第137話 国境の中州
※今回は元戦争奴隷の新川恭一目線の話です。
二月の始め、俺と三森はユーレフェルトとの国境を目指す一団に加わっていた。
いよいよユーレフェルトの国内情勢が悪化して、フルメリンタにも火の粉が降りかかりかねない状況になっているそうだ。
フルメリンタは国境線で守りを固めつつ、場合によってはユーレフェルトの切り取りを目論んでいるらしい。
こちらから先に仕掛けるつもりはないが、来るなら相応の報いを受けさせるということなのだろう。
「しっかし、またあの中州に行くことになるとはなぁ……思ってもみなかったぜ」
「まったくだ」
三森の感想には全面的に同意だ。
フルメリンタとユーレフェルトの国境にある中州は、俺たちの運命を大きく変えた場所だ。
戦争奴隷となってからは、生きることだけで精一杯だったし、先のことなど考えられなかった。
あの奇襲を仕掛けた夜から、まだ一年も経っていないのに遠い昔のようだ。
今回、俺たちの役目は長銃を使った狙撃部隊の後方支援だ。
中州を守る防壁の上から、攻め寄せて来る相手を狙い撃ちする兵士に弾薬を配ったり、銃のメンテナンスをする予定だ。
フルメリンタの兵士に銃を向けるのでは……なんて信用されていない訳ではなく、戦に関わらないように配慮されているようだ。
まぁ、銃の開発に携わっている時点で戦には関わりを持っているのだし、やる気があるなら戦線に加わっても構わないとは言われている。
「中州まで三日だっけ?」
「順調に行けばな」
「まだ、ピリピリはしてねぇよな?」
三森の言う通り、同行している部隊にピリピリとした緊張感は漂っていない。
ユーレフェルト側が不穏だとは言え、まだ一触即発という段階ではないのだろう。
「三森……撃つのか?」
「あぁ、撃つぞ。これから攻め込んでくる連中に恨みはないけど、俺らが戦争奴隷落ちする原因を作った国の兵士だからな」
「死んだ連中の敵討ちか?」
「うーん……正直、そこまでの気分ではない」
「そうなのか?」
「死んでいった連中も他人の命を奪っているし、自分が殺される覚悟が無いなら戦っちゃ駄目だろ」
三森の言う通り、俺たちは他人の命を奪う覚悟も、自分が殺される覚悟もできていないうちに戦いに放り込まれた結果として戦争奴隷に落ちることになった。
「それじゃあ、三森は殺される覚悟をしたのか?」
「銃を手にして撃つ時には覚悟を決めるぞ。もう、降伏はしない」
「あぁ、降伏だけはしないな」
こちらの世界では、講和が成立する前に投降すると戦争奴隷落ちとなる。
それを知っていれば徹底抗戦していただろうし、例え死んでもあんな環境には落ちることは無かったはずだ。
乗り込んだ馬車が走っている間、三森は全く外の様子を見ようとしなかった。
同じ馬車に乗っている兵士が、外の風景を指差して何かを話しても、視線を向けようとしなかったし、話にも加わろうとしなかった。
軍の施設に泊りながら馬車に揺られること三日、俺たちは国境の中州へと戻ってきた。
中州の風景はあの頃から一変していて、幌馬車から降りた俺と三森は周囲を見回して呆気に取られた。
「なんか、全然風景が変わってるな」
「あぁ、完全にフルメリンタの領土になったんだな」
かつて中洲を走る街道の中央にはユーレフェルト、フルメリンタ、双方の検問所が設けられていたが、今は綺麗さっぱり無くなっている。
そして街道の両側は、田んぼが広がっていた辺りにまで兵舎が建てられていた。
兵舎の向こう側には柵が設けられ、軍馬が放牧されている。
のどかな田園風景は、軍事拠点へと作り変えられている真っ最中のようだ。
俺たちの戦いの痕跡が無くなっていて、ちょっとホッとした一方で、ここで命を落としたクラスメイトたちが生きていた痕跡も失われてしまったように感じた。
「見ろよ、新川」
「あぁ、すげえ壁だな」
かつての中州の西側には、城壁と呼べるような存在は無かったが、今は北から南まで堅固な壁が築かれている。
防壁の上は歩けるようになっているらしく、フルメリンタの兵士が巡回しながらユーレフェルト側に目を光らせていた。
「あの向こう側、どうなってんだろうな?」
「さぁな? 俺達が通った時には結構栄えてたけどな」
フルメリンタとユーレフェルトの間には、馬車が渡れる橋はここしかないそうだ。
川を遡れば跨いで渡れるほどの細い川となるが山深い上流部にも橋は無いし、中州の下流には馬車ごと運ぶ渡し船はあるらしいが橋は無い。
川を跨ぐ構造物は、北の辺境伯爵であるノルデベルド家、ムルカヒム家が共同で管理している建物ぐらいだ。
それだけに橋の通行量は多く、行商人や旅人をターゲットにした宿屋や食堂など多くの建物が建ち並んでいた。
「ユーレフェルトの軍の施設にでもなってるのかもな」
「あぁ、新しい検問所とかになってるか」
かつての検問所が無くなれば、新しい検問所が必要になる。
「てか、今は往来が止まってるんだろ?」
「それでも、検問所は必要だろう」
「まぁ、往来を回復させた後には、すぐにでも必要になるだろな」
ユーレフェルトが政情不安に陥った後、中州を通る橋の往来は止められたままになっている。
他に馬車が渡れる道は無いので、現時点ではフルメリンタとユーレフェルトの陸路での往来は事実上止まっている。
往来が止まっているから今は検問所は必要無いが、往来が始まれば当然検問が行われるし、フルメリンタ側には仮設ではあるが検問所が設けられている。
馬車に積んで来た荷物を指定された倉庫へ下ろし、割り当てられた兵舎に荷物を置いた。
荷物は着替えと小銭ぐらいで、大きな金は軍に預けてある。
本格的な活動は明日以降になるそうで、許可をもらって防壁に上がらせてもらった。
「はぁ? 何にも無いぞ……」
「どうなってんだ?」
防壁から眺めた川の対岸、ユーレフェルト側には焼け落ちた建物の残骸しか見当たらなかった。
呆気に取られている俺と三森に、防壁で警備を担当している兵士が話しかけてきた。
「酷いものだろう。かつての対岸の様子を知っている者は、みんな君らと同じ顔をして、同じ感想を口にするよ」
「でしょうねぇ……これを見たらね」
「この前の戦で焼かれ、その後ユーレフェルトの連中が仮設の施設を作ったんだが、反乱組織の焼き打ちを食らって、あの有り様だ」
「それじゃあ、向こう岸は無法地帯なんですか?」
「さぁな? 時々、こちらに入れてくれって奴が来るが、出入りを止めているから、最近は寄り付いて来ないな」
「じゃあ、ユーレフェルトが攻めて来る心配は無いんじゃないんですか?」
「いいや、最近は頻繁に騎士が偵察に訪れるようになった。橋の近くまで来る場合もあるし、遠目で確認するだけの場合もある」
五、六騎で来ては、駐屯のための縄張りを行っていったりするそうだ。
「それは検問所の再建のためとかではないんですか?」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。奴らが動きを見せたなら、常に最悪の状況を想定して備えておかねば。もう前回のような奇襲を食らうのは御免だからな」
「そうですね……」
その奇襲をしかけたのは俺たちなのだが、わざわざ言う必要も無いから黙っておいた。
俺と警備兵が話している間、三森はユーレフェルト側ではなく、かつての検問所があった方を眺めていた。
奇襲を仕掛けた日に、フルメリンタの警備兵の反撃を食らって男が三人、女が四人命を落とした。
霧風や海野など襲撃に加わらなかった者を除けば、ワイバーンの襲撃や戦争奴隷としての強制労働で次々に倒れ、生き残ったのは俺と三森、富井の三人だけになってしまった。
三森の脳裏には、襲撃前日に中州に来た時の様子が浮かんでいるのかもしれない。
時間を巻き戻すことなんかできないし、感傷に浸っていても良いことなんか何もないだろう。
「そろそろ戻ろう」
「あぁ……」
声を掛けると、三森は夕日が沈もうとしているユーレフェルト側へと視線を向けた後、ゆっくりと階段を降りて兵舎へと足を向けた。
兵舎は四人一部屋で、二段ベッドが二つ、個人用の戸棚が四つ、小さなテーブルが一つ、それに窓が一つあるだけの最低限の広さしかない。
それでも、天幕暮らしに比べれば何倍も快適だ。
暖房は無いが隙間風が吹き込んでくることもないし、地面から凍えるような冷たさが伝わってくることもない。
もし、長期に渡って天幕暮らしが続くならば、土属性魔法でベッドでも作ろうかと本気で考えていた。
俺達と同室になったのは、同じ部隊のサルダスとアギールで、二人とも十九歳だそうだ。
「キョーイチたちは、もう防壁に登ってきたんだってな?」
「うん、でも何もなかったぞ」
「そりゃ、特別にみるような風景じゃないからな」
「いや、そうじゃなくて、ユーレフェルト側は建物が無くなってたんだ」
俺たちが見たフルメリンタ側の様子を伝えると、サルダルとアギーレは夕暮れ迫る防壁に向けて走っていった。
別に明日でも風景なんて見られると思うのだが、好奇心を抑えきれなかったようだ。
翌日から、俺たちは長銃の運用訓練に入った。
実際に発砲はしないが、防壁上の配置や二段撃ち、三弾撃ちの手順の確認を行った。
フルメリンタとしては、またユーレフェルトが攻め込んで来ると考えているようだ。
正式な講和を結んだばかりだが、ユーレフェルトとすれば領土を奪われた形だから、取り戻そうと考えるのは当然なのかもしれない。
そして、俺たちが訓練を始めてから二日後、ユーレフェルト側も橋の向こうで工事を始めた。
ユーレフェルトの使者によれば、街道の往来が正常化した時に備えて、検問所の設置を急いでいるそうだ。
本当かどうかは判断できないが、次々と物資を載せた馬車が到着し、工事は急ピッチで進められるようだ。
戦なんて起こらない方が良いと思うのだが、周囲の空気は日を追うごとに張り詰めてきているし、フルメリンタの準備を見ていると再戦は避けられないような気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます