第136話 北の太守
人の往来を隔絶する大河も、遡れば跨いで渡れる小川となる。
ユーレフェルト王国とフルメリンタを分かつ国境の川も、北へ北へと遡ると万年雪から流れ出た源流となる。
人が跨いで渡れるような流れは、険しい山中の人が辿り着くのも困難な場所だが、牧畜を営む者たちが暮らす場所まで下っても、川は飛び越えられる程度の幅しかない。
遥かに遠回りになることを考慮しなければ、軍勢を率いて隣国へ攻め込むことも不可能ではない。
実際、遠い昔には戦の舞台となったこともあるが、この数十年は争いの無い日々が続いている。
理由は、ユーレフェルト側を治めるノルデベルド辺境伯爵家と、フルメリンタ側を治めるムルカヒム辺境伯爵家の間で交誼が続いているからだ。
二つの領地の間には、境となる川を跨ぐ形で館が建てられている。
この館にはノルデベルド、ムルカヒム両家の者が、春、夏、秋、冬、年に四回逗留して交流を重ねている。
ノルデベルド家からムルカヒム家に娘が嫁ぐこともあるし、逆にムルカヒム家から嫁ぐこともある。
両家は属する国は違えども、既に親戚の間柄となっている。
これは長年敵対を続けてきた両家が、家族や領地、領民を守るために導き出した自己防衛策だ。
川によって分かたれた場所ではなく、地続きと変わらぬ場所では一度戦乱が起これば影響は長期化する。
戦が長引けば国も消耗するが、何よりも一番の被害を被るのは戦場となった土地に暮らす者たちだ。
いくら戦後に恩賞の金を与えられたとしても、失われた命は戻らないし、荒れた土地を元通りにするには多大な労働力と時間が必要となる。
辺境伯爵だからといって、戦の度に自分たちばかりが損害を被り、消耗させられるのは割りに合わない。
それならいっそ、これまで敵同士であった両家が手を携え、この地では戦が行われないようにすれば良いと考えたのだ。
交流を始め、婚姻を結んで以後、この地では戦乱は起こっていない。
国王から攻め込めと言われても、頑なに拒否し続けてきたのだ。
その甲斐あって、両家の領民たちは平和の豊を享受してきたのだが、北の辺境にも不穏な空気が漂い始めていた。
一月二十日、毎年この日に互いの当主が顔を合わせるのが両家の習わしとなっている。
この日も、ブローリオ・ノルデベルドは、ラジャムダ・ムルカヒムと例年通りに酒を酌み交わしていたのだが、口をついて出る言葉には多くの愚痴が混じっていた。
「鉛筆、万年筆、算盤、軸受け、ボルト、ナット……本当にこれら全てを、あのユート・キリカゼがもたらしたのか?」
「陛下からは、そのように聞いているし、貴族の間でもキリカゼ卿の評判は良いぞ。なんで手放したんだ?」
「私が聞きたいよ」
ブローリオはラジャムダよりも二つ年上だが、兄弟のような気安さがある。
子供の頃から年に四回も顔を合わせ、寝食を共にして遊んだ仲で、言いたいことを言い合える関係だ。
毎年、年初めには互いに贈り物をするのだが、今年ラジャムダが用意した品物を見て、ブローリオは度肝を抜かれた。
しかも、その知識を伝えたのがユーレフェルトからフルメリンタへと引き渡された異世界人と聞かされれば、ブローリオが愚痴りたくなるのも当然だろう。
「まったく、うちの国王は何を考えているんだ」
「おそらく、これほどの知識を持っているとは知らなかったのだろう」
「そうだろうな……いや、そうあってもらいたい。知っていながら引き渡したのであれば、暗愚なんて言葉では足りないほどの愚か者だろう」
この新年の贈り物には、双方の国や領地で生み出された特産品が持ち寄られることが多いが、その技術や知識を許可なく盗用しないという不文律がある。
双方の内情をさらけ出し合うのも信頼の証ということだ。
「だが、このボルトとナットは本当に作っても構わんのか?」
「あぁ、陛下からも許可を得ている……というよりも、陛下が推奨しておられる。この六角の幅を統一の規格にせねば、幾つもの工具が必要となり利便性が失われるからだそうだ」
「なるほど……確かに幅が変われば、工具も変えねばならんな」
「まったく、このような細かいことは宰相にでも任せておけば良いものを……」
「いや、このような所にまで拘るのは、それだけ民の生活を考えている証だ。それに引き換え、うちの王族は誰も民の暮らしなど見向きもせぬ」
中州を巡る戦が起こっていた秋にも、この二人は顔を合わせている。
国と国が争っているのに、酒を酌み交わすのは他の貴族からみれば異様だが、二人にとっては当り前のことだ。
直接の被害が無いからでもあるが、ブローリオもラジャムダも国は国、家は家と割り切っているのだ。
ただし、ブローリオの苦悩は秋よりも深くなっていた。
「アルベリク殿下の暗殺、ラコルデール公爵の専横、各地の反乱の動き……どれも放置できる話ではないのだが……まったく何を考えているのか」
「反乱は、まだ収まらないのか?」
「収まるどころか広がっているし、活動が過激になってきていると聞いている」
「おいおい、こちらに飛び火させないでくれよ」
「無論、そちらにどころか、我が領地にも広げるつもりは無いが、これまで平穏だった南に隣接するセルキンク子爵領でも小競り合いが起きているそうだ」
ブローリオは杯の酒を飲み干すと、一つ大きく溜息をついた。
「セルキンク子爵は有能な男だと話していなかったか?」
「その通りなのだが、中州から追い出されて行き場を失った者や、反乱騒ぎに乗じた暴徒に家や土地を奪われた者を匿っていたら、領民を戻せと難癖を付けられたらしい」
「戻せって……ちゃんと受け入れる場所があるのか?」
「子爵もそれを心配したらしいのだが、大丈夫だの一点張りで……」
「そいつらと逃げて来た者達が争い始めたのか」
「どうやら、そうらしい」
肩を竦めたブローリオに、ラジャムダが酒を注いでやる。
「セルキンク子爵の隣はエーベルヴァイン公爵領だが、今はどうなっているんだ?」
「家督相続が認められず、王家の預かりとなっているはずなのだが……」
「まともに機能していない?」
「その通りだ」
「オーガスタ陛下は何と?」
「次の国王の候補としてのベルノルト様の能力を見極めるために、今しばらくの猶予を与えるそうだ」
「大丈夫なのか?」
「陛下なりの考えがおありなのだろうが……正直に言って不安だな」
ブローリオは、また杯の酒を飲み干して溜息をついた。
「だが、現状でオーガスタ陛下が手出ししていないならば、解決の余地はあるということではないのか?」
「それもどうだか……まだ中州を取り戻せるなんて考えている者がいるらしい」
「はぁぁ? 講和の文章にフルメリンタへの帰属を明記したのにか?」
「第一王女のアウレリア様を神格化している一部の連中だが、暴走しなければ良いのだが……」
「良いのか、そんな情報を俺に洩らして」
「それこそ、この辺りが戦に巻き込まれないように詳しい情報をやり取りした方が良いだろう」
「確かにそうだな、異論はない」
ノルデベルド辺境伯爵家は、どこの派閥にも属していない。
強いて言うなら国王派なのだが、現在の国王派ではない。
ユーレフェルト王家に対して忠誠を誓っているのだ。
それだけに、王家を危機に追い込むような現国王のやり方には憤りを感じている。
当然、王族としての務めを果たさないベルノルトや対立を煽るブリジットに対しても同じだ。
「ブローリオ、いっそ君が王になれば良いのではないか?」
「やめてくれ、普段なら笑える冗談だが、今の私には悪魔の誘惑に聞こえてしまう」
「すまん。それほど深刻とは思っていなかった」
「亡くなられたアルベリク様は、まだまだ甘いところもあったが、民を思う気持ちを持っておられた。だが、今の王族は己の欲しか見えておらん」
ブローリオは、王族への不満を隠そうともしない。
「ラジャムダ、君が私の立場だったら、どうする?」
「難しい問いだね。私なら、月並みだが諫言して、それでも駄目ならば脅しを掛けるかな」
「何と言って脅すのだ?」
「行いを改めないならば、ユーレフェルトから独立する……という感じだな」
「独立はさすがに無理だし、本気だとは思われないだろう」
「それならば、本当に独立した場合には、どんな事が起こるのか分からせてやるしかないな」
「どんな事が起こるといっても、自領だけでは領民の生活を維持できずに王家に頭を下げる未来しか見えないぞ」
「それは、隣国フルメリンタと取り引きを行わなかった場合だろう。必要な物は、私の領地を経由して仕入れれば良いだけだ。そして同盟を組めば、フルメリンタからノルデベルド領防衛のための戦力を借りる事もできる。独立は可能だよ、まぁ君はやらないだろうけどね」
杯を掲げて笑みを浮かべたラジャムダに、ブローリオは苦笑を返した。
「確かに独立は可能だろうが、そうなると今度は地続きのユーレフェルトと干戈を交えることになる。それでは、またノルデベルド領が争いの舞台となってしまう」
「それならば、コルド川までを支配下に置くしかないな」
「我がノルデベルド家の兵力では、そこまで支配するには足りないだろう」
「まぁ、無理だろうな。それこそ、中州とは違って広すぎる」
「結局、我々は真の意味での独立はできないといことだ」
「我々が成すべきは、この地方を戦乱に巻き込まず、平穏を保つことだ。下手に手出しはぜせずに自領を守ることに専念すべきだろう」
「そうだな、これからも両家の力を合わせて、北の地の平穏を守っていこう」
二人は再び杯を掲げて酒を飲み干した。
両家の友好を確かめるため……というよりも、単に酒を酌み交わしたいだけという話もあるが、それで平和が保たれるならば安いものだ。
腹を割って話しているように見える二人だが、ラジャムダはフルメリンタの国王レンテリオから密命を受けている。
といっても、ブローリオをフルメリンタに引き入れるというようなものではない。
現状を維持しブローリオを動かさない、反乱騒ぎの鎮圧に向かわせないことだ。
友好関係を築いて互いに戦う意志はなくとも、辺境伯爵ともなれば相応の戦力を有している。
正面切ってぶつかれば、互いに大きな損害を出す相手とは争わず、コルド川までの地域を占領した後で調略するというのがフルメリンタの方針だ。
友人と争わずに済む計画であれば、ラジャムダも反対する理由はない。
硬軟織り交ぜたフルメリンタの計略は、着々と進められている。
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