第119話 イシャルマン商会

※ 今回は海野和美目線の話です。


 第一王子アルベリク様が暗殺された直後、王城は一触即発の緊迫した空気に包まれた。

 一ヶ月以上が経過した今も、当時ほど切羽詰まった感じは無いものの緊張感が続いている。


 幸いというか、第一王子派からの武力による報復が行われなかったので、城内での暴力沙汰は起こっていないようだが、対立の構図は変わらずに続いている。

 アルベリク王子という旗印を失った第一王子派だが、妹の第二王女ブリジット様が王位継承争いに名乗りを上げ、派閥の新しい顔になっている。


 ショックのあまり一時期寝込んでしまっていたアルベリク王子の母、第二王妃シャルレーヌ様も床払いをしてブリジット王女を支えている。

 そして、両派の対立は武力だけでなく、財政や経済の分野にまで及んでいるようだ。


「ようこそいらっしゃいました、カズミ様、リョウコ様、アム様」


 エステで使う用品の仕入れに出向いたイシャルマン商会では、会長のイズータ氏が私たちを下にも置かぬ扱いで出迎えた。

 今回で訪問は四回目になるのだが、毎回待遇が良くなっているのを実感する。


 最初に訪れた時には、近衛騎士二人が同行していたにも関わらず、私が交渉を担当すると知ると疑わしそうな目を向けてきたものだ。

 来訪した途端、別室へと案内され、一分も待たずに会長が挨拶に出向くようになったのには、第一王子派と第二王子派の対立が関係している。


 第二王子派の後ろ盾が武力とすると、第一王子派の後ろ盾は経済分野だそうで、王国の財務を担当するラコルデール公爵を中心として様々な締め付けが行われたそうだ。

 その一つが、第二王子派であるクラリッサ王妃、アウレリア王女、ベルノルト王子に関わる支出の差し止めだ。


 既に納品が済んでいる品物に関しては支払いが行われるが、今後は財務方を通さない取り引きについては一切の支払いを行わないというものだ。

 表向きには、フルメリンタとの戦争やワイバーンの襲撃からの復興に掛かる巨額の費用を捻出するための措置とされているが、実際には第二王子派への嫌がらせだ。


 これによって当惑したのは、第二王子派だけに留まらない。

 当然、これまで取り引きを行ってきた様々な業者にも皺寄せが及んでいる。


 これまで王家御用達として羽振りが良かった商会の売り上げに影が差す一方で、新規の取引の糸口を掴んだイシャルマン商会が私たちを優遇するのは当然の流れなのだ。

 会長のイズータ氏には、私たちが第二王子派によって異世界から召喚され、現在は第一王子派の庇護下にはあるが、両派から保護の対象とされている事も話してある。


 例え、この後どちらの派閥が勝利を収めるにしても、その結果に左右されず取り引きを続けていけるのだ。

 王位継承を巡る争いによって商売敵が傾く様を見れば、両派から保護の対象とされている私たちほど新規顧客として都合の良い存在はないはずだ。


「イズータさん、先日お願いしていた香料は手に入りましたか?」

「はい、いくつか候補を用意してございます」


 イシャルマン商会は、布地の商会として基礎を築いてきたが、近年では他の商品も手広く扱うようになっている。

 私が頼んでおいたのは、オイルマッサージに使うオイルに混ぜる香料だ。


 マッサージオイルは施術に使うだけでなく、普段のスキンケア用品としての販売も計画しているので、今後貴族の女性からの需要が増えると見込んでいる。

 貴族の女性達の間で流行すれば、それは裕福な市民の間にも流行する。


 当然、王室御用達としてオイルを扱う商会の売り上げも上がるという訳だ。

 オイル、香料の選定は私たちが行い、配合、製造に関してはイシャルマン商会に委託するつもりでいる。


 私たちが利益を得るのが目的ではなく、イシャルマン商会に利益をもたらすのが狙いなのだ。

 香料は、花やハーブ、柑橘類などから、いくつか選びだすつもりでいる。


 その日の気分で使うオイルを変えるようになれば、更にイシャルマン商会の売り上げに繋がるはずだ。


「こちらが香料となりますが抽出したままですので、直接嗅がずにこちらの紙に垂らしたものを鼻から離して確認なさってください」


 花、ハーブ、柑橘類、それぞれ三、四種類用意されたものを涼子と亜夢も一緒になって確かめた。

 エステの施術や入浴後、就寝前に使う予定のものなので、華やかな香りよりもリラクゼーション効果を重視して穏やかな香りを選んだ。


「それぞれ二種類、この六種類で試作をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「そうですね。実際にオイルに混ぜると香りの立ち方も変わってくると思います。配合の割合を変えて、いくつか試作をしてみましょう」

「よろしくお願いします。それと、こちらが先日お話ししたミシンの機構の略図です」

「おお、これがミシンですか……なかなか複雑な構造のようですね」

「はい、正直に言ってうろ覚えの部分も多いですし、構造全体が連動しないと上手く縫えません」


 ミシンの構造については、中学生の頃に興味を持って調べたことがあるのだ。

 上糸と下糸が、どうやって交差して解れないように縫えるのか、中釜の構造を理解するのに苦労したものだ。


 私の場合、実際に動くミシンを見ているし、インターネットには構造を解説したページがいくつもあった。

 それらの解説と実物の部品を見比べて、ようやく理解できた……いや、理解できた気になっているだけかもしれない。


 正直、一からミシンを作るのは無理難題と思うレベルだが、前回買い付けに来たときに話のネタとして、私たちの世界にはこんな機械があると紹介したら、いたく興味を持たれたのだ。


「ですが、実現すれば人の手では真似の出来ない速さで縫えるのですよね?」

「はい、足踏み式でも、キチンと動作すれば人の数倍、いや十倍以上の速さで縫えます」

「ならば、時間を掛けてでも実用化するまでです」

 

 上糸と下糸が交差する構造、糸にテンションを掛ける構造と調整する構造、布を送る構造、針やボビン、中釜などの部品。

 果たして、こんな素人知識を基にしてミシンの形になるのか大いに疑問だが、物を作る職人が集まれば、もしかすると実用化されるかもしれない。


 なによりも、会長であるイズータ氏が商売になると睨んでいるのだ。

 実際、ミシンが実用化されれば、その恩恵は計り知れない。


 ミシンによって縫製の速度が上がるのは勿論だが、ミシン自体が商品になるし、その構造で特許を取れば使用料でも儲かるだろう。

 まぁ、この国に特許制度があればの話だが。


 その有用性にイズータ氏が気付いているのだから、実用化に向けて力を入れるだろう。

 なによりも、お金儲けは事業を進める一番の動機になるはずだから。


「カズミ様、ミシン以外に何か面白い品物はありませんか?」

「ふふっ、面白い品物というよりも、お金儲けに繋がる品物ではないのですか?」

「いやぁ、これは手厳しい……まぁ、私どもは商人ですから、最終的には儲けを考えなければなりませんが、それ以前にお客様に喜んでもらえなければ品物を買っていただけません」

「では、お客が喜んでお金を支払う品物……ということですね?」

「おっしゃる通りです」


 と言われても、日本の技術をポンと紹介するのは難しい。

 日本とユーレフェルト王国では、科学技術には大きな格差があるからだ。


 自動車やオートバイなどエンジンを使うものは難しいし、自転車ならば何とかなりそうだが、現代日本で使われている形をそのまま再現するのは難しいだろう。


「ちょっと伺いたいのですが、船を使った娯楽とかは無いのですか?」

「船を使った娯楽……ですか?」

「はい、私たちの世界では、お金を持っていて、時間に余裕がある人達は豪華な船で違う国に旅をして楽しんだりしています」

「船で違う国へ旅行ですか……考えられませんね」


 イズータ氏の話によれば、この世界の船は帆船で、旅をするのは命懸けらしい。

 交易の荷を運ぶのと、漁をする以外の目的で船を利用する者は殆どいないらしい。


「船乗り以外では、旅行記を書く冒険家ぐらいですね」

「夏場に川遊びなどもしないのですか?」

「川遊び……ですか?」

「流れの緩やかな川に船を浮かべて、涼みながらお酒や料理を楽しんだり、楽器の演奏を楽しんだりはしないのですか?」

「そうですね。川も荷を運ぶ、材木を運ぶ、漁をする以外では渡し舟ぐらいですが……川遊びですか、なかなか面白そうですね」


 日本の屋形船を使った花見や花火見物、夕涼みなどを紹介するとイズータ氏は興味を持ったようだ。


「なるほど、荷を運ぶための船ではなく、客を乗せてもてなす専用の船を使うのですね」

「そうです。違う国へ行く船も、旅客専用の豪華な造りで、まるで小さな町が海に浮かんでいるみたいなんです」


 海外旅行に使われるクルーズ船について話すと、イズータ氏は目を丸くしていた。


「それほど大きな船とは……本当に街が一つ浮かんでいるかのようですね」

「海の上からでないと見えない絶景もありますし、船旅が裕福さの証だと世間から認知されるようになれば、多額の費用を支払う人も出て来るのではありませんか」

「ふむ……なるほど、現在のユーレフェルト王国では、ここ王都に来ることが一つの娯楽であり、地方に住む者にとっては一生に一度は叶えてみたい夢でもあります。ただし、王都に暮らしていたり、屋敷を持つ者にとっては、それ以上の格式は存在していません。豪華な船で違う国に旅をする……たしかに、富の象徴たり得るかもしれませんね」


 勿論、この海外クルーズの話は、万が一に私たちがユーレフェルト王国から逃げ出すときの備えでもある。

 この提案が、すぐに形になるなんて甘い考えは持っていない。


 だが実現すれば、貴族や金持ちマダムが船上でエステを受けられるサービスを試す……などの口実でユーレフェルト王国から出られるようになるかもしれない。


「カズミ様は、ユーレフェルト王国以外の国に行ってみたいと思われますか?」

「そうですね。こちらの世界に召喚されてからも、実戦訓練に行っただけで、殆ど城からも出ていませんので、ユーレフェルト王国内も含めて、色々な土地の様子を見てみたいとは思っています。まぁ、なかなか実現するのは難しそうですけどね」

「でしたらば、まずはユーレフェルト国内を巡られてはいかがですか?」

「そうしてみたいのは山々なのですが、日頃の施術をもございますし……」

「そうですね、でしたら、懇意にされているマダムの領地に遊びに行く……といった口実を使われたらどうでしょう?」

「なるほど……領地に出向いて出張で施術を行う……みたいな感じですね?」

「そうです、そうです。それならば王家からも許可が下りるかもしれませんよ」

「そうですね。難しいとは思いますが少し考えてみます」


 この後も、いくつか商談を行ったのだが、王都以外の領地行きの話が気になって仕方がなかった。

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