第111話 ブリジット

※今回は暗殺されたアルベリクの妹ブリジット目線の話です。


 兄の死が事実だと理解した直後、母は悲嘆のあまり気を失ってしまった。

 厳しくとも愛情を注いで兄を育ててきたのは、私の目からも良く分かった。


『蒼闇の呪い』と呼ばれる痣が顔を覆うように残った時でも、王たるものは外見ではなく内面によって評価されるものだと諭し、さらに己を高めるように命じていた。

 だけども、その厳しい言葉の裏側で兄の非運を悲しんでいたのは、ユート・キリカゼによって全ての痣が取り除かれた日に流した涙が物語っていた。


 母は兄が次のユーレフェルト国王になると一片の疑いも持たず、次の世代の国のため、民のため、そして兄自身のために全てを捧げてきたと言っても過言でない。

 その兄が、下らない派閥争いのために、目先の自分達の利益のために、国の将来など何一つ顧みない者に殺されたのだ。


 気をうしなうのも当然で、母が崩れ落ちた時には、そのまま息を引き取ってしまうのではないかと思ったぐらいだ。

 兄の死から既に十日が過ぎようとしているが、母は床に就いたまま起きられずにいる。


 自分の半身のような兄を奪われたのだから無理もないし、そのような状況になっても私に王となれと言わなかったのは母の意地なのかもしれない。

 だが、私は亡き兄の意思を継ぎ、この国の王になろうと決めた。


 兄の遺体は既に荼毘に付され、王家の墓所へと納められた。

 葬儀は貴族の参列は無く、王族のみという異例の形で執り行われ、その葬儀の場にベルノルトの姿はなかった。


 母も起き上れる状態ではなかったので、いわゆる第一王子派からは私だけが参列した形だった。

 その葬儀の場で、クラリッサとアウレリアが浮かべた薄笑いを私は決して忘れない。


 必ずや兄の無念を晴らし、あの女どもには後悔させてやる。

 たとえ、母の主義に反してもだ。


 母は正義の人だ。

 第二王子派と派閥争いとなっていても、ユーレフェルト王国の法に触れる行いを許さなかった。


 相手が法を無視した行いをしても、こちらは法に則った方法で対抗するように命じていた。

 勿論、末端の者達まで徹底されていたかは疑問であるが、兄が王位を継承した時に、何一つ恥じることのないようにするためだ。


 ユート・キリカゼを襲撃して返り討ちにされたドロテウスや兵士を丁重に弔ったのも、たとえ敵対する相手であっても敬意を失わないと示すためだ。

 それなのに、相手は王族を直接手に掛けるという暴挙に出た。


 どんなに周囲の者達に工作を行おうとも、王族には手を出さないというのは絶対の不文律だ。

 それすらも守れない相手には、これ以上容赦をする必要など無いだろう。


「申し訳ございません、折角お見舞いいただいたのに母の気分が優れず……」

「いやいや王女様、そのようなお気遣いは無用でございます。こちらが無理を言って押し掛けているのですから……」


 テーブルを挟んで私と向かい合っているのは、ユーレフェルト王国の三大公爵家の一つ、ラコルデール公爵家の当主オーギュスタン・ラコルデール。

 母シャルレーヌの従兄弟にあたる人だ。


「まったく、このような愚挙が行われるなんて世も末です。ブリジット様もさぞや気落ちなされていらっしゃるのではありませんか?」

「そうですね、兄が殺されたと理解した時には悲しみましたし、気落ちもいたしましたが、今はそのようなことを申している場合ではございません」

「では……」

「はい、私は兄の遺志を継ごうと思っております」

「おぉ……」


 オーギュスタン氏は、母よりも少し年上の四十代前半だと聞いている。

 篤実な性格で、ユーレフェルト王国の財務を担当する国の要の一人だ。


 フルメリンタとの戦争、ワイバーンの渡りなどの大きな騒動が起こっても、国が瓦解せずにいるのは、普段からのオーギュスタン氏の働きに負うところが大きい。

 国の財務を担当する者ゆえに、ベルノルトが王位に就くことは何としても避けたいはずだ。


「兄の遺志を継ぐと決めましたが、今の私では力不足なのは明らかです」

「そのようなことは……」

「いいえ、事実は事実として受け入れなければ前へは進めません」

「失礼いたしました」

「このままベルノルトが王となれば、民は苦しみ、国は衰退するでしょう」

「おっしゃる通りです。あのような愚物が王になるなど、あってはなりませぬ」


 キッパリと言い切ったオーギュスタン氏の瞳には、強い憤りが宿っているように見えます。


「ラコルデール卿、私は後世の者から魔女と後ろ指をさされても構わないと思っています」

「ブリジット様……」

「民のため、この国のために、ベルノルトを王位に就けてはなりません。どのような手段を用いてでも」


 言葉を切って視線を向けると、オーギュスタン氏はゴクリと唾を飲み込んだ後で大きく頷いてみせた。


「全ての責任は私が負います。どのような手段を用いてでも、私を王位に就けてください」

「いいえブリジット様、貴方一人に背負わせるつもりはございません。財務方を敵に回す恐ろしさを骨身に染みるように分からせてやります。例え後世の歴史が私を罵ろうとも……」

「よろしくお願いします」


 ラコルデール公爵との会談の後、主だった第一王子派の貴族とも面談して同様の言葉を伝え、これまで以上に対決姿勢を鮮明化させた。

 異世界から来たカズミたちのサロンへの第二王子派の立ち入りも差し止めた。


 対決姿勢を明確にした影響は、すぐに現れ始めた。

 最初に動揺したのは、フルメリンタとの戦争の結果を見て第二王子派から寝返った貴族達だった。


 兄が王位に就くことは確実だと思って寝返ったのに、今度はベルノルトが王位に付く可能性が高まったことで身の振り方に苦慮していた。

 恥も外聞もかなぐり捨てて生き残る道を探るのであれば、ベルノルト達に詫びをいれて派閥に復帰すべきなのだろう。


 だが、オーギュスタン氏がそれを許さない。

 殆どの下級貴族は、多かれ少なかれ王家から財政支援を受けている。


 今後の支援の額や借財の取り立てなどは、財務担当の匙加減一つなのだ。

 たとえ、現国王が次の王にベルノルトを指名しようとも、すぐに王位の継承が行われる訳ではない。


 ベルノルトが実権を握るまでの間、国の財務に頼らずに領地を経営し続けていくことは、出来なくはないが難しい。

 例えば、大きな天災が起こった場合などには、どうしても支援に頼らざるを得ない。


 これまで、母は民の生活に影響を及ぼすかもしれないからと、財務担当のオーギュスタン氏が派閥争いに関わることを良しとしなかった。

 だが、あちらが不文律を破るならば容赦する必要など無い。


 財務方の締め付けは、下級貴族に留まらなかった。

 クラリッサ、アウレリア、ベルノルト達の取り引き業者への支払いを差し止めたのだ。


 表向きは、フルメリンタとの戦争やワイバーンによる被害で国の財政が苦しくなっているというものだが、実際には嫌がらせだ。

 取引業者には、これまでの納品分については支払いを行うが、今後は財務方を通さない納品分については支払いを行わないと通達したらしい。


 納品しても構わないが、代金は支払わない。

 この措置は今後数年に渡って続けられることになると言われれば、財務方を通さない注文には業者は応じなくなる。


 当然、苦情は財務方へと向けられるが、国の財政ひっ迫を盾に突っぱねるだけだ。

 財務方の締め付けは、これだけではない。


 第二王子派に関わる全ての者たちの、脱税、不正蓄財などの取り締まりを強化したのだ。

 ユーレフェルト王国の法律では、脱税や不正蓄財は過去二十年に遡って罪に問うことが可能だ。


 過去二十年渡って、何の落ち度も無く清廉潔白に暮らしている者がどれだけいるだろうか。

 些細な事柄から痛くも無い腹を探られ、店や家の経済状況を晒して、弱みを見せずにいられる者がどれ程いるだろうか。


 こうした締め付けは、第二王子派だけでなく国王派の貴族にも影響を与え始めている。

 こちらから積極的に敵対するつもりは無いが、向こうからは擦り寄って来ている。


 派閥を移動する気は無いが、第一王子派と第二王子派のどちらに協力するのか……といった選択の場面では、こちらに有利に動いてくれるだろう。

 父もすぐに国王の座を降りるつもりは無さそうだし、第二王子派に流れたり協力しなければ良しとしよう。


 オーギュスタン氏が動き出してから、こちらに寝返った元第二王子派の貴族達は、出戻りするどころか第二王子派との繋がりを断ち切ろうと躍起になっている。

 このままの状況が続けば、クラリッサやアウレリアと繋がりを維持し続けるのは、ドップリと根っこまで繋がっている連中だけだろう。


 そうした連中は、領内に鉱山があったり、特産品の産地であったり、経済的に自立している貴族や、王都以外に本拠地を構える商人達だ。

 そうした貴族や商人には、財務方でも打つ手が乏しいのだが、そうした者達の中には我々以外の者から苦しめられている者がいる。


 主に国の東側に位置する領主なのだが、住民の反乱騒ぎがなかなか治まる気配を見せない。

 この反乱騒ぎについては、我々第一王子派の領地も含まれているので両派にとってマイナスなのだが、騒ぎが収まった後の支援体制を考えるとこちらに有利に働きそうだ。


 勿論、国力を低下させる行為なので、派閥に関係なく収束させるように手は打つつもりでいる。

 勿論、掛かった費用は全て向こうに押し付けるつもりだ。


 騒動の原因は、国王の許可なく戦争を仕掛け、中洲の領地を奪われた第二王子派にある。

 未だにエーベルヴァイン公爵家は家督の相続願いを出しているらしいが、当然認められていない。


 それほどエーベルヴァイン家の失策は大きいし、何より第二王子派の筆頭といえる存在だ。

 軍の力を背景にして、横暴な振る舞いも目立っていたので、この機に力を削いでおこうという思惑で国王派、第一王子派は一致しているのだ。


 フルメリンタのとの戦争で軍事力を大きく損なった上に、国の財務担当と法務担当が手を組んでいるのだから、家督相続が認められる望みは皆無と言っても過言ではないだろう。

 状況は、我々に有利に動きだしている。


 男子優先、年功序列という仕来たりはあるが、私が王位に就く望みは十分にある。

 後は、兄のように暗殺されないように警戒を怠らないことだ。


 私とオーギュスタン氏の警護は従来の倍以上の人員を割いて行っている。

 こちらは、兄が殺されても武力行使は思い止まっているのだ。


 もし次に武力行使が行われた場合には、容赦なく反撃に移ると公言しているし、その為の準備も進めている。

 手を緩めるつもりは無い。

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