第141話 開戦

 国境の中州に陣取ったフルメリンタ兵を束ねる第一騎士団長ムヒドラ・タルマルードの下には各地からの知らせが届けられる。

 中でも一番重要視されるのは、宰相ユド・ランジャールからの書簡だ。


 国王レンテリオの右腕である宰相ユドの言葉は、国王からの言葉だといっても過言ではない。

 現在、宰相ユドからムヒドラに下されている命令の中で、最も重要なものはユーレフェルトとの開戦のタイミングについてだ。


 宰相ユドは近頃の動きから見て、ユーレフェルトは検問所の建設を装った陣地の設営が終わり次第仕掛けてくると予想していた。

 ムヒドラに対しては、攻撃に即応してユーレフェルトへ攻め込む指示がなされている。


 その際には、タイミングを見計らって反乱組織を動かし、ユーレフェルト陣営の背後を突くので連携して殲滅しろという指示も付け加えられている。

 実際、フルメリンタ側の準備は既に整っていて、開戦と同時にユーレフェルトに雪崩れ込むように、中州には三万人を超える兵士が集められていた。


 そして、それだけの人数の兵が集められている実態は、新たに築かれた中洲の防壁によって遮られてユーレフェルト側には伝わっていない。

 行軍には人の他に多くの軍馬が必要となるが、いななきなどで数を悟られないように、馬は中州のフルメリンタ側に集められている。


 実際、フルメリンタ側から見たユーレフェルトの兵士たちは総勢が二千人弱で、その半数は陣地の設営を行う工兵に見えた。

 設営も急いでいるようには見えず、日が高く昇り、気温が上がってから作業を始め、気温が下がる夕方には工事をその日の作業を終えている。


 そうした様子から見て、ユーレフェルトが仕掛けて来るのは、陣地の設営が終わり、増援が送られて来た後だとフルメリンタ側は推測していた。

 日によっては昼でも凍てつくような寒さとなる冬の戦闘は消耗が激しく、戦は春を待って……というのが常識とされているからだが、時折常識はずれな人間が現れる。


 世間一般の常識が通用しない人間の典型が狂信者だ。

 中州と川を挟んだ対岸に陣取るユーレフェルトの貴族オルベウス・グランビーノは、陣地の構築を指示しながら目端の利く兵士にフルメリンタ側の監視を命じていた。


「どうだ、連中の様子は?」

「すっかり警戒を解いたようです。我々は本当に検問所を建設するだけと思っているか、攻め込んで来るとしても陣地が出来上がった後だと思っているのでしょう」

「そうか……頃合いだな」


 ユーレフェルト王国第一王女アウレリアを神のごとく信奉するオルベウスは、検問所も陣地も完成させる気は無い。

 なぜならば、中州はユーレフェルトの領土であり、国境は中州の向こう側であるべきで、検問所を建てるのはここではないと考えているからだ。


 着陣してから十日目の晩、オルベウスは配下に翌朝未明からの奇襲を指示した。


「フルメリンタは我々は攻めてこないと思い込んでいる。そこで明朝、城門を破壊して一気に中州へと雪崩れ込み、フルメリンタ兵を蹂躙し中州を取り戻す。フルメリンタが、これまで築いてこなかった防壁を高く巡らせているのは、守る兵の数が少なく、我々ユーレフェルトの兵の勇猛さに恐れをなしている何よりの証拠だ。恐れることなく進め、勝利はわが手にある!」


 翌朝未明、オルベウスが率いる軍勢は静かに行動を開始した。

 騎馬には声を立てないように枚をふくませ、蹄には布を巻いてある。


 工兵を装っていた者を含めて、総勢千八百人の兵士が突撃の準備を整えたところで、魔導士達が集団魔法の詠唱を始めた。


 集団魔法として用いられるのは火属性の魔法で、ここでは九人の魔導士が火球の形成のために魔力を注ぎ、一人の筆頭魔導士が火球を撃ち出す方向を制御する。

 最初は手の平に載るほどの大きさだった火球が、詠唱が進むうちに大きさを増して周囲を明るく照らし始める。


「敵襲! 敵襲ぅぅぅ!」


 火球に気付いたフルメリンタ兵が、大声を上げながら警報の鐘を打ち鳴らす。

 カン、カン、カンと甲高い鐘の音が響き渡ると、中州に陣を張っていたフルメリンタ兵たちが一気に騒がしくなった。


 フルメリンタ側が対応に追われる中、詠唱を終えたユーレフェルトの集団魔法が撃ち出された。

 巨大な火球は川を越え、狙い通りにフルメリンタの城門を直撃した。


 ボーン……という低い破裂音と共に火球が弾け、丸太を組み合わせた城門が焼け焦げながら崩れ落ちた。

 橋の対岸ユーレフェルト側では、集団魔法を放ち終えた魔導士が場所を空け、代わって二百人を超える騎兵の列が橋の袂まで押し出してきた。


 その先頭で馬上槍を振り上げたのは、オルベウス・グランビーノ侯爵だった。


「フルメリンタの畜生共を打ち払い、ユーレフェルトの領土を取り戻す! 我に続……がふっ」


 オルベウスが突撃の合図を下す直前、パーンと乾いた音が戦場に響いた。

 城門の監視役に加わった銃撃部隊の一人が放った弾丸は、オルベウスの喉元を撃ち抜いた。


 着弾の衝撃によって仰向け落馬したオルベウスは、二度、三度と咳き込むように血反吐を吐いた後で動かなくなった。


「オルベウス様ぁぁぁ!」


 オルベウスが率いていた騎士たちは、何が起こったのか全く理解できなかった。

 この世界には魔法が存在し、戦争の場においても攻撃手段として用いられているが、風の魔法では金属製の鎧は貫けない。


 火の魔法や水の魔法も、余程強力なものをのぞけば金属製の盾で防げるし、武器で打ち払うことも可能だ。

 むしろ、剣術や槍術、身体強化魔法などの異能力を使って攻め込んで来る者の方が遥かに危険だ。


 そして、発射音の直後に音の速さを超えて飛来し、金属製の鎧すら貫通するような攻撃手段をユーレフェルトの騎士たちは知らなかった。


 パーン……


「ぐあぁぁぁ……腹が……」


 パーン……


「がぁぁ……足をやられた!」


 開戦直後に指揮官を失い、ユーレフェルトの騎士たちは大混乱に陥った。

 進むのか、退くのか、意思決定もできないままに、次々に銃弾の餌食にされていく。


 更に銃声を聞いた銃撃部隊が応援に駆け付け、防壁の上から長銃を乱射し始めた。


「敵が混乱している間に撃ちまくれ!」


 本来は、指揮官の号令の下射撃を行う予定だったが、ユーレフェルトが混乱に陥っているならば、一斉射撃で足止めをする必要もない。

 むしろ、一人でも多くの敵を仕留めるために、射撃を続けた方が良いと指揮官は判断した。


 フルメリンタの銃歩兵は、長銃一丁と弾丸が入った箱を肩から下げて移動する。

 銃は改良を重ねて信頼度の上がった単発式で、銃撃部隊の兵士は三秒に一発のペースで撃ち続けられる。


 銃声と硝煙が支配する戦場では、新川恭一三森拓真も長銃を操って銃撃を続けていた。


「撃ち方止め! 撃ち方止めぇぇぇ!」


 銃撃部隊による乱射が続けられている間に、フルメリンタの城門が取り払われ、盾と槍を構えた兵士が整列を終えていた。


「我々は講和の取り決めを反故にして、再び侵略を試みたユーレフェルトに鉄槌を下す! 進めぇぇぇ!」


 中洲のフルメリンタ軍を統括する第一騎士団長ムヒドラに届けられた宰相ユドの書簡には、ユーレフェルトの進軍は陣地の構築を終えた春になるという予想が書かれていたが、最後に一文が添えられていた。


「だが、予測はあくまでも予測にすぎず、昨年の奇襲で味をしめたユーレフェルトが再び予想外の行動を取る可能性も十分に考えられる。油断せず、機を逸することの無いように準備を怠るな」


 ムヒドラは宰相ユドの通達を忠実に守り、奇襲に対する備えを怠らなかった。

 仮に銃撃によってオルベウスが倒れなかったとしても、ユーレフェルトの騎士たちが突入した先に待っていたのはフルメリンタの槍衾だった。


 進軍を命じられたフルメリンタの歩兵四千人は、足並みを揃えて橋を渡り、ユーレフェルト国内へと踏み入った。

 迎え撃つはずのグランビーノ領兵たちは、当主であるオルベウスを失った混乱から立ち直りつつあった。


 オルベウスの右腕であるグランビーノ騎士団の騎士団長セグラダが、兵をまとめて迎撃態勢を整えたのだが、彼我の戦力差は歴然だった。

 押し出してきたフルメリンタの歩兵だけでも、グランビーノ領兵の倍。


 中州に待機しているフルメリンタの兵力と比べると、十倍以上の差がある。

 加えて、奇襲を優先したために、防衛のための陣地の構築は始まったばかりで、陣地として役に立つ状態ではなかった。


「これより我々はオルベウス殿下に殉ずる! 一人でも多くのフルメリンタ兵を屠れ!」


 セグラダが選択したのは、騎兵を前面に押し立ての全軍による特攻だった。

 今朝の突撃に参加した二百騎のうち、無事に戻ったのは約八十騎。


 そこに後詰に残しておいた百騎を加えた百八十騎が突撃体制を整えたところで、再びフルメリンタの長銃が火を噴いた。


「一班構え、撃てぇ!」


 フルメリンタの防壁上に並んだ銃撃部隊百名、そのうちの半数が五十人が一斉射撃を行った。

 騎士たちの先頭にいたセグラダが、銃弾によってハチの巣にされて馬と共に崩れ落ちる。


「二班構え、撃てぇ!」


 防壁上からの二段撃ちによる間断ない一斉射撃に晒されて、グランビーノ領の騎兵隊は三十秒と持たずに瓦解した。

 騎士も馬もバタバタと倒れていく様子を見て、後に控えていた歩兵たちは一斉に逃亡を始めた。


 歩兵にとって、突進してくる騎兵は悪夢のような存在だ。

 馬の走る速度と重量は、人間の膂力では太刀打ちできない。


 その騎兵が成す術も無く打ち倒される様を見せつけられて、それでも立ち向かっていこうなどと考える者は、常識知らずか自殺志願者しかいないだろう。


「撃ち方止め!」


 オルベウス・グランビーノ侯爵が奇策を用いて始めた戦いは、異世界からもたらされた火薬と銃によって半日と掛からずに終了した。

 そして、ユーレフェルトからの攻撃という口実を得たフルメリンタは、計画に則って粛々と進軍を開始した。

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