっか」

「お、おぅ、そうだな」

「はいよ、毎度あり! 飲み過ぎて、そこらで寝込んで風邪引くんじゃないよ」

「おぅ、そうしたらタエちゃんに人肌で暖めてもらうかなぁ……」

「いいよ、貴族街に屋敷を買ってくれるなら考えるよ」

「ぐはっ、そいつはいくらなんでも高すぎだろう」

「串焼きと酒は安く売るけど、あたしは安くないからね」

「こいつは参った、退散するか」


 ハゲ親父たちが勘定を済ませて店を出ると、陰気そうな男も串焼きを噛み締め、酒で流し込んで席を立った。


「迷惑を掛けて悪かった……」

「いいよ、いいよ、簡単には忘れられないことだろうけど、生き残ったあんたに罪がある訳じゃないんだ、もっと楽に生きていいんじゃない?」

「そう、だな……努力してみよう……」


 あたしも何人も殺してるから大丈夫だよ……とは、さすがに言えなかったけど、勘定を済ませて店を出ていく男は、少しだけ肩の荷を下ろしたようにも見えた。

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