第139話 狂信者

 オルベウス・グランビーノは、ユーレフェルト北西に領地を持つ侯爵家の主で、第一王女アウレリアを神のごとく信奉している。

 彼がアウレリアを信奉するようになった切っ掛けは、今から五年ほど前に遡る。


 当時、グランビーノ侯爵領では銀の採掘量が減少し、オルベウスは収入の目減りに頭を悩ませていた。

 突然の病によって父親を亡くして家督を相続したばかりで、領地の運営にも不慣れであったために軽い鬱のような状態に陥っていた。


 王族、貴族が顔を揃える新年のパーティーでも、他の領地の景気の良い話が気になり、半ば上の空で時間を過ごしていた。


「貴方、私の話をちゃんと聞いている? 東よ、東を獲りなさい!」


 突然、上着の襟を引っ張ったのがアウレリアで、話の前後は覚えていなかったのだが、凛とした容貌と強い言葉は神の啓示のごとくオルベウスの頭に残った。


「東側だ、これまでよりも東側を掘るのだ!」


 王都での新年の交流を終えて自領に戻ったオルベウスは、これまでの坑道の東側を試し掘りしてみるように命じた。

 グランビーノ領の銀鉱山は、入口から西に向かって鉱脈が伸びていた。


 そのため東側には鉱脈は無いと考えられていて、オルベウスの言葉に疑問を持つ者も少なくなかった。

 だが試掘の結果、新しい銀鉱脈が見つかった。


 新しい鉱脈からの産出量は従来の鉱脈に比べて数倍の産出量をもたらし、グランビーノ家の経済状況は劇的に改善された。

 なぜ東側に鉱脈があると分かったのかと鉱山の責任者から問われたオルベウスは、両手を大きく広げて空を仰いで答えた。


「全ては神のお告げだ!」


 それ以後、オルベウスは領民から神の代弁者として崇められるようになる。

 銀の産出が主要な産業であるグランビーノ領においては、鉱山の運営さえ上手くいっていれば大概の事は金が解決してくれる。


 予算があれば、民が望む政策も実施できるし、税の引き下げすら可能となり、オルベウスの評価は上がるばかりだった。

 そして、自分の評価が上がるほどに、オルベウスはアウレリアに傾倒するようになる。


 そもそも、アウレリアは新しい銀鉱脈を予言したのではなく、いずれフルメリンタの領土を切り取れと示唆したのだが、もたらされた結果は一人の貴族を狂信者に変えてしまった。


「平和な時にこそ乱を忘れずに兵を養いなさい」

「来るべき時に備え無き者は滅びるだけよ」

「私は、この国の王となる」


 オルベウスは、アウレリアが語る言葉を胸に刻んで行動した。

 新たな銀鉱山で築いた富を領兵の増強に使い、三大公爵家に匹敵するほどの数の兵士を揃えた。


「フルメリンタに奪われた土地を取り戻しなさい」

「かしこまりました」


 第二王子派の中には、アウレリアの言葉を世間知らずの戯言と捉えて無視する者もいたが、オルベウスは実現のために動いた。

 これまで養ってきた兵は、この時のためだと確信していた。


 フルメリンタとの国境、検問所の建設に現れたのは、このグランビーノ家の兵士だ。

 街道の治安を回復しつつ、新たな検問所を設置するのに必要な人員だという触れ込みで、連れて来た兵士は総勢で八千人を越えている。


 平時であれば、それだけの兵士を引いて行けば、他家の領地を侵略するためだと思われかねないが、王家も通過する土地の領主も何も疑問を持たなかった。

 それほどまでに、コルド川東岸地域は混沌とした状況に陥っている。


 実際、グランビーノ領から国境に辿り着くまでの間に、反乱軍からの襲撃も跳ね返してきたが、真の目的はアウレリアが命じた中洲の奪還だ。

 オルベウスは、奇襲をしかけて一気に中州を奪還するつもりでいる。


 前回の戦では、ワイバーンの渡りという想定外の事態が起こらなければ、中州をユーレフェルトが占領できていたはずだ。

 今回の戦いでは、フルメリンタも備えはしているであろうが、まさか講和が成立して一年も経たずに攻め込んで来るとは思っていないだろう……というのがオルベウスの読みだ。


 そして敵を欺くには味方からではないが、中州への奇襲を成功させるにはユーレフェルトの者すらも欺く必要があるとオルベウスは考えたのだ。

 国境に辿り着いたオルベウスは、悪びれる様子も見せずに、フルメリンタにも治安の回復と検問所の再建を行うと使者を送って知らせた。


 フルメリンタ側から見ると通常の建物を作っているように見せかけ、実際には強固な陣地の構築に取り掛かった。

 これは、フルメリンタ側にとっては想定外の行動だった。


 ユーレフェルトが戦を仕掛けてくるのを利用して、戦端を開くつもりでいたが、もっと闇雲に仕掛けて来ると予想していた。

 フルメリンタとしては、開戦と同時にユーレフェルト領内に攻め入り、反乱軍と連携しつつ一気に支配地域を広げていく予定なのだが、橋の通行が滞ると進軍に支障を来す恐れが出て来る。


 オルベウスは隠して作業を進めているつもりだったが、フルメリンタ側の防壁の上からは、単なる建物ではない構造物を作っていることが丸見えだった。

 ユーレフェルト側の様子は、直ちにフルメリンタ側の戦線を預かる第一騎士団長、ムヒドラ・タルマルードに知らされた。


「いかがいたしますか、騎士団長」

「ふん、フルメリンタ側にも、少しはまともに戦をする人間がいるのだな。構わん、捨てておけ。挑発されても、こちらからは手を出すなと通達しておけ」

「しかし、このまま建設が進めば、攻め落とすのに時間が掛かるようになりますし、こちらの損害も大きくなるのではありませんか?」


 不安そうな副官に対して、ムヒドラはニヤリと笑みを浮かべてみせた。


「心配は要らぬ、戦力なら対岸にいくらでもいる」

「では、反乱軍に攻めさせるのですね?」

「そうだ、今度の戦いは、ただ戦って勝つだけでは駄目だ。いかにフルメリンタの損害を抑えられるかが問われている。くれぐれも、無駄な戦いをしないように徹底しておけ。それと、潜入している連中に状況を知らせておけ」

「はっ、かしこまりました!」


 中洲の指揮所から伝令が出され、橋をフルメリンタ側へと渡っていく。

 これまで中州は、フルメリンタとユーレフェルトで分割統治されていた。


 そのため、連絡の様子をユーレフェルト側に悟られないように、瑠璃鷹を使った連絡設備は橋を越えた本土側にある。

 そこから瑠璃鷹を飛ばし、指令や連絡をユーレフェルトに潜入している者たちに届けている。


 フルメリンタから飛び立った瑠璃鷹は、一時間ほどで潜入部隊のアジトへ到着する。

 知らせを受け取ったのは、フルメリンタの諜報員だ。


「何だって?」

「ユーレフェルトが橋の袂に陣地を築き始めたってよ」

「あぁ、またか」

「いや、今度は人数揃えて来てるらしいぞ」

「ほぅ、それでどうするんだって?」

「裏から潰せ……だとさ」

「あぁ、気楽に言ってくれるな」

「まったくだ、こちとら持ち駒は素人ばっかりだっつぅのに……」

「またいっぱい死ぬんだろうな」

「本職の兵士の相手では分が悪いだろうな」


 反乱軍の中には武術を学んだ者もいるが、殆どの者は貧しい農民で戦いに関して素人ばかりだ。

 警備の薄い所を狙ってゲリラ戦を仕掛けているから戦いにはなっているが、命を落とす者は少なくない。


 その戦死者さえも憎悪の素として利用するように指令が届くが、現場にいる者達にとって死んでいく連中は顔も名前の知らない報告される数字ではなく、共に時間を過ごした生きた人間だ。

 コルド川東岸を切り取り、ユーレフェルトに国力の差を付けて、その結果として戦が起こらない状況を作り上げる……という目的は理解している。


 戦は味方の損失を抑え、相手の損失を増やすことで勝利が得られるという道理も理解している。

 だが、そのためにユーレフェルトの貧しい若者を欺き、死地へと送り込む行為は、フルメリンタの工作員の心に大きな影を落としていた。


「あぁ、こんな戦、さっさと終わってくれねぇかな」

「俺、この戦が終わったら国を出るかも……」

「どこに行くつもりだよ」

「カルマダーレか、ユーレフェルトの西でもいいかもな」

「そこで何をするつもりだ?」

「さぁ? 食っていくだけなら何とでもなるだろう」

「それもそうだな……」

「まぁ、それも全部終わった後の話だ。戦をさっさと終わらすために、今は悪魔の使いに徹するさ」

「おぅ、気をつけて行って来いよ」


 フルメリンタの工作員はアジトを出ると、反乱軍の幹部として行動を始めた。

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