第124話 オルネラス侯爵領

※ 今回は海野和美目線の話です。


「それならば、新年はうちの領地で迎えたら?」


 今年も残り十日ほどになっても王都は陰鬱な空気に包まれたままで、私達も気分の晴れない日々を送っていた。

 そんな時に受けた、第一王子派の有力貴族のオルネラス侯爵夫人からの招待は、私達にとっては本当に有難いものだった。


 オルネラス侯爵家の領地は王都の南方、ユーレフェルト王国で一番の交易港を抱えている。

 いざという時には、海路でフルメリンタを目指そうと考えている私達にとっては、下見をするチャンスでもある。


「カズミ達は何も用意しなくていいわよ。いつもお世話になっているから、今回は私にお世話させてちょうだい」


 侯爵夫人からは、そう言われたものの、着替えと手回り品、そしてエステに使うオイルなどは持参することにした。

 交易港を抱えて裕福なオルネラス侯爵家には、周辺に領地を持つ貴族も遊びに来るらしい。


 第一王子アルベリク様が暗殺され、喪に服している王都では新年を祝うパーティーなどは開きにくい。

 それならば、自分の領地に戻って気兼ねなく新年を祝おうということらしい。


 私達もパーティ―の末席に参加させてもらうと同時に、侯爵家の一室を借りてエステの施術をするつもりだ。

 王家との繋がりを断つつもりは無いが、有力貴族との繋がりを強化しておくことは、後々利益になるはずだ。


「ちゃんと王都に戻って来るわよね?」

「勿論です。それとも戻って来ない方がよろしいのでしょうか?」

「馬鹿なことを言わないで、カズミ達抜きの生活なんて考えられないわ」


 オルネラス侯爵家からの招待を受ける許可を貰った時、ブリジットの母である第二王妃シャルレーヌからは念を押すように王都への帰還を確認された。

 戻って来ると答えたし、そのつもりでいたのだが、改めて考えるとそのまま抜け出してしまうというのも悪くないのかもしれない。


 ただ、フルメリンタの霧風君とは全く連絡が取れていないし、海路で移動する目途も立っていない。

 やはり、今回は下見という形にしておいた方が無難だろう。


 オルネラス侯爵夫人が手配してくれた馬車は、思っていたよりも快適だった。

 王城は上空に張られた結界によって、一年を通して快適な温度に保たれているが、城の敷地を出れば外は真冬だ。


 イシャルマン商会などとの取引のために、最近では週に一度は外出しているが、その度に気温差に驚かされている。

 オルネラス侯爵領は、王都よりも南方なので暖かいとは聞いているが、馬車で五日程度の距離では驚くほど暖かくはないはずだ。


 道中も馬車の中で震える羽目にならないか心配だったが、キャビンは魔道具によって暖房が効いていた。

 サスペンションのようなものも付いているらしく、振動もそれなりに抑えられている。


「うわぁ、旅行だよ、旅行! ワクワクするぅぅぅ!」

「まったく、亜夢はお子ちゃまだねぇ」

「えー……涼子だって、旅行が楽しみで昨日の夜はなかなか寝付けずにいたくせに」

「そ、そんなことないわよ!」

「嘘だねぇ、あたしは嬉しくて全然眠れなかったから、涼子が寝返りを繰り返して悶えてたの知ってるもん」

「ち、違うわよ、昨日はお腹の調子が良くなくて……」

「はいはい、そういうことにしておいてあげましょう」

「ぐぬぅぅ……」


 亜夢や涼子がはしゃいでいるのも無理は無いし、私も昨日はなかなか寝付けなかった。

 馬車に乗って王都を離れるのは、実戦訓練に行った時以来だ。


 その実戦訓練も、一度目は何事も無く終えられたが、二度目はオークに待ち伏せされて八人のクラスメイトの行方が分からなくなった。

 男子三人、女子は五人も戻って来なかった。


 オークの襲撃を受けて命からがら逃げ延びた者も、すぐさま討伐に戻るように命じられ、討伐した後は行方不明者の捜索も許されずに王都に戻らされた。

 何人かは行方不明者を捜索させてほしいと要求していたが、オークに襲われて居なくなった者は既に食われていると断言されていた。


 たぶん亜夢も涼子も、あの時のことを頭のどこかに思い浮かべているのだろうが、口に出したりはしない。

 口に出してしまえば、今の楽しい気分が消えてしまうと分かっているから。


 王城を出発した時ははしゃぎまくっていた二人も、王都を出て道の両側に田園風景が続くようになると、昨夜の夜更かしが堪えたのかコックリコックリと居眠りを始めた。

 馬車には、世話役として侯爵家のメイドさんが同乗しているのだが、眠り込んだ二人を見て微笑んでいる。


「すみません、二人とも子供みたいで」

「いえいえ、お気になさらないで下さい。奥様からは、皆様に寛いでいただくように申しつかっております。カズミ様もお楽になさって下さい」

「ありがとうございます、それにしても、凄い馬車ですね」

「旦那様や奥様が乗られている馬車はもっと凄いんですよ」


 私達の乗っている馬車は二頭立てだが、侯爵一家の乗っている馬車は六頭立てだった。

 現代風に言うならば、キャンピングカーのような造りになっているらしい。


「貴族の皆さんが乗る馬車は、みんな豪華なんですか?」

「私も全ての家の馬車を存じている訳ではございませんが、家によって違うようです」


 オルネラス侯爵家は、家格も高いし、交易によって裕福な領地だけあって豪華な馬車を所有しているらしい。

 貴族でも内情の厳しい男爵家などは、一般的な箱馬車を使っているそうだ。


 ただし、一般庶民には旅行という習慣すら無いそうで、馬車に乗って旅をすること自体が贅沢なことらしい。

 親戚などを訊ねて別の街や村に行く場合、一般庶民は乗合い馬車か徒歩での移動になるそうだ。


 オルネラス侯爵領へと向かう道中、世話役のメイドさんと話をしながらも馬車の外の風景を見続けた。

 田んぼや畑が広がる代わり映えのしない風景が続く場所も多いが、川や林、遠くに見える山など特徴的な場所も少なくない。


 自分達だけで移動する場合には、土地勘があった方が良いに決まっている。

 途中の街や村の名前、特徴なども、手帳に書き留めておく。


 手帳や携帯出来るペンとインク壺は、イシャルマン商会で手に入れたもので、書き込みは全て日本語で行っている。


 日本語で書いておけば、こちらの世界の誰かに見られても大丈夫だ。

 世話役のメイド、ソラーナさんからは、何のために調べているのか訊ねられたが、エステの施術をしている時の世間話に使うのだと答えた。


 別の世界から来たからユーレフェルト王国の一般的な常識にも知らないことが多いし、施術をする人の領地のことを知っていれば話も弾んでリラックスしてもらえる。

 せっかく王都を離れて自分の目で見られる機会だから、色々と吸収したいと伝えると協力してもらえた。


 さすがに侯爵家のメイドさんとあって、ソラーナさんは他家の噂話なども良く知っていた。

 王都からオルネラス侯爵領までの道中に通る領地を治めている貴族が、どんな人物で、その夫人はどんな性格とか、経済的に裕福かどうかなども教えてくれた。


 最初は、侯爵家のメイドと客人という態度だったソラーナさんも、時間が経つほどに打ち解けて色々な話をしてくれるようになった。

 ソラーナさんが打ち解けるのに一役買ったのは亜夢だ。


「ソラーナさん、お腹空いた……」

「じゃあ、お茶にしましょうか」

「やったー」


 ソラーナさんは、両親と兄の四人家族だそうで、幼い頃から妹がほしい思っていたそうだ。

 亜夢の人懐っこい性格も幸いして、馬車の外ではメイドとお客様だけど、馬車の中では友達のように接してくれるようになった。


 私達の境遇にも同情してくれているが、ユーレフェルト王国からの脱出を画策していることまでは話していない。

 下手に話して侯爵夫人に報告されでもしたら、これまで以上に厳しく監視されるようになるかもしれないからだ。


 あくまでも、侯爵夫人には招待してもらえて感謝していると思わせておきたい。

 ソラーナさんからは、貴族の内情などの他に、貴族の屋敷を訪れるときのマナーなどについても教わった。


 エステの施術で貴族の夫人に接する機会は多いけど、それはあくまでも施術室での話で、食事やパーティ―の場ではない。

 亜夢は面倒くさがっていたが、恥をかかないように、相手の印象が悪くならないように、ソラーナさんにキッチリと叩き込んでもらった。


 馬車で五日も掛けて到着したオルネラス侯爵領の館は、港街を見下ろす丘に建つ瀟洒な洋館だった。

 海流の影響もあるのかもしれないが、気温は王都に比べると確かに暖かい。


「うわぁ、綺麗……南フランスみたい」

「亜夢、南フランスに行ったことあるの?」

「ううん、無いよ」

「やっぱりか……でも、確かにそれっぽいね」


 丘の上から見下ろす街並みは、白い壁に赤茶色の屋根瓦で統一されているようで、亜夢が南フランスのようだと言う気持ちは良く分かる。


「あんまり大きな船は見当たらないわね」


 涼子がポツリと洩らした感想は、私も思っていたところだった。

 ただ、港までは随分と距離がありそうだし、近くで見るともっと大きく見えるのかもしれない。


 いずれにしても、年末年始の休みの間に何とか口実をつけて港の様子を見に行きたい。

 出来るならば、どこかの船主と繋がりを持ちたいところだけれど、無理をすれば侯爵夫人に疑われるかもしれない。


 とりあえず、今回は亜夢と一緒に観光を楽しんでいる振りをしておいた方が良さそうだ。

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