第118話 小貴族の悲哀

 フロイツ・コッドーリ男爵は、ユーレフェルト王国の東部に領地を持つ貴族だ。

 ユーレフェルト王国での男爵という位は、広大な領地を持つ三大公爵家などに比べると吹けば飛ぶような末端で、俗に貧乏貴族などと呼ばれている。


 コッドーリ男爵家も、フロイツの父の代までは貴族とは名ばかりの生活だったが、祖父と父の二代に渡る治水事業のおかげで収穫量がぐんと増え、近年は豊かな生活をしていた。

 祖父や父は粘り強く治水に取り組んだ有能な人物であったが、フロイツ自身は二人の業績による実りを享受するのみで、領地の更なる発展には興味が薄かった。


 いわゆる事なかれ主義で、現状の豊かになった自領に満足していたのだが、世の中の流れはコッド―リ男爵家を放っておかなかった。

 事の始まりは、エーベルヴァイン公爵によるフルメリンタへの侵略戦争だった。


 コッド―リ男爵領は、エーベルヴァイン公爵領の隣に位置している関係で第二王子派に組み込まれていた。

 積極的に第二王子ベルノルトを支持している訳ではなく、隣接する大貴族のご機嫌を損なわないための消極的な参画であった。


 エーベルヴァイン公爵からすると戦力として計算もできず、同派閥の貴族がいる程度にしか認識していなかったようだ。

 そのため、フルメリンタへの侵略戦争についても、コッドーリ家には通達さえも行われなかった。


 手柄を立て、出世を望む貴族であれば、無視された事に腹を立てたであろうが、フロイツ・コッドーリは通達が無かった事をむしろ喜んでいた。

 一応、貴族である以上は自領の治安を維持するための兵士を置いているが、コッドーリ家の私兵は形ばかりの兵ばかりで、他国との戦争を応援できるほどの練度は無い。


 そのため、事前に通告を受けて兵士の派遣を要求されていたら対応に苦慮するところだったのだ。

 だが、兵士を出さずに済んだと喜んでいられたのは、ほんの数日の間だけだった。


 ワイバーンの襲来、エーベルヴァイン公爵の戦死、敗走、フルメリンタの侵略と、坂道を転げ落ちるようにコッドーリ家を囲む状況は悪化の一途を辿った。

 中州の領地の奪還に留まらず、エーベルヴァイン公爵にまで入り込んだフルメリンタの軍勢を追い払うために、恐れていた派兵の要請がなされた。


 第二王子派から要求された数の兵を揃えられず、食料の拠出を増やすことで納得してもらえたが、豊かだった家計が一気に苦しくなった。

 領地の規模が小さいから、余裕があると言っても高が知れていて、大貴族の基準で求められる量の食料を出せば簡単に底を尽いてしまうのだ。


 更には、簡単に追い払えるという話だったフルメリンタの軍勢は予想以上に手強く、講和が成立するまでに食料の拠出を二度も追加で要求された。

 何とか減額できないか交渉を試みたが、それならば不足している兵を出せと言われてしまい、結局言われるがままに食料を拠出する羽目になった。


 この戦いによって、コッドーリ家は先祖の代から爪に火を灯すようにして積み上げてきた蓄えさえも使い果たしてしまった。

 幸い、コッドーリ領まで戦火が及んでいないので、秋の収穫は無事に迎えられそうだが、集めた年貢もどれほど残るか心もとない状況だ。


 フルメリンタとの講和が成立すると、フロイツはザレッティーノ伯爵によって前線へと呼び出された。

 何のために呼び出されたのか分からなかったが、派閥の中でも強硬派のザレッティーノ伯爵に盾突くのは得策とは思えず、フロイツは準備を整えて渋々前線へと向かった。


 最前線からは少し離れたエーベルヴァイン領の街には、多くの兵士が駐留していた。

 指定された宿で待っていたのは。ザレッティーノ伯爵家の当主ビョルン、エーベルヴァイン公爵の長男オウレス、カーベルン伯爵とベルシェルテ子爵の四人だった。


 いずれも第二王子派ではあるが、ザレッティーノ伯爵とエーベルヴァイ公爵家は強硬派、カーベルン伯爵とベルシェルテ子爵は穏健派だ。


「待っていたぞ、コッデーリ男爵。この度は食糧の拠出大義であった」

「はっ、ありがとうございます」


 ザレッティーノ伯爵は、まるで自分が派閥の宗主であるかのように振る舞っていた。

 家名を間違われた事は腹立たしかったが、波風を立てたくなかったので、フロイツは曖昧な笑みを浮かべて礼を言った。


「ザレッティーノ伯爵、私は何をすればよろしいのですか?」

「男爵には、フルメリンタとの講和に立ち会ってもらう」


 フロイツは講和が成立したと聞いていたが、現状は条件が整っただけで、成立するのはフルメリンタが撤退し、ユーレフェルトがある人物を引き渡した後になると聞かされた。


「ある人物というのは?」

「ふん、忌々しい平民上りのユート・キリカゼだ」


 ザレッティーノ伯爵が口にしたのは、ワイバーンの討伐において功績を残し、蒼闇の呪いの痣を消せると言われている人物だった。

 中央の情勢には疎いフロイツでも、彼の名前は知っている。


 だが、第一王子派の人間のはずだし、派閥の枠組みを考えなければユーレフェルト王国にとっては有用な人物だ。


「それは、フルメリンタからの申し出なのですか?」

「そうだ、平民上りを一人渡すだけで領土が取り戻せるのだから安いものだ。それに、奴がいなくなればアルベリクの痣は消えずに残る」


 フロイツは、ザレッティーノ伯爵がキリカゼの暗殺を試みたという話も聞いていたし、第一王女の近衛騎士が返り討ちにされたという噂も聞いている。

 ザレッティーノ伯爵はフルメリンタから望まれたと言っているが、実際にはこちらから売り込んだのではないかとフロイツは感じた。


 そして、フロイツは二日後に、ユート・キリカゼ本人と顔を合わせる事となった。

 会談の席では、年若いユート・キリカゼにザレッティーノ伯爵が一方的にやり込められる一幕があった。


 ザレッティーノ伯爵のあまりにも浅はかな態度に穏健派のエグモント・カーベルン伯爵、ユルゲン・ベルシェルテ子爵が造反し、フロイツも後に続いた。

 更に、講和成立の瞬間に、ザレッティーノ陣営が集団魔法を撃ち込むという暴挙に出たことで、穏健派との溝は決定的となった。


 フロイツはカーベルン伯爵とベルシェルテ子爵に誘われるがままに第二王子派と決別し、第一王子派に鞍替えする道を選んだ。

 講和成立直前の暴挙によってザレッティーノ伯爵は、子爵位への降格と転封させられ、第二王子派の戦力は大幅に衰退したからだ。


 それに加えて、すでに第一王子アルベリクの痣の除去は終わっていると、ユート・キリカゼから聞かされたのも鞍替えする大きな理由となった。

 講和成立直前の暴挙に関して王城で事情聴取を受けた際に、フロイツはカーベルン伯爵の手引きによって第一王子派へと加入した。


 元々、エーベルヴァイン公爵領と隣り合わせであったから第二王子派に加わっていただけで、ベルノルトの悪評を耳にして行く末に不安を感じていた。

 ベルノルトのような乱行が無いだけでも、アルベリク王子に乗り換える価値はあるとフロイツは考えていた。


 実際、ワイバーンの襲撃からの王都の復興事業では、蒼闇の呪いの痣が消えたアルベリク王子は率先して陣頭指揮を行い、現場の者や市民からの評価もうなぎ上りだった。

 このままアルベリク王子が次の国王となれば、第二王子派凋落の流れを作った自分には恩賞が出るかもしれない……と、財政が苦しくなったフロイツは少なからぬ期待をした。


 一方、ベルノルト王子が指揮を執っていると聞く、エーベルヴァイン領の復興は一行に進まなかった。

 進まないどころか略奪や打ち壊しが頻発し、治安は悪化の一途を辿っていた。


 派閥の鞍替えは正しい選択だったと思うと同時に、民衆の反乱が自領に及ばないかフロイツは不安を感じていた。

 コッド―リ家の家訓として、民衆からの税の取り立てについては公平かつ公正に、隠し立てせず行うように定められてきた。


 フロイツも家訓を守り、税の取り立てに関しては一切の不正も行わず、依怙贔屓も行わなかった。

 エーベルヴァイン領で起こっている反乱騒ぎは、その殆どが税の取り立てに関する不正や不満に起因していると聞いていたので、その点に関してはフロイツは自信があった。


 というよりも、コッド―リ領の規模が小さいために、フルメリンタの工作が後回しにされていたのだ。

 おかげで、他の領地でも反乱騒ぎが起こる中になっても、コッド―リ領は平穏なままだった。


 このまま波風が立たず、平穏な日々が続いて欲しいというフロイツの願いは、あっけなく打ち砕かれる。

 第一王子アルベリクが暗殺されたという知らせが届いた時、フロイツは目の前が真っ暗になって、その場に座り込んでしまったほどショックを受けた。


 なにしろ、第二王子派衰退の切っ掛けとなった派閥の鞍替えを最初に行った三家の内の一家がコッド―リ家なのだ。

 勢いに任せて鞍替えせず、少し様子見をしてからにすれば良かったと思っても、すでに後の祭りだ。


 すぐさまカーベルン伯爵とベルシェルテ子爵に手紙を書いて、今後の対応を訊ねてみたのだが……カーベルン伯爵は第一王子派として運命を共にすると返答してきた一方で、ベルシェルテ子爵は第二王子派に戻る機会を見計らっていると答えてきた。


 情勢を考えれば、第二王子派に戻った方が良さそうにも思えるが、戻れば復興のための人材や食料の拠出を命じられるかもしれない。

 それならば、第一王子派に残ったまま要請を突っぱねた方が財政的には楽だが、今後周囲の領地が全て第二王子派に変わった場合、様々な嫌がらせを受ける可能性もある。


 夜も眠れないほど憔悴したフロイツのもとへ、一つの希望がもたらされた。

 それは、アルベリク王子の妹、ブリジット姫が次の王へ名乗りを上げたのだ。


 これによって第一王子派は息を吹き返した。

 第二王子派の後ろ盾であったエーベルヴァイン公爵家は、家督の相続が認められないまま宙に浮いた形であるのに対して、第一王子派の後ろ盾であるラコルデール公爵家は安泰だ。


 まだ先行きは不透明であるものの、ようやくフロイツは枕を高くして眠れた。

 ところが、フロイツが安心して眠れていたのも数日の間だけだった。


 ブリジット王女を押し立てて反転攻勢に出た第一王子派は、国の財務を預かるラコルデール公爵を中心として、第二王子派貴族の脱税や不正蓄財の取り締まりを始めたのだ。

 フロイツは、家訓に従って民衆からの税の取り立ては公平公正に行ってきたが、国への届け出を誤魔化していた。


 治水事業によって増えた農地や収穫量の一部を国に報告せず、自分の懐に入れている。

 全てを報告していれば、街道や橋の普請、兵役などにより多くの金額や人材を要求されていたはずだ。


 幸いにして、コッド―リ家は第一王子派に鞍替えしたままだが、調査を受けた第二王子派の貴族からは第一王子派の貴族の不正を訴える声が上がっているらしい。

 そうした声に押されて、第一王子派にも調査が入るとすれば、鞍替えしたばかりの新参者に真っ先に目が向けられるだろう。


 フロイツ・コッド―リの眠れない日々は、まだ終わりそうにもない。

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