第143話 宰相の使い
今日は施術を休む日なので、少し遅めの朝食を済ませた後は、アラセリと剣術の稽古をするつもりでいたのだが、ハラさんが来客を知らせにきた。
「旦那様、ナブドゥル様がいらっしゃいました」
「すぐ支度をして行くから応接間にお通ししおいて。あと、お茶をお願いします」
「かしこまりました」
ナブドゥル・ウルヤームは、フルメリンタの宰相ユド・ランジャールの部下だ。
以前は、週に一度のペースで日本の話や街に出て気付いたことをユドに報告していたが、一国の宰相に時間を割いてもらうのは申し訳ないので連絡役を付けてもらったのだ。
ナブドゥルは二十代半ばぐらいの細身の男性で、黙っている時には冷たい印象を持つが、話し始めると気さくな人物だ。
本人も外見と中身の違いは分かっているようで、上手く利用しているらしい。
つまりは、それだけ頭の切れる抜け目ない人物ということだ。
身支度を整えて応接間に向かうと、席を立ったナブドゥルが軽く頭を下げた。
「お休みの日に、朝早く押し掛けて申し訳ありません、キリカゼ卿」
「いえいえ、丁度動き出そうと思っていたところです。それよりも、何かありましたか?」
ナブドゥルが訊ねて来るのは施術の合間の休憩時間か、今日のような休日の午後が多い。
こんな時間に訊ねてくるのには、それなりの理由があるのだろう。
「はい、実はユーレフェルトと再び戦闘状態に入りました」
「えぇぇ! 僕がフルメリンタに来ることでエーベルヴァイン領を返還し、講和も成立したんですよね?」
「おっしゃる通りです。国境線も明確に取り決めをいたしましたし、両国が合意の上で文章も取り交わしました」
「では、なんで今更……」
「それは仕掛けてきたユーレフェルトに聞いてみないと分かりませんが、おそらくは先の戦いでフルメリンタのものとなった中州を奪還しようと試みたのでしょう」
ナブドゥルの話によれば、ユーレフェルト側からは新たに国境となった橋の袂に検問所を作るという使者が来ていたそうだが、その工事の最中に突然集団魔法による攻撃を仕掛けてきたらしい。
「それで、戦況はどうなっているのですか?」
「戦端が開かれたのが昨日未明なので、まだ詳しい話は伝わって来ていませんが、我が軍はユーレフェルトの攻撃を退けた上で進軍を開始したそうです」
「えっ? 進軍って……ユーレフェルト領内に攻め込んでいるんですか?」
「はい、おっしゃる通りです」
「撃退しただけじゃ駄目なんですか?」
「国王陛下とユド様は、ユーレフェルトが立て続けに宣戦布告無しの奇襲を仕掛けてことを重く見ていらっしゃいます」
こちらの世界では、仕掛ける前に使者を送り、口上を述べた上で戦争を始めるのが礼儀だそうだ。
前回の戦争が起こる以前も、中州の川を挟んで魔法の撃ち合いによる小競り合いが行われていたそうだが、その時ですら使者を送って口上を述べていたらしい。
これは、言うなれば戦に市民が巻き込まれるのを防ぐための習わしで、最初にどこまでの権利を求めるのか口上で知らせておけば事前の避難が可能となる。
あとは兵士同士が戦って勝ち負けを決めれば、無駄な遺恨を残さずに講和ができるという訳だ。
ところが、前回今回とユーレフェルトはその習わしを破り、民を巻き込む戦を仕掛けてきた。
国王レンテリオと宰相ユドは、その点を重要視したらしい。
「今後、フルメリンタはどうするつもりなんですか? ユーレフェルトの奇襲を重く見たのは分かりましたが、どうやって戦を終わらせるつもりなんですか?」
「フルメリンタの方針としては、ユーレフェルト国内を流れるコルド川を新たな国境として、その東側を支配下に置くつもりです」
「でも、そこを支配下に置けたとしても、またユーレフェルトが奪還を目指して戦を仕掛けて来るんじゃないですか?」
「勿論、その可能性は否定できませんが、コルド川の東側を支配下に置くと、フルメリンタはユーレフェルトの二倍の国土を持つ国となります。これまでと同様に戦を仕掛けてくるのは難しくなるでしょう」
ナブドゥルの言うことも分からなくはないが、土地を手に入れたからと言って単純に国が強くなる訳ではない。
例えば、日本は世界の国々と比べると小さな国土しか持たないが、それでも世界有数の経済国だ。
いくら国が広くなろうとも、戦える人やそれを支える物資が無ければ話にならない。
ただ、国として比べてみるとフルメリンタの方が遥かにまとまりを感じるし、新川たちが情報をもたらした銃も実用段階になりつつあるらしいので、状況としいてはナブドゥルの言う通りになりそうだ。
「でも、大丈夫なんですか? 前回は、占領地域を維持できずに講和を結んだとも聞いていますが……」
「確かに、キリカゼ卿のおっしゃる通り、一旦は占領したエーベルヴァイン領を最終的には支えきれずに放棄する形となりましたが、それはフルメリンタに備えが出来ていなかったからです」
「それでは、今回は備えができているんですか?」
「物事は、全てが思うままに進む訳ではありませんので、どこまで準備をすれば良いという見極めをすることは困難です。それでも、奇襲を受けてなし崩しに戦に入った前回とは違い、今回は再び奇襲を受けた場合の備えをしてきました」
「それでは、フルメリンタは最初からユーレフェルトに攻め込むつもりだったんですか?」
ナブドゥルの話を聞いていて、フルメリンタの準備が良すぎると感じていた。
もしかすると、最初から侵攻を計画していて、ユーレフェルトはまんまと踊らされたのではなかろうか。
「選択肢の一つとして準備がされていたと聞いています。ですが、フルメリンタは大義無き戦いはいたしません。ユーレフェルトが国内の安定に力を注ぎ、フルメリンタと友好的な関係を築くつもりならば、その方が良いに決まっています。キリカゼ卿、前線で戦う兵士だって一人の人間で、家族や友人、恋人がいるんですよ」
真顔になったナブドゥルの一言に、背中をゾクリとさせられた。
そうだ、ワイバーン討伐の時に嫌というほど味わわされた人間の死を、戦場から遠く離れた平和な王都で暮らすうちに忘れていた。
「キリカゼ卿、国王陛下もユド様も、戦を起こす利得と弊害を秤にかけて、より弊害の少ない道を選ぼうとなさっています。目先の小競り合いだけでなく、五年先、十年先の状況を考えて、ユーレフェルト侵攻を決断なさったのだと思います」
ナブドゥルの言う通り、国王レンテリオも宰相ユドも目先の利益に囚われるような安直な人物ではない。
ユーレフェルトに攻め入り、領土を切り取る決断をした背景には、色々な思惑があるのだろう。
「分かりました。それで、俺は何をすれば良いのですか?」
「隣国カルマダーレから施術を希望していらしている皆さんが、不安を感じないように協力していただけますか」
「具体的には、どうすれば……」
「そうですね、フルメリンタとしては国内状況が悪化しない限りは、カルマダーレの皆さんの希望に添って施術を進めていただきたいと思っています。ただ、不安を感じて帰国を希望するのであれば、そちらを優先していただきたいと思っています」
現在、カルマダーレからは交換留学生という形で五人の少年少女がフルメリンタの王都に滞在している。
いずれも貴族の子供だと聞いているので、フルメリンタにとっては実質的に人質を取っているようなものだと思っていた。
少し迷ったが、人質を返してしまって良いのかと聞いてみた。
「はい、実は私も同じことをユド様に訊ねました」
「何とおっしゃってたんですか?」
「交換留学生が実質的な人質であるのは間違いないが、あくまでも両国の友好関係を深めるための交換留学生であるのも事実だから、我が国の権利を侵害するような要求は受け入れないが、逆に彼らの権利を侵害するようなことがあってはならないそうです。ここで、帰国を希望する者を無理に足止めすれば、その者たちは帰国後にフルメリンタは横暴であると伝えるでしょう。それでは意味が無いのです」
ナブドゥルの言うことは正論だが、少々甘いような気もしないではない。
それとも、平和ボケした日本から召喚され、色々な経験をさせられて俺が捻くれているのだろうか。
「でも、五人全員が帰国を希望したら……不味いんじゃないですか? この時とばかりにカルマダーレが攻めてきたりしたら……」
「確かに、ユーレフェルトと戦をしている最中にカルマダーレとも戦になるのは最悪の展開ですが、そこは信用しなければ友好関係なんて築けませんよ」
「つまり、仮に五人全員を希望通りに帰国させたとしても、カルマダーレは攻めてこないと見極めている訳ですね?」
「おっしゃる通りです。ですから、キリカゼ卿には五人が希望を可能な限りに叶えていただきたい。可能な限り、丁寧に施術を行っていただけますか?」
ナブドゥルは含みがあるような表情をしてみせた。
「はぁぁ……可能な限り丁寧に……ですね?」
「ご理解いただけたようで、何よりです」
つまり、宰相ユドからの要望は、属国ではないカルマダーレの人間を無理やり人質として足止めすることはできないので、自主的にフルメリンタに滞在したいと思わせるように、施術を引き延ばせということだ。
人道的ではあるが強かな、いかにもフルメリンタらしい方法だ。
「ということは、今度の戦は長引きそうなんですか?」
「そうですね。コルド川の東側を切り取るとなると一筋縄ではいかないでしょう」
「ユーレフェルトの王都への影響は?」
「ユーレフェルト全土を掌握できるとは考えていないそうなので、あったとしても限定的だと思います」
「そうですか、分かりました」
休日を騒がせて申し訳なかったと謝罪の言葉を残して、ナブドゥルは帰っていった。
戦争を起こしてもユーレフェルトには何の利益も無いと思うのだが、当事者は俺とは違うものが見えているのかもしれない。
どうせなら、戦争のどさくさ紛れに海野さんたちを救出してもらいたいのだが……そう上手くはいかないだろうな。
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