第116話 現状確認
※今回も引き続き富井多恵目線の話です。
ゆっくり話が聞きたいと、霧風に家の中へと招かれた。
外から見ても大きな家だと思ったが、中に入ると余計に広く感じる。
日本の平均的な家とは違って、廊下や階段が広く作られているせいもあるのだろう。
一部屋のサイズも広く、案内された居間は二十畳ぐらいありそうだ。
霧風と剣の稽古の相手をしていた女性は、汗をかいていたので着替えに行った。
その間、門のところで出迎えた中年の女性がお茶を出してくれたのだが、さっきまでの刺々しい雰囲気は消えていた。
「悪かったね。うちの旦那さんは、この国にとって大切な人だから」
「いいっすよ。フルメリンタに招かれて来た霧風と、招かれず押し入ったあたしが同じに扱われる訳はないと分かってますから」
お茶を出してくれた女性に、微笑みながら返事を返すと申し訳なさそうな顔をされてしまった。
「あんたは……いや、何でもない。ゆっくりしておゆき」
何事か言いかけたが、女性はほろ苦い笑みを残して退室していった。
座り心地の良いソファーに背中を預けながら、香りの良いお茶を口に含む。
ジャスミン茶と紅茶をブレンドしたような渋味の少ない優しい味わいがする。
居間の窓はガラス張りで、手入れの行き届いた庭が良くみえる。
暖炉に火は入っていないが、日差しが部屋の中まで入り込んでいるので暖かい。
日本とは違って車の騒音もなく、耳を澄ませても時折木々の葉が揺れる音ぐらいしか聞こえない。
「平和だねぇ……」
お茶に添えられていたクッキーを口へと運ぶ。
甘さ控えめの素朴な味わいで、混ぜ込まれたクルミが香ばしい。
「んっ、美味しい……こんなに平和なのに、なんで剣の稽古なんてやってるんだ?」
そういえば、ユーレフェルトにいる頃に、命を狙われた……みたいな話を海野から聞いたような記憶がある。
日々の訓練に疲れていたので良く聞いていなかったが、まさかフルメリンタに来ても命を狙われていたりするのだろうか。
曖昧な記憶を引っ張り出して考えていると、着替えを終えた霧風が戻ってきた。
「ごめんごめん、お待たせ」
霧風はあたしの向かいの席に座り、剣の稽古の相手をしていた女性が慣れた手つきでお茶を淹れ始めた。
「改めて、久しぶり。お互いに生きて再会できて良かった」
「うん、けっこうヤバかったけど、なんとかね。そっちもなんでしょ?」
「まぁ、色々あったよ。普通の高校生にはハードすぎだよね」
「言えてる……」
霧風の分だけでなく、自分の分のお茶も淹れ終えた女性は、あたしのカップにもお茶を注ぎ足した後で霧風の隣りに腰を下ろした。
「紹介するね、俺の奥さんです」
「アラセリです、よろしくお願いしますね。タエさん」
「えっ、結婚してるの?」
「うん、フルメリンタに届けも出してあるから正式な夫婦だよ」
「マジかぁ……」
霧風に対する態度からして恋愛関係にあるとは思っていたが、まさか正式な夫婦として届けも済ませているとは思わなかった。
「二人はどこで知り合ったの?」
「俺が蒼闇の呪いの痣を消す施術を始めた後、第二王子派の連中に襲われて……その時は雑務係の同僚が庇ってくれたから怪我もせずに済んだんだけど、もっと護衛しやすい環境に……ってことで引っ越したんだ。その時に、身の回りの世話をしてくれるメイドさん、兼護衛としいて付いてくれたのがアラセリだったんだ」
「ほほう、主人の地位を利用してメイドさんを手籠めにしちゃった?」
「いやいや、それは無い。てか、さっきの手合せを見たから気付いてると思うけど、俺よりも強いからね」
「魔法を使われたらユートには敵わないわ」
「どうかなぁ……俺が魔法を発動する前にやられそうだけどな」
笑顔で言葉を交わす霧風とアラセリさんからは、確かな絆のようなものを感じる。
あたしたちが召喚されてから、まだ一年にもなっていないのに、一体どんな経緯で二人の絆が生まれたのか興味が湧いてきた。
「はいはい、お二人の仲が良いのは分かったから、話を戻そうか。とりあえず、霧風がどうしてフルメリンタに来ることになったのか、これまでの事を教えてよ」
「分かった。どこから話そうか……」
「そりゃあ、川本たちに宿舎を追い出されたところからでしょ」
「あー……あの時は凹んだなぁ。でも、あれがドン底じゃなかったんだよなぁ……そういえば、川本はどうなったか知らない?」
「川本は……ワイバーンに食われた」
「えっ、マジで?」
「うん、マジ。食われる瞬間を見ちゃって……あれはトラウマものだね」
「そうか、ワイバーンに食われたのか……」
霧風は言葉を切ると右手で髪を掻き上げながら視線を落とした。
「てか、霧風は宿舎を追い出された後にも川本に襲撃されたんじゃないの?」
「まぁ……ね、痣を消す施術が休みの日に気分転換で街に出掛けてたら、真剣を持った川本たちに囲まれた」
「えっ、真剣を持ってたの?」
「うん、ちょっと目が逝っちゃってる感じでさ、マジで殺されるのかと思った」
「どうやって逃げたの?」
「アラセリが川本と沢渡を蹴り倒してくれて、松居たち三人は路地に入って巻いて逃げた」
「そうなんだ……あれっ? 松居たちを殺したのは霧風じゃなかったの?」
「えっ? 松居たちが殺された?」
霧風は顔色を変えるとアラセリさんに視線を向けた。
「申し訳ありません。こちらの派閥の者が対処したと聞いていたのですが、行き過ぎた対処がされてしまったようです」
「そんな……なにも殺さなくても」
「あちらも剣や魔法を使って襲って来たそうなので、簡単には無力化出来なかったそうです」
あたしも戦場に立ったから、自分を殺す気で向かってくる相手を殺さずに止めるなんて無理なのは分かる。
たぶん、霧風も理解しているのだろうが、理性と感情は別物なのだ。
「何で同じ世界から無理やり連れて来られた者同士で殺し合わなきゃいけないんだよ。くっそぉ、ベルノルトの野郎が王位に座るなんて絶対に許せねぇ」
「いやいや、霧風が第一王子の痣を消したなら大丈夫じゃね?」
「ううん……殺された」
「はぁ? 殺されたって、第一王子?」
「街に視察に出た時に暗殺されたらしい」
「マジで? うわぁ、マジで腐ってんじゃん、あの国」
「そうなんだよ。だから何とかして海野さんたちもフルメリンタに連れて来たいんだけどね」
霧風は、窓の外の遠くへと視線をむけた。
「まさか、ユーレフェルトに乗り込むために剣の稽古してるの?」
「まぁ、半分は……」
「ばっかじゃないの? あたしらみたいに素人に毛が生えた程度の人間が行っても足手まといなるだけだよ」
「それは行ってみなきゃ分からないじゃん。ワイバーンだって、殆ど俺が倒したようなもんだし」
「そうだよ、それを聞きたかったんだけど、ワイバーンを倒したってマジなの?」
「まぁ、俺一人の成果じゃないけど、作戦の中心にいたのは間違いないよ」
そう言うと、霧風はワイバーン討伐の様子を話し始めた。
霧風の転移魔法は、ほんの一ミリ程度しか移動させられない代わりに、使い方によっては強力な切断能力を発揮するらしい。
「ただし、有効射程が限られていて、接近しないと使えないんだ」
魔法が届く距離に近付くために、霧風はアラセリさんと共に何度も死線を潜り抜けて来たそうだ。
あのワイバーンに何度も食い殺されそうになりながら立ち向かっていくなんて、あたしからすれば正気の沙汰ではない。
「お前、マジで凄いな……あたしには無理だ、あいつら生物としてのレベルが違い過ぎる」
「うん、俺も死に物狂いの無我夢中だったし、もう一度やれと言われたら絶対に断るよ」
「だったら、何で海野たちを助けに行こうなんて考えるんだよ」
「それは……」
霧風は急に口ごもると、ガリガリと頭を掻き始めた。
「ははぁ……お前、海野にも手を出したのか? 嫁さんがいるのに……」
「それは誤解です」
あたしが霧風を睨みつけると、それまで黙っていたアラセリさんが口を開いた。
「ユートとカズミの関係は、私も同意の上です」
「えっ……そうなの?」
アラセリさんは、自分が子供を産めない体であることも含めて、霧風と海野が関係を持つに至った経緯を話してくれた。
話を聞くと、海野たちも楽な状況にいた訳ではないのが分かった。
「なるほどねぇ、そんな状況だったのか……だとしても、霧風が自分で乗り込んで行くのは違うんじゃねぇの?」
「まぁ、簡単に行ける状況じゃないことは分かってる。分かっているけど、いざとなった時に動けませんじゃ話にならないだろう。そんな事になったら、剣の手ほどきをしてくれたマウローニ様に顔向けできないよ」
マウローニとは『王家の剣』と呼ばれていた元騎士団長で、第一王子の武術指南役を務めていたそうだ。
霧風に剣の手ほどきをして、共にワイバーンと戦って命を落としたらしい。
「とにかく、いざという時のために鍛錬は欠かさないつもりだよ」
「鍛錬するのはいいけど、霧風が行くのは駄目だろう。霧風は、ここで海野たちの居場所を確保しないと」
「いや、海野さんたちなら、俺がいなくなったとしても大丈夫なスキルがあるし……」
「だから、海野たちが大丈夫でも、霧風にもしもの事があったら駄目だろ。てか、フルメリンタは動いてくれないの? それだけの功績はあげてるんじゃないの?」
「ま、まぁ、貢献はしてると思うけど、ユーレフェルトに潜入するとなれば命懸けになるし……」
「だから、あたしら素人じゃ無理だって。どうしてもっていうなら、あたしが代わりに行ってやるよ」
「いやいや、駄目駄目、せっかく生き残ったのに……」
「何だよ、自分は良くてあたしは駄目なのか? それに、あたしも子供は産めなそうだし……」
「駄目だよ。子供が産める産めないで、その人の価値は変わったりしないからね」
あたしが思わず漏らした一言を霧風は厳しい口調でたしなめた。
確かに、今の一言を認めればアラセリさんも貶めることになってしまう。
「ごめん、配慮が足りなかった……」
重たい沈黙が場を支配したところで、アラセリさんがポンっと一つ手を叩いた。
「お二人とも、助けに行くとか行かないとかおっしゃてますけど、少しカズミたちのことを舐めていらっしゃいませんか? 彼女たちは単に守られているだけの存在ではありませんよ」
アラセリさんは、海野たちがユーレフェルトでいかにして自分達の居場所を築いてきたのか教えてくれた。
そこには女性の美に対する欲望を逆手に取った強かな戦略が存在していた。
「少なくとも、カズミたちは派閥を超越して保護される存在となっています。下手にフルメリンタから押し掛けていけば、むしろ彼女たちを危険に晒しかねません。短絡的な行動は控えて、まずはご自身の足元を固めるべきでしょう」
未だに居場所も将来も定まっていないあたしには、ぐうの音も出ないほどの正論だった。
確かに、今のあたしは他人をどうこう出来る状態ではない。
「ユート、カズミのことも心配でしょうが、まずはタエさんが暮らしを調える手助けをしたらどうです?」
「うん、そうだね。富井さんは、これからどうするつもり?」
「あー……まだ全然未定なんだけど、王都で牛丼屋でもやろうかと……」
「牛丼屋? あーっ、でも久々に食べたいな。いやぁ、猛烈に食べたくなってきたじゃんか」
「だろう? 実現できるか分からないけど、ちょっと相談に乗ってよ」
「勿論、こう見えても金だけはあるからね」
「なに言ってんだよ、こんな綺麗な嫁さんがいるのに……ねぇ?」
そう言って、アラセリさんに視線を向けると、ちょっと頬を赤らめてコクンと頷いてみせた。
やだ、あの剣の腕前がありながら、この可愛らしい反応とか反則じゃん。
王都での暮らしの相談に乗ってもらうのは良いとしても、二人の甘ったるい空気には当てられそうだなぁ……。
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