第145話 国王への知らせ

「何だと、もう一度言ってみよ」

「はっ、コルド川に架かる橋はセゴビア大橋を除いて全て破壊されました」


 ユーレフェルト王国の現国王オーガスタ・ユーレフェルトは自分の耳を疑ったが、繰り返された報告は聞き間違いではなかった。


「誰が、どうやって橋を落としたというのだ!」

「何者の仕業かは分かっておりませぬが、夜中に突如轟音が響き渡り、橋は紅蓮の炎に包まれて崩壊したという話です」


 橋の崩落は、フルメリンタの破壊工作によるものだ。

 真夜中に船に乗って近付いて橋板に油を撒き、主要な橋桁に火薬の樽を仕掛けて爆破炎上させたのだ。


 これまで橋を破壊するには袂から打ち壊すか、橋桁に綱を掛けて引き倒すかのいずれかの方法を取るしか無かった。

 当然、多くの人員が必要となるため、橋の近くを占拠する必要があったのだが、火薬によって状況が一変したことをオーガスタは知らない。


「馬鹿を申すな。橋を落とすなど、集団魔法を用いても不可能だろう。そもそも、橋を落とすほどの攻撃を仕掛けた相手が分からぬはずがない。その軍勢は何処から現れて、何処に立ち去ったのか早急に調べろ!」

「はっ、かしこまりました!」


 コルド川に架かる橋が攻撃を受けるなど、オーガスタにとっては全く想定していない事態だ。


「まさか、ベルノルトが国を割るつもり……いや、それはないか」


 オーガスタの脳裏に最初に浮かんだのは、己の息子である第二王子ベルノルトだった。

 己の息子ではあるが、オーガスタはベルノルトに一片の愛情も感じていない。


 第一王妃クラリッサとの婚姻は、自らが国王の座に座るためのものであり、子作りは義務でしかなかった。

 先代のユーレフェルト王に男子が生まれなかったために、二人の王女と婚姻を結び、婿入りする形でオーガスタは王位に就いた。


 オーガスタの実家、ジロンティーニ公爵家。

 第一王妃クラリッサを産んだ王妃の実家エーベルヴァイン公爵家。


 そして第二王妃シャルレーヌを産んだ王妃の実家ラコルデール公爵家。

 ユーレフェルト王国の三大公爵家が、王位を巡って紛争を起こさぬように仕組まれた婚姻に、恋愛の要素など皆無だった。


 夫婦の間に愛情が存在しないのに、親子の間に愛情などあるはずがない。

 国王、王妃、王子……それぞれが、それぞれの役目を果たしていただけだ。


 オーガスタは、二人の王子と二人の王女に対して表面上は親子を演じていても、愛情を感じることもなく、気を許すこともなかった。

 なので、コルド川に架かる橋が落とされたと聞いた時には、川の向こうに居座っているベルノルトが国土を割って独立を画策したのかと考えたのだが、即座に自分の考えを打ち消した。


 ベルノルトがユーレフェルトの国土を割って、分離独立を目指すには状況が悪すぎるからだ。

 そんな状況にも関わらず、フルメリンタの犯行と考える前に身内を疑うあたりが、この親子の業の深さといえよう。


「ベルノルトでないとすると……フルメリンタの連中め、性懲りもなく攻め入ってくるつもりか」


 実際には、ユーレフェルト王国第一王女アウレリアの狂信者、オルベウス・グランビーノ侯爵が無謀な戦いを仕掛け、それに反撃する形で既にフルメリンタは侵攻を開始している。

 ただし、国境の出来事を王都に伝える者がおらず、開戦の知らせよりも先にコルド川の橋が落ちた知らせが届いたのだ。


「さて、誰に守りを任せるか……そう言えば、アウレリアの犬が向かっているのか。いっそベルノルトの馬鹿が突っ込んで行って死んでくれるのが一番なのだが……」


 オーガスタは、これまでにも何度かベルノルトが命を落とすように仕向けてきた。

 フルメリンタに攻め入られた後の領地奪還や、講和後の治安回復などを命じて前線に送ろうとしたのだが、ベルノルトが戦場に立つことは無かった。


「勘が鋭いのか……単に臆病なだけか……」


 ベルノルトの太々しい顔を思い浮かべてオーガスタは顔を顰めていたが、一つのアイデアを思い付いた直後にニタリと口許を緩め、秘書官を呼び出した。


「セゴビア大橋を封鎖せよ。加えて、平民、貴族、王族の区別無くコルド川を東から西に渡ることを禁ずる。フルメリンタの侵攻に備え、領土を死守するように通達を出せ!」

「はっ! かしこまりました!」


 ベルノルトは、コルド川の東側にある第二王子派の貴族の領地に引き籠っている。

 フルメリンタが侵攻してきて戦況が悪化すれば、より安全なコルド川の西側に戻ろうとするはずだとオーガスタは考えたのだ。


 川を越えて戻れなければ、フルメリンタを撃退するしかない、ベルノルトを見殺しにしたくなければ、第二王子派が戦力を送り込むしかない状況を作ろうと考えたのだ。 

 当然、通達の内容は第二王子派のみならず、第一王子派にも伝わるように手配した。


「念のため、じゃじゃ馬が突っ込んで行かないように監視を強化しておくか……」


 じゃじゃ馬とはオーガスタの娘、第二王女ブリジットのことだ。

 第一王子アルベリク暗殺という事態を受けて、自ら王位継承に名乗りを上げるとはオーガスタは思っていなかった。


 オーガスタは、旧エーベルヴァイン領の治安回復の失敗などを押し付けてベルノルトを廃嫡し、第一王女アウレリアは和平のためにフルメリンタに嫁入りさせ、残ったブリジットは実弟ジロンティーニ公爵の息子と婚姻を結ばせるつもりだ。

 その上で、慣習を盾にして自分の甥であるアルバート・ジロンティーニを次の王にするつもりなのだ。


 ベルノルトに愛情を感じていないのと同じく、オーガスタにとってはブリジットもまた盤上の駒の一つでしかない。

 オーガスタは、居室で一人考えを巡らせる。


 ユーレフェルトにも宰相は存在しているが、フルメリンタの国王レンテリオと宰相ユドのような関係ではない。

 宰相の選出にも、三大公爵家の影響が及んでいるのだ。


 現在の宰相は、エーベルヴァイン公爵家とラコルデール公爵家の意に沿うように、オーガスタの思考を誘導しようとする。

 気心のしれた宰相とアイデアを出し合い、思うように政策を進めるフルメリンタのような自由はオーガスタには無いのだ。


 そのためオーガスタは先程のセゴビア大橋の封鎖のように、自分の権限が発揮できる範囲の物事は宰相に相談することなく進めている。

 小さな決定を積み重ねて、実家であるジロンティーニ公爵家にとって有利になるように物事を進めようとするオーガスタの行動は、国王とは思えないほど慎ましい。


 オーガスタが次なる一手を思案していると、荒々しい足音が近付いてくるのが聞こえてきた。


「陛下、宰相様がお見えになられました」

「通せ……」


 オーガスタが答えると、扉が開いて不機嫌な表情を隠そうともせずに宰相が入ってきた。

 ウダムフ・バンドルムは今年四十二歳になる元歴史学者で、ラコルデール公爵家とエーベルヴァイン公爵家の推薦によって宰相に就任している。


「陛下、セゴビア大橋を封鎖したとうかがいましたが……」

「一時的な措置だ。継続するつもりはない」

「いつまで続けるおつもりですか?」

「それは状況次第だ。どんな手を使ったのかは知らぬが、フルメリンタどもが侵攻する下準備と考えるべきだろう。それならば、我先に逃げようとする馬鹿どもを押し留めるのは当然であろう。こちらから支援が入るのを邪魔するものではない」

「さようでございますか」


 セゴビア大橋を封鎖する通達を出すにあたって、オーガスタはウダムフに対する言い訳を整えている。

 この程度の抗議は想定済みという訳だ。


「陛下、この後はどう対処なさるおつもりですか?」

「我に問う前に、貴様の案を聞かせろ」

「ただちに国軍を動かし、橋の復旧作業に当たらせましょう。この機にフルメリンタが攻め入ってきたら、物資の輸送が間に合わなくなる恐れがございます」

「愚か者が、今から橋を架けて間に合うものか。船を集めよ。そのまま渡し舟として使うも良し、繋ぎ合わせて板を渡して橋にするも良し、下流域の船を集めて上流へ向かわせろ」

「それでは下流域の渡し船が不足いたします」

「不足する分は沿岸部の船で補え。それと、コルド川より東の情報を集めよ、フルメリンタは必ず仕掛けて来る、下らん派閥争いなどしている場合ではないぞ。急げ!」

「はっ、かしこまりました!」


 厳しい口調で命じたオーガスタは、宰相が退室したのを見届けると満足気な笑みを浮かべた。

 セゴビア大橋の封鎖に絡んで、嫌味を言いに来たのであろう宰相をやり込めて溜飲を下げたのだ。


 あとはフルメリンタを利用して、ジロンティーニ公爵家に有利な展開を作り出せば良いと、オーガスタは高を括っていたのだが、この頃には既にユーレフェルト領内深くまで侵攻を許していることには気付いていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る