第146話 情報の遅れ
ユーレフェルト王国にも、フルメリンタと同様に瑠璃鷹を使った通信網が整備されていた。
コルド川に架かる橋が攻撃されて焼け落ちた情報は、セゴビア大橋の近くにある通信所から飛び立った瑠璃鷹によってユーレフェルトの王城へともたらされた。
セゴビア大橋から王城まで、リレー方式で昼夜を問わず早馬を走らせたとしても二日半から三日は掛かる。
その距離を瑠璃鷹ならば半日ほどで届けられるのだから、この世界の通信方法とすれば極めて優秀だ。
ただし、それは用意周到に準備を整えてキチンと運用されればの話だ。
セゴビア大橋近くの通信所で通信士として働いているヌディカは、相次いで届いた知らせを手にして絶望的な気分を味わわされていた。
差出人はセルキンク子爵とベルシェルテ子爵で、内容はいずれもフルメリンタによる侵攻を知らせる緊急通信だった。
ユーレフェルトでは、コルド川よりも東側から放たれる瑠璃鷹は、セゴビア大橋の通信所へと集められる。
空腹や疲労によって瑠璃鷹が墜落して、知らせが届かなくなるリスクを軽減するために、余裕をもって飛べる距離で知らせを中継する形がとられているのだ。
セゴビア大橋の通信所に届いた知らせは、通信士が確認した後、別の瑠璃鷹によって王城へと届けられる。
瑠璃鷹は訓練された魔物ではあるが、指定された場所の間を往復することしか出来ない。
セゴビア大橋の通信所まで来た瑠璃鷹を放てば、セルキンク子爵とベルシェルテ子爵の下に戻るだけで、王城へ届けるには専用の瑠璃鷹を使わなければならないのだ。
通信士のヌディカが絶望しているのは、王城へと向かう瑠璃鷹が一羽しか用意されていなかったからだ。
その一羽しかいない王城行きの瑠璃鷹は、セゴビア大橋よりも上流にある四つの橋が壊されたという緊急事態を知らせるために、ほんの一時間ほど前に飛び立ったばかりだ。
「冗談だろう……どうすりゃ良いんだよ」
ヌディカはセルキンク子爵とベルシェルテ子爵からの知らせを手に、上司の下へと走った。
通信所は騎士団の施設の中にあり、ヌディカの上司マティブは騎士団の中隊長だ。
「中隊長、セルキンク子爵及びベルシェルテ子爵よりフルメリンタ侵攻の知らせが届いておりますが、王城に知らせる手立てがございません!」
「なんだと、瑠璃鷹はどうした」
「先程、王城に向けて送り出したばかりで、戻るのは早くとも明日の朝になるかと……」
王城には返信用の瑠璃鷹が用意されているが、こちらからの知らせが届いてた直後に飛び立ったとしても到着までに時間が掛かる。
その上、一度連絡に使用した瑠璃鷹を再度使うには、餌と休息を与える必要がある。
全てが順調に運んだとしても、フルメリンタ侵攻の知らせが王城に届くのは明日の夜になるだろう。
王城からの返信が遅れれば、当然知らせを届けるのも遅くなる。
「早馬を出す! 貴様は王城から瑠璃鷹が戻るのを待って、最速で飛び立たせられるように準備を整えておけ! ただし、瑠璃鷹が途中で落ちて知らせが届かないなどという不手際を起こさないように状態を見極めろ!」
「はっ、かしこまりました!」
マティブはセルキンク子爵とベルシェルテ子爵から届いた知らせを別紙に描き写し、部下の騎士を呼び出した。
「お呼びですか、中隊長殿!」
「フルメリンタに侵攻を許した」
「なっ……本当ですか?」
「セルキンク子爵とベルシェルテ子爵から知らせが届いている。ただちに王都へ知らせねばならぬが、瑠璃鷹は橋の一件を知らせるために送り出してしまった後で、いつ戻ってくるか分からん」
「では、私が王都まで……」
「馬鹿者! そんな悠長なことをしてられるか! 途中の村で馬を徴収して、明日の朝までにカルタナの駐屯地へ辿り着け。フルメリンタ侵攻を知らせて、この書状を王都に最速で届くように伝えろ! いいか、それまでは尻の皮が破れようが馬を止めるな、行け!」
「はっ、かしこまりました!」
瑠璃鷹による緊急通信が確立されたからといって、早馬による伝令の体制が廃止された訳ではない。
通信所と通信所の間を繋ぐのは、馬と人による伝令だ。
それに、速さよりも確実さを重視する知らせにも、瑠璃鷹ではなく馬と人による伝令が使われている。
ただし、そうした通常の伝令が走るのは日がある時間だけだ。
昼夜を問わず、夜中に街の守衛や村長を叩き起こして馬を徴収することは無い。
そして普段とは異なる、切羽詰まった状況で馬を走らせる騎士の姿は、フルメリンタとの戦いの行く末が思わしくないものだという憶測を民衆に広げる原因となった。
結局、フルメリンタ侵攻の知らせがユーレフェルトの王城に届いたのは、開戦から四日目の昼過ぎだった。
執務室で知らせを受け取ったユーレフェルト国王オーガスタは、ただちに国軍派遣の準備を命じた後で、宰相ウダムフへと向き直った。
「ウダムフ、ベルノルトはまだクラーセン伯爵領にいるのか?」
「はい、そうですが……」
「フルメリンタの軍勢を押し返すまで、コルド川を越えることを禁ずると伝えよ」
クラーセン伯爵領はコルド川の北東部に位置していて、ベルノルトの取り巻きの実家でもある。
前回の戦の際には、ベルノルトの身辺警護を理由に兵を前線には出さずに済ませ、ワイバーンの渡りの被害にも遭わずに済んでいる。
「陛下、それでは戦況が思わしくなくなった場合、殿下が川向うに取り残される恐れがございます」
「それがどうした、現状をよく見ろ。フルメリンタの侵攻を許したのは、ベルノルトを支持する者共が我を軽視し、好き勝手な行動をとったからだ。そのツケを清算できぬようならば、次の王になる資格など無い」
「では、援軍の指揮はベルノルト様に命じるのですね?」
「川の対岸からどうやって指揮を執るというのだ」
「はっ? それは、どういう意味でございますか?」
「国軍にはコルド川の西岸までの進軍は許可するが、その後の進軍は戦況次第で考える。増援の兵の指揮権をベルノルトに与えるつもりはない」
キッパリと言い切るオーガスタに、ウダムフは目を見開いて驚いた。
これまでのオーガスタは、第一王子派、第二王子派、両派を後ろ盾にもつウダムフと駆け引きをして物事を進めてきた。
オーガスタが態度を一変させたのは、第二王子派への配慮を打ち切ったという意志表示であり、ウダムフにもベルノルトを見捨てるように迫る狙いがある。
「前線に兵を送らないのですか?」
「そもそも、何ためにベルノルトに近衛兵を預けてあると思ってるのだ。まずはそいつらを出してフルメリンタを押し返せ!」
「お言葉ですが、ベルノルト様にそれだけの才覚があるとは……」
「だったら、さっさとベルノルトの首を落として持ち帰らせろ。これだけ猶予を与えてきたのに、奴らは治安を回復させるどころかフルメリンタに入り込まれる始末だ。このまま放置すれば国が亡ぶぞ」
「では、もしベルノルト様が手持ちの兵でフルメリンタを押し返したら、いかがいたしますか?」
「その場合には廃嫡は再考してやろう。ただし、己はクラーセン領に引き籠ったまま、配下の手柄でフルメリンタを追い払った場合には、その限りではない。王城……いや、この国に居場所がほしければ兵を率いて戦えと伝えよ」
「かしこまりました」
ウダムフを執務室から追い出した後、オーガスタはいかにしてフルメリンタを押し返すか考え始めた。
援軍の派遣は戦況次第とウダムフには伝えたが、急ぐ必要があると感じていた。
「奴ら、本気でコルド川の東側を切り取るつもりなのか?」
この時点でオーガスタには、グランビーノ侯爵が独断で攻撃を仕掛けたことは伝わっていない。
セゴビア大橋を除く橋が攻撃されて、ほぼ時を同じくしてフルメリンタ侵攻を開始した。
二つの状況を考えれば、フルメリンタがコルド川の東側を占拠しようと考えていることは明白だった。
フルメリンタは中州の領地を手に入れて、数年は守りに徹するとオーガスタは思い込んでいたが、予測は大きくはずれた。
オーガスタはコルド川の東側に位置する諸侯に宛てて、フルメリンタの意図を示し領地の死守を促す檄を飛ばした。
「ベルノルトの首ならば、いつでもくれてやるが、むざむざと領土を切り取られるつもりは無いぞ」
オーガスタは国軍の準備を急がせるように命じたが、この時点でセルキンク子爵とベルシェルテ子爵の居城が陥落しているとは思ってもいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます