第105話 廻り合わせ

※ 今回は富井多恵目線の話になります。


 峠を越えた街では、ダウードの馴染みの宿に泊まった。

 あたしを宿に下ろすと、ダウードは運び屋の元締めの所へと向かった。


 預かってきた荷物と馬を戻して、次の仕事を受けて来るらしい。

 王都の方角へと向かう仕事は沢山あるらしいので、早ければ明後日にでも出発できるそうだ。


 あたしも、ここまで毎日歩き通しだったので、明日は一日のんびりするつもりだ。

 案内された部屋に荷物を置いて、夕食を食べに行く。


 宿は酒場を兼ねていて、食堂には酒とタバコの煙が充満していた。

 日本にいた頃なら、こんな場所で食事するなんて……と尻込みしていただろうが、こうした空気には戦争奴隷の頃に慣らされた。


 面倒そうな酔漢を避けてカウンターの隅に座り、女将さんに食事を注文した。


「簡単なもので構わないから食べさせて、朝に食べたきりなんだ」

「はいよ、ちょっと待っておくれ」


 厨房に引っ込んだと思ったら、すぐに出て来た女将さんが携えて来たのは、塩茹でした豚肉とご飯、スープという本当に簡単なメニューだった。


「その味噌を付けて食べておくれ。ただし、辛いから付け過ぎないようにね」


 なんだか手抜きなメニューだなぁ……と思ったのだが、レンガほどの大きさの豚肉を切り分けようとフォークで押さえたらホロリと肉が解れた。


「おっ……?」


 ナイフで切るまでもなく、ホロホロと解れる豚肉に、トウガラシを混ぜ込んだ味噌を少し塗って口へと運ぶ。


「んー……豚が甘い……って、辛っ!」

「ふふふっ、水をやろうかい?」

「いや、加減しておいたから大丈夫、でも、これはクセになる美味さだよ」

「だろう……」


 豚肉は絶妙な塩加減で茹でられていて、肉の旨み、甘みを引き出している。

 そこへトウガラシ味噌が辛みのインパクトとコクをプラスして、更に肉の旨みを引き立たせている。


 少し多めに味噌を塗った豚肉を口に放り込み、ぐっぐっと噛み締めて肉の旨みを味わったらご飯を掻き込む。

 米は長粒種で少し粘りが足りないが、肉の旨みを噛みしめながら掻っ込む。


 肉と米のコラボが日本の記憶を蘇らせた。

 頻繁には通っていなかったけど、牛丼屋に行くのが好きだった。


 あたしと同年代の男子が、丼を抱え込むようにして豪快に食べる姿を見るのが好きだった。

 残念ながら、酒場にいる男達は酒に夢中で料理にはあまり興味が無いらしい。


「んー……王都で牛丼屋でも始めてみるか?」


 ふっと頭に浮かんだ思い付きは、案外悪くない気がした。

 肉や野菜、米、調味料が思うように手に入るのか、出来上がった牛丼が受け入れてもらえるのか、店の権利とか家賃はどの程度なのか……考えなきゃいけないことは沢山ある。


 それでも、何の目的も無くフラフラと漂っているよりは遥かにマシだろう。


「牛丼屋の女将さんかぁ……悪くないんじゃない?」


 カウンターの中で動き回っている宿の女将さんの姿を見ながら、自分が牛丼屋の女将になった姿を想像してみると案外悪くない。

 済んだこと、過ぎてしまった時間にいつまでも囚われていたら生き残った意味が無くなってしまう。


 死んだ三人のために……なんて殊勝なことを考えている訳ではないが、あたしが生き残ったことには何かの意味があるはずだ。

 というか、生き残った意味を探すべきなのだろう。


「うん……うん……やっぱり食べるのはいいね。生きてる気がするよ」


 自分が男子になった気分で、ガツガツと夕食を掻き込んだ。

 すっかり満腹になって、部屋に戻ろうとしたら、赤ら顔のオッサンが通路を遮るように立ち塞がった。


「よぉ、姉ちゃん……一杯つきあえよ……」

「悪いね、あたしはここの女給さんじゃないんだ」

「白けること言ってんなよ、可愛がってやるって言ってんだ」


 更に、もう一人の男が後ろに回り込み、あたしの尻を撫で始めた。


「痛い思いはしたくないだろう? それとも、誰だか分からなくなるぐらい殴られたいか?」

「はぁ……女だったら力ずくでどうにでもなると思ってんだ?」

「当り前だ、男二人を相手に何かできると思ってるのか?」

「はぁぁ……うっざ」


 オッサン二人と自分の間を隔てるように旋風を吹かせた。

 ごぉ……っと風が唸り、オッサン二人は風に押されて尻もちをついた。


「顔が変わるほど殴る? やれるものならやってみなよ。そっちがその気なら、こっちも手加減なんかしないよ」


 すっと指を振り下ろし、オッサンが手にしたカップを風の刃で縦に切断した。

 音もなく切断されたカップを見て、オッサン二人は一気に酔いが醒めたように蒼ざめた。


「あんたの首が、そのカップより硬いかどうか試してみるかい?」


 オッサンは床に座り込んだままブルブルと首を横にふった。


「酔っぱらうのは勝手だけど、他人に迷惑掛けてんじゃないよ。分かった?」


 人差し指を突き付けると、オッサンは座り込んだまま後退りして、ガクガクと頷いてみせた。

 もう一人のオッサンにも、人差し指を突き付けて釘を刺してから部屋に戻った。


 せっかく少し良い宿に泊まったのだから、お湯で体を洗いたいと思ったけれど、さっきのオッサン共が逆恨みして襲って来ないとも限らないので、翌日の昼間に入ることにした。

 日本と違ってテレビやネットは無いので、部屋に戻るとやる事が無くなってしまった。


 面倒だから早めに寝てしまおうと思っていたら、部屋のドアがノックされた。

 さっきのオッサン共が、剣でも持ち出してきたら面倒だと思ったが、ノックしたのはダウードだった。


「遅い時間にゴメン、鋼熊の毛皮と魔石を買い取ってもらってきた」

「そんなに急がなくても良かったのに……てか、重っ!」

「素材屋が驚いてたよ。こんなに綺麗な鋼熊の毛皮は初めてだって」

「ふーん……あたしも倒したのは初めてだから、良く分からないや」


 ダウードが差し出した革袋には、予想を大きく上回る額の金貨が入っていた。

 鋼熊の毛皮は防具の素材としても、防寒具の素材として優れているので、高く取引されるらしい。


「それで、王都の方面に向かう仕事があったんだけど、少しだけ遠回りになってしまうんだ。それでも良いかな?」

「別に良いよ、こっちは乗せてもらってるんだから文句は無いよ」

「じゃあ、明日の午前中に荷物の積み込みが終わるから、午後からタエの服を見に行こう」

「えっ、なんで?」

「なんでって、タエは可愛いんだから、もっと女の子らしい服装をした方がいいよ」

「いや、女らしい服装とか、旅の最中は要らないでしょ。むしろ女に見られない方が良くない?」

「それは……そうかもしれないけど……」

「あー、はいはい、臭った? 明日洗濯しとくよ。大丈夫、大丈夫、ちゃんと風呂も入っておくから、じゃあ、おやすみ」

「お、おやすみ……」


 たぶんダウードは好意で言ってくれてるんだと思うけど、あたしが素直に受け入れられない。

 なにか裏があるんじゃないのか、体が目的なんじゃないか……なんて考えが、ふっと頭をよぎってしまう。


 夜中も、酒場で揉めたオッサンが押し入ってこないか不安で、窓枠の取っ手を縄で縛り、ドアの前にはテーブルとイスを積んでバリケードにした。

 そして、ベッドの上ではなく作り付けの箪笥の中で、外套に包まって眠った。


 翌日、オッサン達が宿を引き払ったのを確認してから風呂場で体を洗い、着替えと下着、それに爺さんの外套を洗濯した。

 幸い、雲一つない快晴で、分厚い外套も夕方までには乾いていた。


 洗濯物を干している間、宿の女将さんに場所を聞いてギルドに向かった。

 鋼熊の素材の金を預けるためだ。


「タエ・トミーさん、ランクアップの通達が届いています」

「へっ、なんで?」

「盗賊を壊滅させた功績ですね。今日から銅級です、おめでとうございます」

「はぁ、どうも……」


 どうやらマフちゃんが手続きをしてくれたらしく、ランクアップと共に凄い金額の報奨金が振り込まれていた。

 中洲の民間人を殺害した結果は戦争奴隷落ちで、その三倍以上の人数の盗賊を殺したら報奨金をもらえてランクアップ。


 人の命は平等……なんて綺麗事を言うつもりはないが、それでも命の価値の違いに釈然としない気分にさせられた。

 翌日、ダウードと一緒に夜明け前に宿を出て、元締めの所へ馬車を取りに向かう。


 積み荷を確認したら、街を出て一路東へと進む。


「タエさん、寒くないですか?」

「うん、大丈夫だよ」


 爺さんから貰ってきた外套は、やたら重たいけれど風を通さず暖かい。

 御者台から転げ落ちないように縄で体を縛り、風除けの板に寄り掛かると眠りが訪れた。


 馬車は昼まで東に向かって進み、昼過ぎに北へ向かう別の街道へと入った。

 北に進路を変えてから、一時間ぐらいは稲刈りを終えた田んぼが広がっていたが、小川に架かる橋を越えた途端、周囲の風景が一変した。


 辺り一面が土が剥き出しの荒れ地になっている。


「えっ、どうなってんの?」

「ここは、国の訓練施設なんですよ。そこへ食糧とか物資を届けるんです」

「なるほど、演習場みたいな感じなのか……」


 確かに、道の先には建物が見えるし、荒れ地の中では鎧で武装した騎士達が隊列を組んで馬を走らせていた。

 そして遠くから、あの音が響いてきた。


 パーン……パーン……パーン……


 聞き覚えのある音は、六発鳴り響いた後で聞こえなくなった。

 火属性の魔法でも、同じような音が鳴る場合があるが、今聞こえていたのは別の音だ。


 背中がゾワっとした。

 マフちゃんから聞いた話を思い出したのだ。


「火薬……ってことは、ここにいるの?」

「どうしたの、タエさん」

「もしかしたら、ここに知り合いがいるかも……」

「えっ、そいつは王都にいるんじゃないの?」

「ううん、王都にいるのは別の人」


 誰だろう、男子は確か七、八人いたと思ったけど、生き残ったのは二人だって聞いている。

 フルメリンタに協力していると聞いたけど、どんな心境で協力しているのか。


 もしかして、まだ強制的に働かされていたりするのだろうか。


 パーン……パーン……パーン……


 また連続して火薬が弾ける音が聞こえてきた。

 銃も開発していると聞いたけど、火縄銃みたいな原始的なものとは違うのだろうか。


 その銃を使って、何をしようとしているのだろう。

 会いたい、会って気持ちを問い質してみたい。


 さっきまでノンビリ走る馬車が心地良かったが、今はその遅さがもどかしい。

 早く、あの建物まで……早く、もっと早く。

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