第104話 運び屋ダウード

※ 今回は富井多恵に命の危機から助けられた、運び屋びダウード目線でお送りいたします。


 馬車の行く手を二頭の鋼熊に遮られた時には、俺の人生は今日までかと思った。

 だが、馬を食ったところで満足してくれれば助かる望みはあると思い直し、急いでブレーキを掛け、御者台を飛び降りて馬車の下に潜った。


 後から考えてみれば、幌馬車の荷台に飛び込んだ方が良かったのかもしれないが、気が動転していたのだろう。

 鋼熊は、俺の思惑通りに馬車馬へ襲い掛かった。


 元締めが手配した馬は、癖も無く良い馬だったので、少し惜しい気もする。

 それに馬を失うと報酬を割り引かれてしまうが、己の命には代えられない。


 せめて苦しまずに……と思ったのだが、馬には襲撃にあった時の備えとして、首筋や背中、腹に防具が付けられている。

 そのため、鋼熊に押し倒されてても、馬はもがいていた。


 もう一頭の馬にも鋼熊が覆いかぶさろうとした時だった。

 突然、鋼熊の太い首と腕が切断されて宙に舞った。


「嘘だろう……」


 鋼熊は、その名の通りに体毛が非常に硬く、討伐するのが難しい魔物だ。

 体毛が硬いのも、魔力を持つ魔物だからと言われている。


 そんな鋼熊の首を一撃で切り落とすなんて、どんな豪傑が現れたのかと、馬車の下から後方を覗き見ると、そこにいたのは一人の女性だった。

 いや、女性というよりも少女と呼んだ方がしっくりする年恰好だ。


 二十五歳になった俺からすれば、娘とまではいかなくても、十歳ぐらい若そうだ。

 黒い髪に黒い瞳、精悍な顔つきをしている。


 少女は指を揃えた右手を腰溜めに構えると、もう一頭の鋼熊目掛けて鋭く突き出した。

 何が起こったのか、俺の目には全く見えなかったが、鋼熊は苦悶の呻き声を上げてのたうち回り、やがて動かなくなった。


 二頭の巨大な鋼熊を倒した少女は、歓喜の雄叫びを上げるでもなく、腕組をして首を捻っていた。

 やがて、道の後方を振り返ると、なにやらボソボソと独り言を言っていた。


 予想もしない事態に、呆然と少女を見詰めていたのだが、馬がいなないて暴れ出したので我に返った。

 慌てて馬をなだめて怪我の様子を確認すると、あちこちに傷があって血も滲んでいたが、走れないほどの大怪我ではなかった。


 馬を落ち着かせて、外れていた馬具を取り付け、改めてブレーキを掛け直した。

 これならば、峠を越えて行けそうだ。


 馬車の状態を確かめてから、礼を言おうと少女の下へと向かうと、しかめっ面をした中年の行商人と話をしていた。


「あのなぁ……俺は便利屋じゃねぇんだぞ」

「マフちゃんがやってくれないなら、このまま放置かな」

「あの、お話し中にすみません。危ういところを助けていただき、本当にありがとうございました」

「あなた、馬車の持ち主さん?」

「はい、運び屋のダウードと申します」

「どうも、あたしはタエ、こっちはマフちゃんだよ」

「マフちゃんじゃねぇ、マフムードだ」


 親子ではないようだが、だとしたら、どんな関係なのだろうか。


「あの、失礼ですが、何かお困りですか?」

「熊の死体をどうしたらいいのかなぁ……ってね」

「素材の剥ぎ取りはなさらないのですか?」

「んー……やったことないし」

「えっ、あんなに凄い魔法を使えるのに……ですか?」


 タエと名乗った少女は首を竦めてみせた。


「こいつは、ちょっと訳ありでな……」


 タエの代わりにマフムードが曖昧な答えをよこした。

 やはり、この二人は知り合いらしい。


 そして、よく見ると、マフムードという男もただの行商人ではないようだ。


「あのぉ、でしたら私がやりましょうか? 鋼熊の毛皮は高値で取り引きされますし、魔石も捨ててしまうのは勿体ないですよ」

「んー……そうなの? それじゃあ、手間賃払うからお願いしようかな」

「いや、手間賃なんて結構ですよ。あなたは命の恩人なんですから」

「でも、三頭も大変じゃない?」

「えっ、三頭?」

「あっちに、もう一頭いるんだけど」


 驚いたことに、タエは鋼熊をもう一頭倒していた。


「むこうは魔石だけ取り出して、崖下に捨てちまえ。三頭も皮剥いでたら日が暮れるぞ」

「んっ、それでいいよ」

「いいんですか?」

「うん」


 マフムードが訳ありだと言った通り、タエという少女はどこか世間ずれしている。

 ついさっき、鋼熊を倒すところを自分の目で見たはずなのに、あれは夢だったのではと思いたくなるぐらい、凄腕には到底見えない。


 かと言って、普通の少女にも見えない。

 少女というよりは、世捨て人のような雰囲気があるのだ。


「では、そっちの魔石の取り出しからやってしまいます」


 馬車に戻って、ナイフや研ぎ棒、鏨に金槌など解体の道具を取り出した。

 かつて、冒険者として活動していた頃に使っていたものだ。


 タエが最初に倒した鋼熊を見て、また驚かされてしまった。

 鋼熊は、バッサリと二回斬り付けられて絶命していた。


 しかも、腹を真横に割いた傷は、胴体の三分の二を斬り割っていた。

 幸い、胴体を斜めに薙いだ傷によって、心臓が見えていたので、その横にある魔石を包み込んだ魔臓も簡単に取り出せた。


 マフムードの手を借りて、鋼熊の死体を崖下へと投げ捨て、道に流れた血は水の魔道具を使って薄くなるように流した。

 続いて、二頭の皮を剥ぎ、魔石を取り出し、爪と牙を叩き折って集めた。


 俺は、戦いは得意でなかったので解体では役に立とうと腕を磨いたのだが、やはり冒険者は自分に合っていないと判断して運び屋に鞍替えしたのだ。


「あんた、運び屋なのに大した腕前だな」

「ええ、戦いは苦手だったんで……」

「なるほど……」


 戦いは苦手の一言で事情を察してしまうあたり、マフムードもかつては冒険者だったのかもしれない。

 皮を剥いだ鋼熊は、崖下へと投げ捨てた。


 鋼熊は肉も食えるのだが、馬車は荷物が満載で積んでいける場所が無い。

 少々勿体ない気もするが、致し方ない。


「タエさん、どうぞ乗って下さい」

「えっ、いいの?」

「はい、峠を越えられるんですよね?」

「うん、じゃあお願いしようかな」

「マフムードさんも……どうぞ」

「いや、俺はいい……」

「ですが……」

「行ってくれ」


 マフムードは頑なに同乗を拒否し、それについてタエは何も言わない。

 どうやら、マフムードも訳ありらしい。


 鋼熊の素材とタエを乗せて馬車を出す。

 素材の剥ぎ取りをしている間、馬には薬を塗って休ませていたので、かなり回復しているように見える。


 これならば、今日中に峠を越えられるだろう。

 御者台の隣りに座ったタエは、馬車が動き出すと風除けの板に寄り掛かって寝息を立て始めた。


 今日出会ったばかりの男と二人で馬車に揺られているのに、警戒心の欠片も感じられない。

 いくら強力な魔法が使えるとしても、あまりにも無防備だ。


 途中、馬に水を飲ませるために馬車を停めると、タエは目を覚ました。


「タエさん、食事は?」

「ん? 自分の分はあるよ。それに一食ぐらい食べなくても平気だし……」


 休憩の後は、タエは眠らずにボンヤリと道の先を眺めていた。

 こちらから話し掛ければ答えるけど、タエから話し掛けてくることはない。


「タエさんは、どちらに向かわれるんですか?」

「んー……王都まで行こうかなぁって」

「一人で歩いてですか?」

「うん、そうだよ」


 女性の一人旅なんて危ないと言いかけて、それはタエには当てはまらないと気付いた。

 鋼熊三頭を一人で討伐するなんて、腕利きの上級冒険者並みの戦闘力だ。


 しかも、まるでその力を感じさせないのだから、仮に山賊に襲われたとしても返り討ちにしてしまうだろう。

 こんな少女に出会ったのは初めてだし、物凄く興味を惹かれる。


「もし良かったら、王都まで乗せていきましょうか?」

「えっ、いいよ、そんなの悪いし……」

「いえいえ、王都に向かう仕事ならいくらでもありますから大丈夫ですよ」


 馬車は自前、馬と荷物を預かって目的地まで行く、運び屋の仕事についてタエに説明した。


「へぇ……じゃあ、行き先は自由に選べるんだ」

「そうなんです。俺が王都行きの仕事を選べば良いだけですし、それに……」

「それに?」

「タエさんが一緒ならば熊に襲われても大丈夫かと……」

「あはっ、女の魅力じゃなくて魔法の腕を買われたのか……そっか、そっか……」

「いや、タエさんは十分に魅力的ですよ。俺が保証します」

「うん、お世辞でも嬉しいよ」

「いやいや、お世辞なんかじゃないですからね」

「うん……用心棒か、面白そうだから乗せていってもらおうかな」

「本当ですか? ありがとうございます」


 正直、タエほどの腕をもつ冒険者を護衛に雇えば、運び屋としての稼ぎの殆どが消えてしまうだろう。

 乗せて行くどころか、乗ってもらえるだけで有難い。


「王都には、何をしに行かれるんですか?」

「んー……命の恩人に会いに? てか、その敬語止めない? 普通に話してよ」

「じゃあ……命の恩人って、タエさんよりも強い人ってこと?」

「んー……そうね、うん、あたしよりもずっと強い人」

「高ランクの冒険者とか、王国騎士……とか?」

「名誉貴族? とか言ってたような……」


 フルメリンタには多くの王族、貴族がいるが、名誉貴族なんて聞いたことがない。

 もしや、タエは悪い男に騙されているのではないだろうか。


 強いというのは腕っぷしの話ではなく、権力とか財力とか、もしかしたら精力のことかもしれない。

 何らかの弱みを握って、タエの心と体を弄び、王都に戻る……とか言って逃げ出したのではなかろうか。


 だとしたら、王都にその人物が存在せず、騙されていると知った時のタエの心が心配だ。

 やはり、俺が王都まで一緒に行って、その男が存在していなかった時や、別の女と家庭を築いていた場合には隣りで支えになろう。


 それよりも、まずはタエの新しい服を買おう。

 年寄りの農夫のような今の格好は、タエにはふさわしくない。


 どうせなら、女冒険者にふさわしい装備も揃えた方が良いだろう。

 服と装備を揃えたら、少し良い宿をとって、美味い食事と美味い酒を楽しませてやろう。


 鋼熊に道を塞がれた時には、なんてついてないんだと思ったが、どうやらそいつは間違いで、幸運の女神に出会うための試練だったらしい。

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