第134話 フルメリンタの企て

 ユーレフェルト王国コッドーリ男爵領に暮らすライムンドの家には、新しい年を迎えても重苦しい空気が漂っていた。

 ライムンドは小作人の家の次男で、今年十八歳になる。


 一家は、祖母、両親、兄、兄嫁、兄の子供二人、ライムンド、弟、妹の十人家族で、お世辞にも裕福とは言えない暮らしをしている。

 それでも、ここ数年コッドーリ領では豊作が続き、飢えるような事は一度も無かった。


 それが昨年から一変してしまった。

 隣国フルメリンタとの戦が起こったが、作柄は一昨年に続いて豊作だった。


 ところが、戦費の拠出のために、例年とは別に税が取り立てられたのだ。

 こうした臨時の取り立ては、住民全員が等しく負担する……などと言われたが、じっさいには貧しい者ほど大きな影響を受けることになる。


 豊作だと喜んで、例年通りに祭りで騒いだ後になっての取り立ては、住民に重く圧し掛かってきた。

 しかも、臨時の取り立ては一度ではなく、年も押し詰まった頃になってから再度行われた。


 このままでは年が越せなくなるとライムンドの父親が取り立て人に抗議したが、それならフルメリンタに攻め込まれて土地を追われても構わないのかと問われて黙るしかなかった。

 隣国フルメリンタとの戦いでは、コッドーリ領と境を接するエーベルヴァイン領にまでフルメリンタの軍勢が攻め入って来た。


 ライムンドたちは直接目にした訳ではないが、噂話でユーレフェルト王国の領地だった中州を奪われたことや、その住民が路頭に迷っていることも耳にしている。

 更にはエーベルヴァイン公爵家は家長である公爵が戦死し、戦の責任を問われて家督の相続すら認められず、領内では混乱が続いているという話も伝わって来ている。


 コッドーリ領は直接フルメリンタとは境を接しておらず、戦乱とは無縁であったために戦に対する備えが少ない。

 フルメリンタに攻め込まれれば、自領の兵士だけでは守り切れないので、隣接する領地の主に応援を頼まざるを得ないのだ。


 仮に自領だけで守りを固められる程の兵を養うとしたら、これまでの倍を超える税の取り立てが必要になると言われている。

 平時に豊かな暮らしをしてきた分、戦時には耐えろと言われれば、返す言葉が無いのだ。


 二度目の取り立て以後、ライムンドの家の食卓は一気に困窮した。

 穀物が足りないならば、魚や鳥を捕まえようと思っても、やり慣れない者では捕れる量も高が知れている。


 元々、一日二食だった食事は一食になり、その量も二食の頃よりもずっと少なくなっている。

 赤子に乳を与えなければならない兄嫁と乳離れが済んだばかりの幼子には、ひもじい思いをさせないためにこれまで通りの量が与えられているが、ライムンドは常に空腹を抱えるようになった。


 そんな状態では、新しい年が来たからといって喜んでばかりはいられない。

 普通の農家ならば、種籾に手を付けるという最後の手段が残されているが、小作人の家には食べるための蓄えしかない。


 暖かくなれば山菜なども増えるし、生き物の動きも活発になる。

 ヘビやカエル、オタマジャクシなども空腹を紛らすために一役を買ってくれる。


 春を迎えるまで、ひたすら耐えるしかないと思っていた矢先、三度目の取り立てが行われた。

 コッドーリ家の私兵と思われる鎧姿の男達が現れ、人数に応じた拠出を命じて来たのだ。


 これまで二回の取り立ても同様だったが、この人数に応じた……という部分が問題なのだ。

 老齢の祖母も、ライムンドも、兄の子供も一人は一人と見なされる。


 取り立てに来た者達は、ライムンドの父親を時には宥め、時には脅して蓄えを奪っていった。

 家の食糧事情は、いよいよ困窮した。


 一日一食、一回の量は以前の半分以下、三日に一日は食事抜き。

 ライムンドの父親と兄が、何度も何度も計算して、やっと弾き出した食い繋ぐための量だ。


 冬の間、ライムンドの家では藁細工や竹細工などの内職も行っているが、世の中全体が不景気になれば、それも売れるかどうか分からない。

 内職以外は、少しでも腹が減らないように、じっとしているしかない。


 そんな鬱々とした日が続いていたある日のこと、ライムンドの家の戸が叩かれた。

 家族全員が顔を見合わせて黙り込んだ。


 脳裏に浮かんだのは四回目の取り立てだ。

 ライムンドの父親が腰を上げずにいると、来訪者は更に強く戸を叩き始めた。


「いるんだろう、暖炉の煙が見えてるぞ」


 居留守を使おうとしていたのか、ライムンドの父親は顔を顰めながら重たい腰を上げ、扉を開けずに返事をした。


「何の用だい?」

「やっぱりいたのか、この家は何人だ?」


 外から聞えて来た男の声を聞いた途端、兄の子供を覗いた全員が顔を引き攣らせた。


「帰ってくれ! もうあんたらに出す米も麦も無い。ワシらに飢えて死ねと言うのか!」


 温厚で、普段は声を荒げることなど無いライムンドの父親が、振り絞るような声を上げた。

 ライムンドと兄も立ち上がって、父親の近くへと歩み寄ったが、外からは以外な言葉が聞こえてきた。


「あぁ、違う違う、少ないが食糧を分けに来たんだ」

「なんだって!」


 ライムンドの父親が急いで閂を外して扉を開けると、人懐っこい笑顔を浮かべた小柄な男が立っていた。


「今の話は本当か?」

「あぁ、嘘じゃないが、あんまり大きな期待もしないでくれ。それで、ここは何人だ?」

「大人が八人、子供が二人じゃ」

「じゃあ十人だな。取られた時は子供も一人に数えられたんだろう?」

「そうだ、一人は一人って言われて……」

「まったく、ふざけた連中だ」


 訪ねてきた男は、背負っていた大きな袋から、小分けにした袋を十個取り出して土間に並べた。


「すまんが、米や麦は無い。豆と干し肉だが、食い繋ぐ足しにしてくれ」

「い、いいのか?」

「勿論だ、そのために担いで来たんだぜ」

「じゃが、なんで?」

「俺達は今の王国に不満を持ち、国を変えようと活動している。国が残ったところで、民がいなかったら何にもならんだろう。だから手を差し伸べる……当り前の話だ」

「おぉぉ……ありがとう……ありがとうございます」


 男の話を聞いて、ライムンドの父親はボロボロと涙を零して何度も何度も頭を下げた。

 それを見守っていたライムンドも、堪えきれずに涙を流した。


「それにしても、食べ盛り、育ち盛りの男がいると辛いな」

「はい、息子たちにはひもじい思いをさせています」

「そうか……」


 男は言葉を切ると無言のまま、ライムンド、兄、弟を順番に見詰めた。


「もし良ければ……いや、やめておこう」

「どうされました?」

「我々は同志を求めているんだが……いや、止めておこう」


 男は小さく頭を振ると、背負ってきた袋の口を閉じて背負い直した。

 それまで黙って見守っていたライムンドは、思いきって男に問い掛けてみた。


「あの……その同志には俺もなれますか?」

「なれないことは無いが、我々がやってることは王国への反逆と取られかねない。口減らしになればと思ったが、君のような将来のある若者は関わるべきじゃない」

「でも、俺でもなれるんですね」

「なれるが……この家に戻って来られなくなるかもしれないぞ」

「構わない。親父もまだ元気だし、俺が一人減れば皆が食べる分が増やせる」

「俺も行く、俺も仲間に入れてくれ!」


 ライムンドに続いて弟も声を上げた。


「駄目だ。二人も減ったら今年の農作業はどうするんだ」

「でも、俺も行けば皆の飯が増やせる」


 男はライムンドの弟から父親へと視線を向けた。


「二人も抜けたら困るだろう?」

「それは……確かにしんどくなるとは思いますが、何とかなります」

「戻って来られなくなるかもしれないぞ」

「はぁ、それでも、なんとか……」


 ライムンドの父親が、得体の知れない組織に二人が加わるのを反対しないのは、小作人の家の事情にある。

 自分の土地を持つ農家ならば、土地を分けるなどして次男や三男も家を持てるかもしれないが、小作人には分け与える土地がない。


 どこかの家の婿に入るか、どこかの農家から土地を借りるしかない。

 小作人の次男や三男が家庭を持つのは大変なのだ。


「本当に良いのか?」


 男が念を押すと、ライムンドも、父親も、弟も、揃って頷いてみせた。


「分かった、それじゃあ着替えなどの荷物をまとめてくれ。我々の拠点に連れていく」


 男は背負い直した荷物を下ろし、二人を連れていく分だと言って、豆と干し肉の入ったふくろを更に四つ置いた。


「世直しが終われば、皆が顔を揃えて、今よりもずっと豊かに暮らせるようになる。そんな世の中が一日でも早く訪れるように尽力すると約束しよう」


 ライムンドと弟は家族に別れを告げて、男と共に家を出た。

 二度目、三度目の取り立てがフルメリンタによって仕組まれたものであることも、食糧を持って現れた男がフルメリンタの工作員であることも知らず。


 男が配って歩いている豆や干し肉は、ユーレフェルト王国の別の領地で取り立てたものだ。

 この後、ライムンドと弟は、フルメリンタが裏から糸を引く反乱組織に連れていかれ、反王族、反貴族の思想を叩き込まれて洗脳される。


 物資も人材も現地調達するフルメリンタの企みは、少しずつ少しずつユーレフェルト王国に染みのように広がり続けていた。

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