第135話 企ては進む

 オマーラはユーレフェルト王国の北東部で生まれ育った育った小作人の三男で、今年十七歳になる。

 昨年の秋から続く厳しい領主の税の取り立てに耐えかね、貧しい家々に食糧を配っている男の下へと身を寄せて、もう二ヶ月ほどになる。


 オマーラを誘った男たちは、自分達を新生派と呼んでいた。

 民を顧みず、腐りきった貴族社会を打ち倒し、国を新しく生まれ変わらせるのが目的だと話しているが、裏で糸を引いているのはフルメリンタだ。


 アジトには、武装部隊が貴族から奪ってきた穀物などが運び込まれ、配布部隊の手で貧しい家へと運ばれていく。

 やっていることは王家や貴族に対する反逆であり、捕らえられれば処刑されるかもしれないが、組織に加わっている者は罪の意識など欠片も持っていない。


 武装部隊が戦果を上げれば喜びにアジトが沸き、仲間の死を伝えられれば悲しみに沈む。

 ただし割り合いとしては、仲間の死を悼む方が多いが、それでも組織の若者たちは互いに励まし合い折れることはない。


 武装部隊の者たちも、配布部隊の者たちも、一人でも多くの民を飢えから救うために誇りをもって活動している。

 そして、活動に加わる若者の数は、日を追うごとに増えていた。


 この日も、オマーラがアジトで穀物の仕分けをしていると、配布部隊のトゥルダムが少年を連れて帰ってきた。


「おかえりなさい、トゥルダムさん」

「オマーラ、新入りのロジャだ。面倒を見てやってくれないか?」

「はい、任せて下さい」

「まず教えるのは……」

「脱出のための通路……ですよね?」

「そうだ、物資も貴重だが、奪われたら取り返せば良い」

「だが、人は育てるのに時間が掛かる……ですよね?」

「その通りだ、頼んだぞ」

「はい!」


 トゥルダムは、オマーラを新生派に連れて来た男で、その後も何かと目を掛けている。


「ようこそ、ロジャ。僕はオマーラ、ここに来て二ヶ月ぐらいだ」

「よろしくお願いします」

「あぁ、そんな他人行儀な挨拶は要らないよ。ここにいる皆は家族みたいなものだからね」

「家族……ですか?」

「みたい……ね。いや、もしかすると家族よりも強い絆で結ばれているかもね」

「あの……これ全部穀物なんですか?」


 ロジャは倉庫に山積みにされた麻袋に目を丸くしている。


「そうだよ、武装部隊の人たちが、命懸けで貴族から取り戻して来た物さ」

「これを食糧に困っている家に配るんですね?」

「その通り、僕らは小分けにして配布部隊の人たちが配りやすくするのが仕事だ」

「分かりました、じゃあ早速……」

「待った、その前に教えておくことがあるから一緒に来て」


 オマーラがロジャを連れて行ったのは便所だった。


「あっ、便所ですか。大事ですよね」

「まぁ、確かに便所は大事なんだが、ここ!」

「壁がどうかしたんですか?」

「妙に厚いと思わない?」

「あっ……でも隣りにも扉があったような」

「外の物入れと偽装してるんだけど……ほら」

「あぁ、壁が……」


 オマーラが便所の内壁を押すと、扉になっていて地下に下りる階段が現れた。


「ここは地下から外へ抜ける脱出路になってるんだ。もし貴族の兵士が攻め込んで来たら、表戸を閉めて立て籠もっている振りをして、ここから抜け出すことになっている。全員が出て、内側から閂を掛けてしまえば……」

「簡単には分からないですね」

「そう、新生派は人を大切にする組織だからね」


 オマーラが自慢げに言うと、ロジャは息を飲んだ後で瞳を潤ませた。


「いいかい、抜け出す時には『急いで便所に行け!』って言われるから、周りの皆と助け合いながら脱出する。いいね?」

「はい!」

「じゃあ、他の場所も案内するよ」


 新生派のアジトに連れてこられた若者は、最初にこの抜け穴についての説明を受ける。

 抜け穴は、実際に建物の裏手の用水路まで繋がっている。


 繋がってはいるが、建物から用水路までは大した距離ではないので、抜け穴としての意味は薄い。

 それよりも、アジトや戦利品は大切だが、いざという時には放棄して逃げろと教え込むことで、連れてこられた若者に『自分たちは大切に思われている』と思い込ませるための物だ。


 新生派のアジトに来る若者の多くは、貧しく、力の弱い農民だ。

 これまで、領主や地主に搾取されてきた者だから、自分たちの側に立って、自分たちの存在を認め、大切に扱ってもらえていると思うだけで信仰に近い忠誠心を持つようになる。


「ロジャ、僕らができることは小さなことだけど、その小さなことが集まって、やがて大きな力になるんだ。だから諦めず、ひたむきに頑張ろう」

「はい、よろしくお願いします、オマーラさん」


 アジトに連れてこられた若者には、様々な仕事が割り振られる。

 農村から連れてくる間に、スカウトした者が適性を見極めて、先に来た若者に世話を焼かせる。


 当然、新人の世話を焼くのは組織に心酔している者だから、その忠誠心が伝播していくことになる。

 現代日本であれば、テレビ、ラジオ、インターネットなどから様々な情報を取り入れ、判断することができるが、噂話ぐらいしか情報の無い農村の若者には洗脳に抗う術はない。


 実は、このアジトに積み上げられている食糧の多くは、別の領地の農村から取り立てて来たものだ。

 武装部隊が命懸けで奪って来ることもあるが、そこで命を落とす者の殆どはユーレフェルトの国民だ。


 資材も人材も現地調達、フルメリンタの工作員たちは決してフルメリンタの名前を出さない。

 あくまでも自分たちは、ユーレフェルト王国の未来を憂う者として行動している。


 ロジャがオマーラ下で仕事に慣れ始めたある日のこと、アジトの中にけたたましい銅鑼の音が響き渡った。


「敵襲ぅ! 敵襲ぅぅぅ! 鎧戸を閉めろ!」

「オマーラさん、て、敵が……」

「大丈夫だ。落ち着け、ロジャ」


 新生派のアジトは、領兵によって取り囲まれた。

 王国の騎士団や領兵に囲まれた場合には、扉を閉め切って籠城するという決まりになっている。


 アジトには大量の穀物があるので、兵糧攻めで飢える心配は無い。

 また穀物が失われるのを恐れて火攻めもできない。


 そこで籠城を選び、夜闇に紛れて抜け穴から脱出するというのが新生派の基本戦術だ。

 この襲撃でも、訓練通りに鎧戸を閉め、立て籠もることに成功した。


 アジトの二階からは弓使いが矢を放って兵士の接近を拒む。

 予定通りに敵が攻めあぐねると、アジトの中で歓声が上がった。


「す、凄いですね、オマーラさん」

「なっ、大丈夫だって言った通りだろう」

「はい!」


 これで夜の帳が降りれば、全て新生派の思う通りだったのだが、予定外の事態が起こった。


「不味いぞ、奴ら大盾を揃えて来やがった! 急いで便所に行く支度をしろ!」


 二階で敵の様子を窺っていた弓使いの声で、一気にアジトの中が緊張した直後、ドーンとアジトの入口が大きな音を立てて揺れた。

「駄目だ、このままじゃ持たない。急いで便所に行け!」


 日は西に傾いていたが、まだ明るいうちに新生派の構成員たちは脱出を余儀なくされた。


「ロジャ、先に行け!」

「オマーラさんは?」

「俺は逃げ遅れた人がいないか確認してから行く。だから先に行け、早く!」

「さ、先に行って待ってます!」


 ロジャが便所に飛び来み、オマーラが逃げ遅れがいないか確認に戻った時、アジトの表戸が破られた。

 揃いの鎧を身につけた領兵が、雪崩を打って踏み込んで来た。


「殺せ! 下っ端は一人残らず殺せ! 倉庫、台所、風呂場、便所も見落とすな!」


 表戸が破られた時、まだ抜け穴からの脱出は三分の二までしか進んでいなかった。

 襲撃してきた領兵は大きな部隊ではなかったが、精鋭ぞろいとみえて容赦ない殺戮を繰り広げながらアジトを隈なく捜索し始めた。


「いたぞ、こっちだ!」


 便所にできた脱出のための列にも領兵が迫ってきた。


「このままじゃ抜け穴がバレる。 俺が突っ込んで時間を稼ぐから閉めろ!」

「俺も残るぞ!」

「俺もだ、もう閉めろ!」


 抜け穴の存在を知られないために、数人の若者が囮として領兵に向かって突っ込んでいった。

 その中には、オマーラの姿もあった。


「この人でなし共め!」


 オマーラたちは、箒やモップを振り上げて領兵に向かっていく。

 下手に武器を置いておくと脱出を優先しなくなるという理由で、新生派のアジトには殆ど武器が置かれていなかった。


「がはっ……」


 風属性魔法の刃が箒やモップの柄ごと新生派の若者を切り刻み、槍の穂先が喉笛を貫いた。

 領兵たちは瞬く間に一階を制圧すると、二階に立て籠もっていた弓使いたちも切り捨て、槍で突き殺した。


「貴様が首領か!」

「だったらどうした! 貴様らに話すことなど何も無い!」

「こいつは生かして捕らえろ、生きていることを後悔するほど責めつけてやる!」


 領兵たちの殺戮は徹底していた。

 倒れて動かなくなった死体も、首を刎ね、心臓を突き刺して確実に止めを刺した。


 逃げ遅れて隠れていた者も、全て探し出されて殺された。

 抜け穴の存在を隠すために残ったオマーラの遺体も、無残に首を切り離されていた。


 アジトに残って殺されなかったのは、情報を握っていると見なされた首領一人だけだった。

 夕日が沈み、辺りが闇に包まれる頃、領兵たちはアジトにあった食糧を残さず馬車に積み込んで持ち去っていった。


 領兵たちが立ち去ると、アジトは夜の闇に包まれて静まり返った。

 誰もいなくなったアジトの便所で、コトリと小さな音がして抜け穴に通じる隠し戸が開かれた。


 辺りの気配に耳を澄ませた後、戻ってきた新生派の一部がアジトの様子を確認し始めた。

 むせ返るような血の臭いに顔を顰めた者たちの中には、ロジャの姿もあった。


 小さな明かりを頼りに廊下に出た者たちは、倒れている遺体の惨状に言葉を失って立ち尽くした。

 ロジャの瞳に、胴体を失ったオマーラの無念の表情が飛び込んできた。


「あぁぁ、嘘だぁぁ……オマーラさぁぁぁぁん!」


 暗闇に包まれたアジトに、小さな明かりと地獄の業火のごとき憎悪が灯される。

 この日を境に、生き残った新生派の若者たちは、外に出ていて難を逃れたトゥルダムたちに率いられて活動を先鋭化させていく。


 アジトを襲撃した領兵が、フルメリンタの工作員が化けた偽物だと知らずに……。

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