第117話 同居
富井さんが突然訪ねて来たのには驚いたが、思ったよりも取り乱さずに済んだのは、フルメリンタの宰相ユドから、戦争奴隷として命を落としたクラスメイトのリストを受け取っていたからだと思う。
たった一枚の紙切れだけど、受け取った時のズシリとした重さは今でも忘れない。
突然の訪問だったが、ちゃんと二本の足で立っていて、呼吸も体温も感じられる存在だから驚きはしたが安心もしたのだろう。
丁度施術が休みの日だったから昼食を共にしながら、これまでのこと、これからのことを色々と話し合った。
話したいこと、聞きたいことがありすぎて、話があちこちに飛んでしまって、いくら時間があっても足りない感じだ。
「あたし、そろそろ宿に戻るわ」
「えっ、夕食も食べていけばいいのに」
「いや、世話になったダウードにも事情を説明しないといけないし、この先いくらでも一緒に食事はできるだろ」
「まぁね……」
富井さんは断ったのだが、半ば強引にうちの空いている部屋に住むように話を進めた。
この先、王都で牛丼屋を本当に開業するにしても、あるいは別の仕事をしていくにしても準備期間は必要だ。
その間、ずっと宿代を払い続けているのも無駄だし、浮いた宿代を開業資金に充てるべきだと口説き落としたのだ。
ちなみに、誓ってもいいけど富井さんの体を狙っている訳ではない。
さすがに家庭内不倫なんてことになったら、アラセリからどんなお仕置きをされるか分かったものではない。
それに、毎晩互いの気持ちを確かめ合っているから、欲求は十分に解消されている。
「タエさんは、さっぱりした気持ちの良い人ね」
「そうだね。でも、日本にいた時とはかなり印象が変わった気がする」
「そうなの?」
「うん、自暴自棄……とは、ちょっと違うけど、執着心が欠けているというか、何となく危うい感じがするんだよね」
たぶん、俺の思い込みもあるのだろうが、死にたいとまでは思っていないけど、いつ死んだって構わない……みたいな空気を感じた。
戦争奴隷として性的な虐待を受け、子供を産めない体にされて、日本からいっしょに連れて来られた友人も失ってしまい、しかも帰れる当てもない。
そんな状況で将来に希望を抱いて、活き活きとしている方がどうかしているだろう。
ダウードという男性と一緒にファルジーニまで来たそうだが、運び屋を生業としているそうで、旅から旅の暮らしをしているらしい。
富井さんがファルジーニに腰を落ち着けるならば、一緒にいる時間は限られてくるだろう。
今の富井さんを見ていると、男であろうと女であろうと、誰かと一緒に暮して繋がりを深めた方が良い気がする。
身近な存在が出来れば、世捨て人のような危うさも少しは解消されるような気がする。
とりあえず、うちに招き入れることには成功したので、会話を重ねて俺やアラセリ、屋敷の管理をしてくれているハラさんと繋がりを持ってもらおう。
翌日の午後、富井さんが宿を引き払って来たのだが、呆れるぐらい荷物が少なかった。
少し大きめな肩掛け鞄と薄汚れた毛布みたいな外套しか持っていなかった。
「えっ、荷物それだけなの?」
「そうだよ、てか着替え数枚と少しの金だけで放り出されて、そこから旅をしてきたんだから荷物なんて増える訳ないじゃん」
「それもそうか、家財道具を抱えて移動は出来ないもんね」
富井さんは、外套を被ってソファーで寝るとか言いだしたけど、ちゃんとベッドで布団を掛けて寝てもらう。
その他にも、あるものは自由に使ってもらうつもりだ。
「そこまでしてもらったら悪いよ」
「いや、フルメリンタに泊りに来る友達とかいないし、使ってないものだから使ってよ」
「それは有難いけど、友達は増やした方が良くね?」
「まぁね、でも施術で関わるのは殆ど貴族だし、付き合うのが面倒そうで……」
「えー……そこは頑張るべきじゃないの? 海野たちが来た時に、霧風が人脈を持っているのと持っていないのとでは全然違ってくるんじゃない?」
「そこは大丈夫だと思うよ。だって、アンチエイジングだよ。見た目が変わるほどの効果があるんだから、貴族や金持ちのおばさん連中が放っておかないでしょう」
実際、ユーレフェルトでは派閥に関わらず多くの顧客を抱えていると聞いている。
フルメリンタで施術を始めるようになれば、俺の施術と同様に隣国カルマダーレからも客が来るようになるだろう。
「それで、富井さんは牛丼屋開店に向けて動き出すの?」
「うーん……いつかはと思ってるけど、ファルジーニの状況が全然分からない状態では話にならないと思うんだ」
「確かにね、俺も休日にアラセリと買い物に行くぐらいで、そこまで街の事情に詳しい訳じゃないからなぁ……」
「だから、暫くファルジーニのギルドで仕事を探して働いてみようかと思ってるんだ。ただ街を見て回っても金を使うだけだし、色んな仕事をやってみれば街の事情も良く分かると思うんだよ」
「なるほど、いいんじゃない。中からしか分からないこととかありそうだしね」
「そうそう、とりあえず食堂の短期の仕事を決めて来たんだ」
富井さんは宿を引き払った後で、ファルジーニのギルドに出向いて登録情報の変更を行うついでに、もう明日からの仕事を決めて来たそうだ。
「そう言えば、富井さん日本にいた頃にバイトとかやってたの?」
「ふふーん……全然やったことない、実はめちゃくちゃ緊張してんだ」
「えーっ……それで牛丼屋を開こうなんて考えてるの?」
「いつかは……だよ。あたしだって今すぐ出来るなんて思っちゃいないさ」
「ちなみに料理の腕前は」
「任せろ! これから覚える!」
「えぇぇぇ……マジっすか、大丈夫なんすか」
「大丈夫だよ、なんとかなるさ」
「てか、電子レンジとかガスオーブンとか無いけど平気?」
「うっ……ま、まぁ、なんとかなるさ……てか、何とかしてやる」
富井さんは、料理の腕を磨く目的もあって食堂の仕事を決めてきたそうだ。
俺は料理に関しては、アラセリやハラさんに頼りきりなので大きなことは言えないけれど、火加減とか温度調整とかが大変そうだ。
「てか、学校とか部活やってる時間を全部仕事に充てられるんだから、覚えは早い……はず」
「はず……ねぇ……」
「何だよ、あたしじゃ無理って言いたいのか?」
「いやいや、俺には無理そうだから、早いところ牛丼を再現してみせてよ。てか、材料揃うのかな?」
「揃わなかったら、代用品を使って近い味に仕上げるしかないんじゃね?」
たぶん、牛丼に関しては材料は揃う気がする。
醤油っぽい調味料はあるみたいだし、牛を食べる習慣もある。
玉ねぎらしき野菜もあるし、米は長粒種だけど盛んに栽培されている。
完璧に日本の味に仕上げるのは難しいかもしれないけど、牛丼と言ってはばからない程度の味には出来るだろう。
「そう言えば、新川と三森はこれからどうするとか言ってなかったの?」
「あー……三森にプロポーズされた」
「はいぃ? プロポーズ?」
「うん、結婚してくれって」
「えっ、三森と付き合ってたの?」
「いや、全然……」
ケロっとした調子で話しているところをみると、どうやら三森は玉砕したらしい。
てか、元々片思いでもしていたのだろうか。
「付き合ってなかったのに、なんで結婚を申し込まれたんだ?」
「さぁ、たぶん、あたしが良い女すぎたのがいけなかったんだろうね」
「あー、そーですねー……」
「ちょっと、なんでそんなに棒読みなのよ」
「いやぁ……なんか、富井って色々ガサツそうじゃね?」
「失礼な……まぁ、あたしも妻帯者には興味無いしぃ……」
「まぁ、蓼食う虫も好き好きって言うしね」
「霧風はホント失礼だよね。そんなことだと、アラセリさんに捨てられるよ」
「いや、それは無いよ、ラブラブだからね」
「へー、そーですかー」
うん、そうなんだよね。
というか、俺達の寝室と客間は離れているから声とか聞えないよね。
ユーレフェルトにいたころは、海野さんたちにちょっと顰蹙を買ってたみたいだからな。
「新川と三森も、いつか霧風に会いに行くって言ってたよ」
「あいつらは、いつまで火薬の製造に関わってるつもりなんだろう」
「さぁ、そこは分からないけど、銃の開発とかは相当なペースで進んでるとは言ってたね」
「そうなんだ、もう実用出来るレベルなのかな」
「いや、なんか連発式を作ってるって」
「えぇぇ、マジで?」
「マジ、マジ、連発の音がしてたもん」
言われてみれば、ベアリングの提案をした後も、製作から実用されるまで、あっと言う間だった。
鉄製品の製造についても、こちらの世界では魔法が使われていると聞いている。
たぶん、銃の開発でも魔法が使われて、銃身とか引き金の機構などは比較的簡単に再現されているのかもしれない。
だとすると、製造された銃は果たして防衛だけに使われるのだろうか。
「どうしたの、霧風。難しい顔して」
「ユーレフェルトの第一王子が暗殺されたって話たよね?」
「あぁ、馬鹿王子が王位に就くって話だよね」
「このままだとそうなりかねないけど、ユーレフェルトの国内で反乱が起こっているみたいなんだ」
「なにそれ、フランス革命みたいな感じ?」
「そこまでの状況なのかは分からないけど、フルメリンタとの国境付近の領地が安定してないらしいんだよね」
「また戦争になりそうなの?」
「分からないけど、銃が実用化されたら、フルメリンタが圧倒的に優位に立ちそうだし、今度はフルメリンタ側から攻め込んだとしてもおかしくないのかなぁ……って思ったんだ」
「それって、ヤバくない? 三森と新川も巻き込まれるってこと?」
「無いとは言い切れないかな……」
というよりも、銃の開発に関わっているならば、最前線には送られないにしても同行させられる可能性は高いだろう。
宰相のユドは、折角戦いが終わったばかりなのに、こちらから仕掛けるなんてしないとは言っていたが、ユーレフェルトでベルンストが指揮を執るようなことになれば話は違ってくるだろう。
「あいつらも、さっさとこっちに来ればいいのに」
「だよな、住む場所ぐらい俺が何とかするのに」
「でも、宿舎を追い出した負い目があるのかもよ」
「そんなの、もうどうでもいいのに……もう戦いとかウンザリだよ」
新川と三森が何を考えているのか分からないけど、さっさと軍を抜けて来ることを祈るしか今の俺には出来そうもなかった。
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