第112話 王都への道中

※ 今回は富井多恵目線の話です。


 昨晩小雨が降ったせいなのか、街道は白い霧に包まれていた。

 東に向かう道の先から朝日が昇りはじめているが、見通しが良くないのでダウードはゆっくりと馬車を走らせている。


 かぽっ、かぽっと蹄の音が響く以外は、辺りは静寂に包まれていて、まるで映画のワンシーンを見ているようだ。

 ダウードの馬車に乗って旅を始めてから十日ほどが経った。


 馬車に乗れば目的地まで早く着けるなんて考えは、交通機関が発達した現代人の妄想で、馬車ならばたくさんの荷物を載せて目的地まで行けるが正しい。

 荷物を積んだ馬車は重く、長い距離を移動するには馬に負担は掛けられない。


 その結果、一日に馬車で移動できる距離は、人間が歩くのと大差ないのだ。

 ダウードの馬車に初めて乗った時、私の監視役のマフちゃんにも乗るように言ったのだが拒否された。


 人間の脚で馬車を追い掛けて来るのは大変だろうと思ったのだが、その心配は無用のようで、私がダウードの馬車で旅を続けていても、マフちゃんは律儀に後をついてきている。

 三森と新川がいる軍の施設に立ち寄った時には、止められたり、何か言われるかと思ったが、結局接触してこなかった。


 王都に向かう道中は、何事も無く順調だ。

 盗賊に襲われることもなければ、魔物に襲われることもない。


 いつもこんなに平和なのかとダウードに訊ねたら、そんなに頻繁に襲撃を受けていたら命がいくつあっても足りないと笑われた。

 言われてみればその通りで、頻繁に襲われていたら人の往来も荷物の流通も滞って、国として機能しなくなってしまう。


 王都に近付くほどに、街道を巡回している兵士を見掛ける頻度も増えている。

 かと言って、ピリピリしている訳ではなく、あくまでも定期的な巡回のようだ。


「あぁ、晴れてきましたね」


 ダウードの声を聞いて視線を上げると、日が昇ったことで霧が晴れて周囲の景色が見えるようになっていた。

 広々とした畑には、青々とした草が芽吹き始めている。


「冬蒔きの麦ですね。この辺りの特産です」

「へぇ、麦かぁ……」


 街道の両側に広がる麦畑を眺めながら、改めて自分は何も知らないのだと気付かされてしまった。

 肉や野菜、米や麦は東京で暮らしていた頃にはスーパーで買うものだった。


 いつ、どのように育てられて、どのように収穫されるなんて、天候不順で野菜が高いとかニュースになった時以外は殆ど考えたことも無かった。


「うん、知識不足だねぇ。このままじゃ王都で店なんて始められないや」

「タエさん、王都で店を開きたいんですか?」

「んー……いずれは、みたいな?」

「どんな店を開きたいんです?」

「安くて、おいしくて、お腹がいっぱいになる店」

「食堂みたいな感じですか?」

「うん、そんな感じかな」

「料理、好きなんですか?」

「いや、特には……ていうか、あんまり得意じゃないかも……あれっ、これって不味いんじゃない?」


 良く考えてみたら、あたしは特別料理が得意な訳ではない。

 むしろ、作るよりも食べる方が得意だ。


 東京にいた頃も簡単な料理だったら作っていたが、手の込んだものは作ったことがなかった。

 牛丼も店で食べたり、親が作ってくれたのを食べていただけで、自分で一から作ったことはない。


 ましてや、ここは異世界の国フルメリンタで、東京と同じように材料が手に入る訳ではない。

 それに、調理器具だって東京とは違っているだろう。


 なんだか、どんどん不安になってきたし、ちょっと面倒にもなってきた。


「うーん……お店を開くって大変そうだなぁ」

「そうですね、王都で店を開くとなると結構大変だと思いますよ」


 自分の店を持つには、なによりも店舗を持たなければならない。

 王都ともなれば、土地や建物を手に入れるには莫大な金が必要そうだし、店を借りるとしても家賃が高そうだ。


 盗賊一味を討伐した報奨金や鋼熊の素材を売ったお金はあるが、それで足りるかどうかも分からない。

 そもそも、王都で店を開くならば、王都で暮らす家とか部屋を確保しなければならない。


 思い付きで牛丼屋を始める……なんて言ってみたものの前途は多難だ。


「まずは、王都で暮らしてみたらどうですか? 確か、お知り合いもいるんですよね?」

「うん、いることはいるけど、恩人だから頼るのはちょっとねぇ……」

「金銭的な支援が嫌ならば、情報だけでも頼ったらどうです? 王都で暮らしている人ならば、タエさんよりも情報には詳しいでしょう」

「なるほど、それもそうだね」


 霧風が、どんな生活をしているのか知らないけれど、たぶん今のあたしよりはまともな生活をしているはずだ。

 だからと言って、暮らしていけるように頼るのは違うと思っているが、情報を貰う程度ならば双方にとっても負担にならないだろう。


「王都までは、あとどのくらい?」

「次の目的地までは、今日の夕方には到着します。そこから王都までは馬車で一日の距離ですので、次の仕事が見つかれば明後日の夕方には着けますよ」

「もう、そんな所まで来てるんだ」


 そう言えば、霧風に会う時のことも考えていなかった。

 さすがに今の服装では少々みすぼらしいから、王都に行ったら少し見栄えのする服を買おう。


 霧風を訪ねるにしても、どこに住んでいるのかも知らないから、まずはそれから調べなければならない。

 王都に知り合いなんていないから、ギルドで訊ねたら良いのだろうか。


 というか、他に聞き込むとしたら、街を歩いている人に訊ねるぐらいしか思い浮かばない。

 東京だったらネット検索すれば、ある程度の情報は集まりそうだけど、こっちの世界では口コミに頼るしかない。


 そういえば、霧風は何をやっているんだっけ。

 確か、痣を消すとか聞いたような気がする。


「ねぇ、こっちの世界では痣を消すのってお金になるの?」

「痣を消す……?」

「うん、あたしの知り合いがそれをやってるらしいんだけど……」


 そう言った途端、ダウードの表情が険しくなった。


「タエさん、騙されてませんか?」

「えっ、どういうこと?」

「蒼闇の呪いの痣は消せないんですよ。消せる……なんて話は嘘っぱちで、痣は消せても酷い傷跡が残ったり、皮膚が爛れたり、ろくなことにならないです」

「ちょっと待って、蒼闇の呪いって何?」

「えっ、タエさん、蒼闇の呪いを知らないんですか?」


 ダウードの話によれば、蒼闇の呪いはこちらの世界の殆どの子供が罹る熱病のことで、治った後で青黒い痣が残ることがあるらしい。

 街で見掛ける顔を隠す頭巾をした人達は、宗教上の理由ではなく、顔に残った大きな痣を隠すために被っているそうだ。


「その痣を本当に消せるとしたら、儲かるかな?」

「そりゃあ儲かりますよ。蒼闇の呪いは、貴族だろうが金持ちだろうが関係なく罹ります。顔に大きな痣がある人と無い人、全く同じ条件だったらどちらを結婚相手に選びます?」

「なるほど、だから霧風はフルメリンタに呼ばれたのか」


 ユーレフェルトにいた頃にも海野から同じような話を聞いたような気もするが、当時は余裕が無かったから良く聞いていなかった。

 戦争奴隷から解放された時は、領主だというおっさんの話が長すぎて良く聞いていなかったが、そんな理由があるなら霧風が重要視されるのも当然だろう。


「そっか、それなら金を持っていそうな人に聞けば、霧風の居場所は分かりそうだな」

「タエさん、大丈夫ですか。本当に騙されてませんか?」

「うん、たぶん大丈夫。あいつは騙すよりも騙されるタイプだしね」


 日本にいた頃の霧風の顔を思い出してみる。

 少々締まりの無い顔をしていたが、お人好しそうに見えた記憶があるが……もしかすると少し美化しているかもしれない。


 まぁ、間接的とはいえども、あたしを地獄から救い上げてくれんだし、その程度は許されるだろう。

 ダウードは、まだ心配そうな表情を向けて来る。


 鋼熊から助けてもらった恩義を感じているみたいだけれど、その後には解体をしてもらったり、素材の買い取りを代行してもらったり、馬車に乗せてもらったり、十分に恩返しはしてもらっている。

 護衛として雇っているのだからと、道中の宿代、飲食代まで負担してもらっているから、こちらの方が申し訳なく感じているほどだ。


「タエさん、王都に着いたら知り合いの宿を紹介しますよ。値段も手頃で部屋も綺麗ですし、サービスも良いですから暫く滞在するにも良いと思いますよ」

「ありがとう。王都に知り合いはいるけど、あんまり頼りたくはないから助かるよ」

「私も暫くは王都中心に仕事するつもりですから、相談には乗りますよ」

「それって、あたしのために王都の近くで仕事するってこと?」

「い、いえ、年末近くになってくると王都近郊の仕事が増えて、運賃も高くなるんで稼げるんですよ」

「ふーん……それならいいけど、変な気は使わなくていいからね」

「分かってます」


 分かっていると言いながら、ダウードが色々と気を使ってくれているのは承知している。

 何なら、体を使ってサービスしてあげてもいいけど、それも違う気がするので実行には移していない。


 戦争奴隷だった頃には、当たり前に男に媚びている振りをして、その気にさせて早く終わらせることばかり考えていた。

 求められれば体を開くことは何とも思わないけれど、こうして昼間普通に接している相手に対して、自分から誘いを掛けるのはタイミングというか切っ掛けが掴めない。


 それに体の関係になってしまうと、これまでとは関係が変わってしまわないか心配でもある。

 今の旅は快適だから、関係を持ったことで昼間からそうした視線で見られたり、これまでとは違ってベッタリと距離を縮められるのは鬱陶しい。


「まぁ、それもこれも王都に着いてからかな……」

「安心してください。運び屋ダウードが間違いなく届けてさしあげますから」

「鋼熊が襲って来ても?」

「いや、その時はお願いします。ホント、頼りにしてますから」

「うん、任された」


 そう、こんな感じで持ちつ持たれつの対等な関係が良い。

 さて、霧風はどんな男になってるのかねぇ……。

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